あんたは日本人ちゃうで韓国人やねん!#1

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「あんたは日本人ちゃうで、韓国人やねん。」
そう母に言われたのは、私が幼少の保育園に通う頃です。
(53歳の私は、2017年に帰化申請を終え現在は日本国籍です。)

当時は子供で
国籍と言う言葉も知らない頃でしたので
突然の母の言葉に何の事だかさっぱり分からず
ただ「ふ〜ん。」と言った事だけ覚えています。

私は京都で生まれました。
父と母のことは前のブログ【たまにやって来る父が嫌いでした。】に書きましたが、父も母も在日韓国人2世でしたので
必然的に私は在日韓国人3世として生まれました。

父とは交流がなかったので
父の家系の経緯は分からないのですが、
母方の祖父、祖母が
昭和初期に韓国の済州島から日本に渡って来たそうです。

母は私に隠し事などはしない人でしたので
前回のブログでの父との関係の事も
この国籍の話も常に真実を話してくれる人でした。
しかし、保育園に通う5〜6歳の子供に
あなたは在日韓国人ですよ!と言ったところで
全く理解出来るはずがありませんでした。

私が小学校に上がる頃になって
ようやく私の家庭は
他と違うことに気がつき始めます。

私の母はシングルマザーで
自宅で縫製の仕事をしながら
私を育ててくれました。
和裁でも洋裁でもなく
母は韓国の民族衣装【チマチョゴリ】を
縫っていました。

母が自作したチマチョゴリ。そして、抱っこされているのは私です。

京都も在日朝鮮人、韓国人が非常に多く住んでいまして
井筒和幸監督の【パッチギ】も京都を舞台にした
在日朝鮮人、韓国人高校生を描いた映画でした。

母は祖母や叔父たちと話す時は
時折韓国語を使うので、
その辺りも日本の家庭とは違う環境だったと思います。

『日本人と韓国人は違う国の人たちで
自分は日本に生まれた外国人なんだ』と
うっすら理解するようになった私は、
小学校4年生の時の作文に
「僕は韓国人です。お母さんは家で韓国の民族衣装チマチョゴリを作っています。」と書いたそうです(あまり覚えてないのですがw)
それを読んだ担任の先生が
母のところに飛んで来て、
「タカユキくんがこの作文を書いたのですが…」
「とても大事な内容なので、この作文をクラスのみんなに紹介しても良いでしょうか?」と母の承諾をとりに来たことがありました。
母は何も隠すことはない!と先生に「どうぞどうぞ!」と
作文の紹介を許可しました。

作文を紹介された後は
クラスメート達も
「森くん外国人なんや〜。へぇ〜!」
「見た目は日本人と一緒やから言われへんかったら分からんなぁ〜」と
驚いていました。
在日外国人と言っても同じアジア人同士ですので
見た目にも区別は付きにくかったと思います。

そして、私が当時住んでいた京都市右京区に
幼稚園から中学校まで一貫の朝鮮学校が近くにありましたので、
同級生達も地域に在日朝鮮人、韓国人が住んでいる事を知っている子達も
いましたので
私自身は特にいじめられる様な事もありませんでした。

中学に上がる頃になると
私自身も母国の韓国にとても興味を持つようになります。
小学校6年生になり
母に「中学校は近くの朝鮮学校に行きたい。」と志願しました。
そして母からは
「絶対にアカン!あんたは日本で生きていくんやから日本の学校に行ったらええ!」と強く反対をされました。

私としては、
母国への興味、文化、言語を学びたいと思う気持ちでしたので
母が許可してくれない事に驚き子供ながらに憤慨した事を覚えています。

私としては、
母国への興味、文化、言語を学びたいと思う気持ちでしたので
母が許可してくれない事に子供ながらに憤慨した事を覚えています。

後に分かりました。
北朝鮮と韓国。同じ半島で元は同じ国だったとしても
今は全く別の国だと言うことを

日本にも朝鮮学校と韓国学校があるのですが、
やはり教育方針が北朝鮮と韓国とでは全く違います。
その事を理解していた母は、
特に北朝鮮の教育は日本で生きていく息子には与えたくない。
と言う思いだったのだと理解しました。

そして、後に聞きましたが
私が小学校に上がる前には
その朝鮮学校の校長先生がうちに通い
「タカユキくんを朝鮮学校に入れてください。」と
しつこく勧誘しに来ていたそうです。
母は断固として断っていたそうなので
私がその朝鮮学校に行きたい。と言い出したものですから
それは驚いた事と思います。

日本人であっても
現在の北朝鮮情勢を報道で見ている限り
あの国の教育は受けない方が良い。と
判断した母の気持ちは理解できると思います。

当時はまだそこまで理解出来ていなかった私は
渋々、日本の公立中学校に進学しました。

そして高校に進学した時、
クラスに苗字が【李】くんと言う同級生がいました。
彼も在日韓国人でした。

日本に住む外国人には
本名と通名があります。
私も本名は
【李 貴之】(イータカユキ)
母が貴之という名前をつけましたが、
在日韓国人でも韓国の名前をつけるご家庭もあります。
私の母は息子は日本で生きていく。そう考えていましたので
韓国っぽい名前ではなく日本でよくある名前にしたのだと思います。

そして、本名とは別に通名を名乗る事ができます。
私の通名は
【森 貴行】 でした。
本名と通名どちらを名乗っても良いのですが、
私は通名の森姓で生活をしていました。

通名があるのは、日本での外国人差別回避なども理由にある様です。

日本人と韓国人、見た目に区別がつきにくく
私も自分から言わなければ韓国人だと気づかれない。
そんな中、同じクラスになった「李」くんは本名だったので
私も驚きました。

彼とは親しくなりたかったのですが、
別の理由で私は高校1年の1学期を終えた頃から不登校になってしまい
その後復学せず高校を辞めてしまいましたので、
李くんと親しくなる事はありませんでした。

その頃から
【同胞】(同じ国民・民族)と言う言葉を意識し始めていました。
思えば朝鮮学校に行きたい。と言い出した頃から既に
自分のルーツに対して深く知りたいと考えだしていたのではないでしょうか。

片親で育った私は他の家とも環境が違う。
そして国籍も同級生達と違う。
自分は何者なのか?
人と違う環境の違和感を補うためにも
自分のルーツである韓国と言う国、
そして同胞の韓国人との接点を探していました。

#2へ続く

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