実践するドラッカー 実践編 第86話:人が変わる。つながりが生まれる。地域へ広がる。――ドラッカー読書会、東北の実践から④(全5話)
事例16-4 答えではなく、問いを持ち帰る場所。
本記事は、実際の読書会での実践報告をもとに、人物名、地域、職業、時期などを一部変更・再構成しています。
前回ご紹介した山形さん(仮称)は、ドラッカーを学び続ける中で、仕事だけではなく家庭や人生にも、思いがけないよい変化が起きていることに気づきました。
では、そもそも学びの場には、どんな問いを持っていけばよいのでしょうか。
最初から、「私はこれを解決したい」とはっきり言える人ばかりではありません。
むしろ、
何かがおかしい。
でも、何がおかしいのか自分でもよく分からない。
そんな状態でやってくる人もいます。
Sさんたちのドラッカー読書会に参加する「岩手さん(仮称)」も、そんな一人でした。
人が辞めていく。でも、何をすればいいのか分からない
岩手さんが働いていた職場では、退職する人が続いていました。
一人辞める。
しばらくすると、また一人辞める。
何か、職場の中に問題があるのではないか。
岩手さんはそう感じていました。
けれど、「これが原因だ」とは言えません。
自分の考えが正しいのかどうかも分からない。
しかも、そのことを安心して相談できる相手が職場の中にはいませんでした。
何かがおかしい。
その感覚だけが残ります。
いわゆる「モヤモヤ」です。
そんな頃、岩手さんにナレッジプラザのドラッカー読書会へ参加する機会が訪れました。
ドラッカーの名前は知っていました。
けれど、具体的に何を説いた人なのかは、ほとんど知りません
それでも、「ここで学んだことを、少しでも職場に持ち帰れたら」と思いました。
同時に、少し職場を離れて気分転換したいという気持ちもありました。
つまり、最初から明確な課題設定があったわけではありません。
何を解決したいのかも、まだうまく言葉にできない。
岩手さんは、そんな状態で読書会に参加しました。
まるで「理想の上司」と話しているようだった
読書会に参加してみると、岩手さんは不思議な感覚を持つようになります。
ドラッカーの本を読みながら参加者と話していると、
職場で自分が感じていたモヤモヤの理由や
「こういうとき、自分はどうあるべきなのだろう」
ということについて、
まるで理想の上司に相談しているような感覚になる。
もちろん、その場に誰か一人の「先生」がいて、答えを教えてくれるわけではありません。
ドラッカーの言葉があります。
読書会ファシリテータからの問いかけがあります。
そして、立場も仕事も違う参加者たちの話があります。
「私は、こう読みました」
「自分の職場では、こんなことがありました」
そんな話を聞いているうちに、自分の中にあったモヤモヤに、少しずつ輪郭が生まれてくる。
ただし、そこで得られるものは、
「こうすれば人は辞めなくなる」
という単純な答えではありませんでした。
むしろ、
「自分は、何を問題だと思っているのだろう」
という問いの方が、次第にはっきりしていったのです。
答えを探す前に、問いを探す
ドラッカーは、戦略的な意思決定について、こう述べています。
戦略的な意思決定では、範囲、複雑さ、重要さがどうであろうとも、初めから答えを得ようとしてはならない。重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。間違った問いに対する正しい答えほど、危険とはいえないまでも役に立たないものはない。
これは、経営上の大きな意思決定だけの話ではないように思えます。
たとえば、「人が辞める」という現象があったとします。
そこで、「どうすれば退職者を減らせるか」と問えば、
待遇を変える、
制度を変える、
面談を増やす、
といった答えが出てくるかもしれません。
でも、もし本当に考えるべき問いが、「私たちは、どんな職場をつくろうとしているのか」だったとしたらどうでしょう。
あるいは、
「働く人たちは、この職場で何を経験しているのか」かもしれません。
さらに、
「自分自身は、その職場をつくっている一人として、どうあるべきなのか」なのかもしれない。
問いが変われば、見えてくるものも変わります。
だからドラッカーは、答えを急ぐ前に、正しい問いを探せと言うのでしょう。
「私は」ではなく、「我々は」
岩手さんの心に強く残ったドラッカーの考え方がありました。
それは、
「私は」ではなく、「我々は」と考えること。
それまでの自分を振り返ると、岩手さんは、決して自分のことだけを考えて仕事をしていたわけではありませんでした。
職場全体をよくしたい。
一緒に働く人たちが、よりよく働ける環境にしたい。
そんな思いは以前から持っていました。
ただ、それをどう捉えればよいのか、うまく言葉にできなかった。
ところがドラッカーの言葉に出会ったことで、
「ああ、自分が大切にしようとしていたのは、これだったのか」
と気づきます。
それまで無意識にしていたことが、言葉によって見えるようになった。
そして、
「この方向でよかったんだ」
と思えるようになりました。
岩手さんは、それを「自信が確信に変わった」と表現しています。
答えを教えてもらったというより、
自分が考えるべき問いと、自分なりの軸が見えてきた。
そんな変化だったのではないでしょうか。
「正解」を教えてくれない
ナレッジプラザのドラッカー読書会には、少し変わったところがあります。
同じ文章を読んでも、
「つまり、この文章の正しい意味はこうです」
と一つの答えにまとめることを目的にはしていません。
ある人は仕事について考える。
ある人は家族について考える。
ある人は、自分自身のこれからについて考える。
それぞれが、
「この言葉は、自分にとってどんな意味があるのだろう」
と考えます。
初めて参加したある人は、その様子に驚いたといいます。
参加者たちは、とても真剣にドラッカーの言葉と向き合っていました。
けれど、不思議と堅苦しくない。
