実践するドラッカー 実践編 第84話:人が変わる。つながりが生まれる。地域へ広がる。――ドラッカー読書会、東北の実践から②(全5話)
事例16-2 同じ本を読んでも、見えているものは違う。
本記事は、実際の読書会での実践報告をもとに、人物名、地域、職業、時期などを一部変更・再構成しています。
前回ご紹介したSさんは、ナレッジプラザの読書会ファシリテータとして、仲間たちとドラッカーの読書会を積み重ねてきました。
その読書会に長く参加している一人が、宮城さん(仮称)です。
宮城さんの本には、二色の線が引かれています。
一色は、自分が気になったところ。
もう一色は、読書会でほかの人が取り上げたところ。
同じ本を読んでいるのに、不思議なくらい違うところに線が引かれていく。
宮城さんは、その「違い」を本の中に残していました。
なぜなら、そこにこそ、一人で読むだけでは得られない学びがあると感じていたからです。
きっかけは、偶然隣り合わせたこと
宮城さんがSさんと出会ったのは、ある講演会でした。
会場でたまたま近くの席になったことから、二人は言葉を交わします。
その後、Sさんに誘われ、宮城さんはドラッカー読書会へ参加するようになりました。
やがて読書会は、宮城さんにとってかなり優先順位の高い時間になっていきます。
仕事や生活の中で悩んでいることがある。
どう考えればよいのか迷っていることがある。
そんなとき、本に書かれた言葉や、ほかの参加者の発言、読書会ファシリテータからの問いかけが、思わぬヒントになることがありました。
ときには励まされる。
ときには、
「自分がやってきたことは、間違っていなかったのかもしれない」
と、自信をもらうこともありました。
読む前に、自分の答えを持っていく
宮城さんは、読書会の一週間ほど前から課題部分を読み始めます。
気になったところに線を引く。
なぜ、その文章が気になったのかを書き留める。
そして当日、どこについて話すのかをもう一度考える。
つまり読書会に来てから、
「今日は何を学べばいいでしょう」
と受け身で待つのではありません。
まず、自分なりに読む。自分なりに考える。
そして、自分なりの解釈を持って場に参加する。
ところが、そこで面白いことが起こります。
「そこを選ぶんだ」
ほかの参加者の発表を聞いていると、自分がほとんど気に留めなかった文章を、別の人が、「私はここが気になりました」と取り上げることがあります。
宮城さんは、そこで思います。
「そこを選ぶんだ」
同じ本を読んでいる。
同じページを開いている。
同じ文章が目の前にある。
それでも、見えているものが違うのです。
宮城さんは、そんなとき、その人が選んだ文章にも線を引きます。
自分が選んだところとは、別の色で。
そうして本の中に、
「自分が見つけたもの」と
「誰かに見せてもらったもの」
が残っていきました。
違う意見は、「違う現実」を見ているのかもしれない
ドラッカーは、意思決定について、こんなことを書いています。
反証がないかぎり、反対する者も知的で公正であると仮定する。
明らかに間違った結論に達している者については、「自分とは異なる現実を見て、異なる問題に気づいているに違いない」「もしその意見が知的かつ合理的であるとするならば、彼はどのような現実を見ているか」と考えなければならない。
これは、簡単なようで難しい姿勢です。
自分と違う意見を聞いたとき、私たちはつい、
「その人は分かっていない」
「事情を知らないから、そんなことを言えるんだ」
「こちらの方が正しい」
と考えてしまいます。
とくに、自分なりに考え抜いたことに反対されたときほど、そうなります。
でもドラッカーは、そこで一度立ち止まれと言います。
相手も知的で、公正に考えたうえで、その結論に達しているのだとすれば、
自分には見えていない、どんな現実を見ているのだろう。
そう考えてみる。
読書会で宮城さんが引いてきた「二色の線」は、まさにその練習になっていたのかもしれません。
「違う」は、間違いとは限らない
ナレッジプラザのドラッカー読書会には、さまざまな人が参加しています。
経営者もいれば、会社員もいる。
管理職もいれば、現場で働いている人もいる。
世代も違います。
仕事も違います。
当然、同じ文章を読んでも、受け取り方は変わります。
宮城さんは、特に世代の違う人の発言が参考になると感じていました。
自分の会社で若い世代と接するとき、
「なぜ、こう考えるのだろう」
と思うことがありました。
でも読書会で、違う世代の人が何を感じ、何を重視しているのかを聞くことで、「そういう見方があるのか」と分かることがあります。
これは単に「多様な意見を聞けて楽しい」という話ではありません。
