雨の降らない八女地域にうるおいを~八女の雨乞い~
FM八女「きらきらミュージックBOX ~クラシック音楽の水曜日~」で放送した内容を、読み物として再構成した記事【260902_1】です。放送内容記事は通常3回に分けて公開します。
放送日:2026年9月2日
八女に、雨を
八女では、おととい、ほんの少し夕立のような雨が降りました。ただ、この夏はほとんどまとまった雨がなく、地域の水がめである日向神ダムの貯水率は0.0%。八女地域はカラッカラ。農家の皆さんは、特に雨を待っていらっしゃるはず。
そこで今回は、クラシック音楽で雨乞いです。
いつもなら梅雨どきにやりそうな「雨の音楽」を、あえて9月に。災害にならない程度の、田畑や川やダムを潤してくれる雨を願いながら、三つの音楽を聴きました。
みずみずしく降る、ドビュッシーの雨
C.ドビュッシー『版画』より『雨の庭』
最初は、細かな雨粒が落ちてきます。それが次第に勢いを増し、庭いっぱいに雨が広がっていく。
『版画』は三曲からなるピアノ曲集です。東南アジアの音楽を思わせる『塔』、スペインの風景を描く『グラナダの夕べ』、そしてフランスの庭に戻ってくる『雨の庭』。遠い土地への憧れと、自分の国の風景が一冊の曲集に収められています。
『雨の庭』には、フランスの童謡も織り込まれています。始まりは少し暗いのですが、曲が進むにつれて視界が開け、最後には明るい光まで感じられる。みずみずしく、生き生きとした雨の音楽です。
まずはドビュッシーの雨で、八女に雨雲を呼んでもらいました。
言葉のない『雨の歌』ブラームス
J.ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調』作品78より第3楽章
ブラームスは、音楽に分かりやすい看板を付けるタイプではありませんでした。それなのに、なぜ『雨の歌』なのか。
ブラームスはこのソナタより前に、ドイツの詩人クラウス・グロートの詩による歌曲『雨の歌』を書いています。雨よ、もっと降っておくれ。そうすれば、あの頃の心に戻れる――。かなり短く言えば、そんな内容。
ソナタの第3楽章では、ヴァイオリンがこの歌曲の旋律を歌い、ピアノは雨粒を思わせる動きを引き継ぎます。しかも、そのリズムや旋律の断片は、第1楽章から少しずつ置かれている。最後の第3楽章まで来て、ようやく「ああ、最初から全部ここにつながっていたのか」と分かります。
音楽の伏線回収。気持ちいい。
歌曲を知っていた当時の人たちには、言葉のないヴァイオリンの旋律から、歌詞まで聞こえてきたのかもしれません。
美しいけれど、懐かしくて、少し寂しい。戻りたいけれど、もう戻れない。ブラームスらしい、長い時間を眺めているような雨の音楽。
ベートーヴェンに、ほどよい嵐を
L.V.ベートーヴェン
『交響曲第6番 ヘ長調「田園」』作品68より
第4楽章『雷雨、嵐』~第5楽章『牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち』
ドビュッシーとブラームスの優しい雨で、雨雲もそろそろ八女へ向かおうかと思ってくれたはずです。
ただ、いま八女が待っているのは、もう少し本格的な雨。そこで最後は、ベートーヴェンにほどよい嵐をお願いしました。
『田園』は、あの『運命』とほぼ同じ時期に書かれ、同じ演奏会で初演された交響曲です。人間が運命と激しく格闘するような第5番と、自然の中で心がほどけていく第6番。まったく違う二つの世界を、ベートーヴェンは同時に書いていました。
第4楽章では、小さな雨粒がやがて激しい嵐になります。低い弦楽器がうなり、ティンパニが雷を響かせ、オーケストラ全体が荒れ狂う。しかし雷は少しずつ遠ざかり、雨が弱くなり、音楽を止めないまま第5楽章へ入ります。
そこで広がるのは、嵐が過ぎ、自然がもう一度穏やかな姿を見せてくれたことへの安堵と感謝。
田畑や川やダムを潤す雨がやってきて、通り過ぎての村を見下ろす神の目線、そして神への感謝の音楽。いまこの地域、八女地域の田園、がいちばん求めている第5楽章なのではないでしょうか。
今週の放送記事
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