そして、誰かの正解を探すのではなく、
一人ひとりが、自分自身の問いを持ち帰っていく。
そんな場所に見えたそうです。
問いが違えば、答えも変わる
私たちは、何か問題が起きると、すぐに解決しようとします。
売上が落ちた。
どうやって売上を戻そう。
人が辞めた。
どうやって採用しよう。
会議で意見が出ない。
どうすればもっと発言させられるだろう。
でも、ときには、その前に立ち止まった方がよいのかもしれません。
本当に、それが考えるべき問いなのだろうか。
売上が落ちたことではなく、
「顧客にとって、自分たちの価値が変わってしまったのではないか」
を考えるべきかもしれません。
人が辞めることではなく、
「この職場は、人が力を発揮できる場所になっているか」
を問うべきかもしれません。
意見が出ないことではなく、
「違う意見を言っても大丈夫な場を、自分はつくれているか」
を考えるべきかもしれません。
間違った問いを立てたまま、一生懸命に正しい答えを探しても、問題の本質には届かない。
ドラッカーの言葉は、その怖さを教えてくれます。
「分からない」があってもいい
学校の勉強では、
「分かりました」
がよい状態とされることが多いでしょう。
仕事でも、立場が上がるほど、
「分かりません」
「迷っています」
「まだ答えがありません」
とは言いにくくなります。
だから、ときに私たちは、
まだ問いすら整理できていないのに、答えを出そうとしてしまいます。
けれど読書会では、
「何となく引っかかる」
というところから話を始めることができます。
岩手さんが抱えていた職場への違和感も、そうでした。
最初から、
「私の課題はこれです」
と説明できたわけではありません。
本を読み、
自分の経験を話し、
ほかの人の話を聞く。
そうするうちに、
「自分は、何を気にしているのだろう」
「本当は、何を変えたいのだろう」
「自分には、何ができるだろう」
と、問いが少しずつ変わっていったのです。
誰かの言葉が、自分を照らす
別の参加者は、読書会について、とても印象的な表現をしています。
「誰かの言葉が、自分を照らしてくれる瞬間がある」
自分の悩みについて、直接アドバイスをもらったわけではない。
でも、誰かが自分自身の経験について話している。
それを聞いて、
「それ、自分にもあるかもしれない」
と思う。
その瞬間、自分が何に悩んでいたのかが少し見えてくる。
誰かの言葉が「答え」になるのではありません。
自分の問いを見つけるための光になる。
だからこそ、違う仕事をしている人とも一緒に学ぶ意味があるのでしょう。
モヤモヤは、問いになる前の種
ある参加者は、読書会に来ようか迷っている人に向けて、こんな趣旨のことを話しました。
悩んでいてもいい。
迷っていてもいい。
まだ何を変えたいのか、はっきり言葉になっていなくてもいい。
むしろ、そのモヤモヤこそ、この場所に持ってきていいものなのだ。
そして、
この読書会は、
誰かに正解を教えてもらう場所ではなく、
自分の問いと向き合い続けることを応援してくれる場所
なのだと。
考えてみれば、Sさん自身も同じでした。
人が集まらなかったとき、
「どうすれば参加人数を増やせるか」
だけを問い続けたわけではありません。
Sさんが何年も抱えていたのは、
「みんなが心地よくいられるために、私はどうあればいいのだろう」
という問いでした。
その問いから、
「やります」
も、
「やめます」
も、
「休みます」
も言える場をつくろう、という考えが生まれました。
もしSさんが最初から、
「どうすれば集客できるか」
という問いだけに答え続けていたら、今とは違う読書会になっていたかもしれません。
372回積み重なったのは、「答え」ではなかった
宮城さん(仮称)は、
「この人には何が見えているのだろう」
と他者の視点から学びました。
山形さん(仮称)は、
自分でも気づいていなかった「予期せぬ成功」を振り返りました。
岩手さんは、
職場へのモヤモヤを抱えながら、自分が本当に考えるべき問いを探しました。
Sさん自身もまた、
読書会ファシリテータとして、問い続けてきました。
そう考えると、
Sさんが関わってきた372回の読書会で積み重なっていたのは、
「372個の答え」
ではなかったのでしょう。
そこには、
一人ひとりが、
「自分は、本当は何を問うべきなのだろう」
と考えた時間がありました。
そして、その問いを持って、それぞれの職場や家庭へ帰っていった。
読書会とは、答えをもらって帰る場所ではなく、
少しだけ、問いがよくなって帰る場所
なのかもしれません。
そして、その問いを持って生きる人たちがつながっていくと、今度はまた別の変化が起き始めます。
誰かに誘われて参加した人が、別の誰かを誘う。
学んでいた人が、次の学びの場を支える側に回る。
次回はいよいよ、Sさんのところへ戻ります。
一人の参加者から始まった学びが、なぜ人から人へと広がり、東北各地のつながりへと育っていったのか。
この物語の最後をたどります。
【今日の問い】
Q:いま解決しようとしている問題について、あなたが本当に問うべきことは何でしょうか?
私たちは、問題が起きると、できるだけ早く答えを出そうとします。
けれど、その前に、
「そもそも、自分が立てている問いは正しいのだろうか」
と考えてみる必要があるのかもしれません。
たとえば、
「どうすれば部下を動かせるか」
ではなく、
「部下が自ら動きたくなるために、自分はどんな環境をつくれているか」
かもしれない。
「どうすれば売上を取り戻せるか」
ではなく、
「顧客にとって、今の私たちはどんな価値を持っているのか」
かもしれない。
すぐに答えを探す前に、一度、問いそのものを疑ってみる。
いま抱えている問題について、もっと本質に近い問いに言い換えるとしたら、どんな問いになるでしょうか。
次回
一人が変わると、次の一人がやってくる。
東北読書会の第①話はこちらから
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