自分とは違う見方が存在することを、身体で覚えていく。
そこに大きな意味があります。
反対意見を「使える人」になる
職場では、読書会ほど穏やかに意見を聞けるとは限りません。
会議で自分の提案に反対される。
部下から違う考えを出される。
取引先から想定外の指摘を受ける。
そんなとき、私たちはつい、その意見を「自分への否定」と受け取ってしまうことがあります。
けれど、
「自分と違う意見の向こうには、自分には見えていない現実があるかもしれない」
という感覚を持っていれば、少し反応が変わります。
すぐに反論するのではなく、
「なぜ、そう思うのですか」
と聞ける。
「何が見えているのだろう」
と考えられる。
そして、自分の考えを修正した方がよいところがあれば、そこを取り入れられる。
違う意見を排除するのではなく、意思決定の材料として使えるようになります。
これは、経営者やマネジャーにとって、とても大切な力ではないでしょうか。
自分には、自分の死角がある
私たちは、自分が見えている世界を「現実そのもの」だと思いがちです。
でも実際には、
自分の経験。
自分の立場。
自分の仕事。
自分の世代。
自分の価値観。
そうしたものを通して現実を見ています。
つまり、誰にでも死角があります。
厄介なのは、
自分の死角は、自分では見えない
ということです。
だから、他者が必要になります。
同じ文章を読んで、
「私はここが気になりました」と話してくれる人がいる。
「私は違うと思います」と言ってくれる人がいる。
そこではじめて、
「自分には見えていなかったものがある」
と気づけます。
宮城さんの本に増えていく二色の線は、
その死角を誰かに見せてもらった記録でもあるのでしょう。
読書会だからできる練習
読書会では、意見が違っても、すぐに結論を一つにまとめる必要がありません。
Aさんは、こう読んだ。
Bさんは、違うところを選んだ。
Cさんは、自分の仕事に重ねて別の意味を感じた。
その違いを、そのまま持って帰ることができます。
誰かに勝つ必要もありません。
自分の意見を通す必要もありません。
だからこそ、
「この人は、なぜそう見えているのだろう」
と考える余裕が生まれます。
そして、その姿勢を何度も繰り返しているうちに、読書会の外でも、
反対意見を聞いた瞬間に拒絶するのではなく、
一度その向こうにある現実を見ようとする。
そんな習慣につながっていくのかもしれません。
二色の線が教えてくれること
宮城さんの本には、今日も二色の線が増えていきます。
一色は、自分が見つけたもの。
もう一色は、誰かに見せてもらったもの。
読書会とは、
同じ本を読んで、同じ答えを持ち帰る場所ではありません。
むしろ、
自分一人では見えなかった世界を、一つ持ち帰る場所
なのかもしれません。
そして、自分とは違う世界の見え方があることを知れば、
職場で反対意見を出されたときにも、
「なぜ、そんなことを言うのか」ではなく、
「この人には、何が見えているのだろう」と考えられるようになります。
それは単なる寛容さではありません。
よりよい意思決定をするための、大切な習慣なのです。
次回は、こうして続けてきた学びが、仕事の中だけではなく、家庭や人生そのものにまで降りていった一人の物語です。
【今日の問い】
Q:自分への当てつけではないかと思えるような意見や提案をされたとき、その考えを生かすために、自分自身に何を問いかけますか?
自分と違う意見を聞くことは、難しいことではありません。
本当に難しいのは、その意見が自分への批判や当てつけのように感じられたときです。
そんなとき私たちは、相手の言葉の中身を考える前に、
「なぜ、そんな言い方をするのか」
「自分を否定したいのではないか」
と、相手の意図を考えてしまいがちです。
けれどドラッカーは、反対する相手も、まずは知的で公正であると仮定せよといいます。
だとすれば、自分に問うべきなのは、
「この人には、自分には見えていない何が見えているのだろう?」
なのかもしれません。
さらに、
「この意見の中に、自分の判断をよりよくするために使えるものはないだろうか?」
と問い直してみる。
相手の言い方に賛成する必要はありません。
相手の意見をそのまま採用する必要もありません。
それでも、感情的に退ける前に、その意見が生まれた背景にある「違う現実」を探してみる。
その習慣が、自分とは異なるものの見方を、よりよい意思決定に生かす力になるのではないでしょうか。
次回
学びは、仕事だけでなく人生にも降りてくる。
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