実践するドラッカー 実践編 第12話:縮小市場で老舗企業はどう生きるか③(全4話)
事例3-3 [事業編]の実践~自社の「事業の定義」を変える決断をした日
本記事は、実際の企業事例をもとに、人物名、社名、地域、時期、数値などを一部変更・再構成しています。
―コロナ禍で始まった新領域
前回、甘酒ブームをきっかけにC社長の会社は、
「日本酒の酒蔵」ではなく、米発酵の技術を生かす会社」
として自分たちを捉え直しました。
しかし、そのブームもやがて落ち着き始めます。
次の柱をどうするか――。
会社はすでに、その問いに向き合い始めていました。
そこで取り組み始めていたのが、スピリッツという領域でした。
当初は、米からすべてを自社でつくる構想でした。
しかし同業の経営者から、
「全部自前でつくる必要はない。スピリッツは買った方が合理的だ」
という助言を受けます。
“すべてを自分たちでつくる必要はない”
この発想の転換が、次の一歩の土台となっていました。
そして――コロナが起きます。
■酒が売れない、アルコールは足りない
2020年。
新型コロナの流行で飲食店は休業し、酒の売上は急減しました。
一方で社会では、消毒用アルコール不足が深刻化します。
酒屋には高アルコールの蒸留酒を求める人が殺到する――
そんな異常な状況が広がっていました。
やがて国は、酒造メーカーによる消毒用アルコール製造に対し、
酒税を免除する特例措置を打ち出します。
■「うちなら作れる」
その一報を聞いた瞬間、C社長は思いました。
「これは、うちの仕事だ」
発酵の知識、設備、そしてスピリッツ製造の免許。
必要な条件は、すでに揃っていました。
実際の製造は、仕入れたスピリッツに水を加え、
濃度を調整して瓶詰めする工程です。
つまり――
持っている資源の組み合わせで、社会に必要なものはつくれる。
その発想が、この一歩を可能にしました。
ちょうどその頃、同業の経営者が高濃度アルコールの製造を試みるも、
立地の問題で消防の許可が下りず、計画が止まっていました。
そこで声がかかります。
「Cさん、これ作れないか。原料は用意するから」
田んぼの中にある立地。周囲に住宅がない環境。
それはこのとき、強みとして働きました。
こうして製造は一気に動き出します。
しかし同時に、C社長の中には一つの迷いがありました。
「本当に、これを自分たちの事業としてよいのか」
■壁1:未知の世界に乗り出す不安
酒蔵が消毒液をつくる。
現場には、やったことのないことへの不安がありました。
そして何より、C社長自身の中にも迷いがありました。
これまで掲げてきたのは、
「米発酵文化を未来へ」という理念。
原料は米、発酵技術を活かす――
そう定義してきた事業の枠組みから外れるのではないか。
さらに、日本酒業界には
「純米こそが本来の姿」という価値観もあります。
その中での決断でした。
背中を押したのは、創業の歴史です。
この会社はもともと、酒だけでなく
地域に必要なものを扱う商いをしていました。
その一つが、薬種商。
当時は地域になくてはならなかった子ども向けの胃腸薬を扱っていた時代があったのです。
「私たちは、何をしてきた会社なのか」
その原点に立ち返ったとき、迷いは決断へと変わりました。
■壁2:さまざまな「規制」
もう一つの壁は、複雑な規制でした。
高濃度アルコールには
国税庁 → 酒税
保健所 → 食品
消防 → 危険物(度数77%)
と、複数の制度が関わります。
そして実務の現場では、それぞれの指導が 矛盾する形で現れました。
たとえば――
保健所の指導では、食品衛生の観点から
虫や異物の混入を防ぐために
密閉された衛生的な環境での充填が求められます。
一方で、消防法の観点では
アルコールの気化による事故を防ぐため
風通しのよい開放的な環境での充填が求められました。
つまり、
食品としては密閉、危険物としては開放
という、相反する要求に向き合うことになったのです。
さらに、酒類は本来口に入るものとして食品衛生法の対象となりますが、
消毒用アルコールは
「飲用不可」表示が必須となります。
つまり、
食品なのか、そうでないのかも曖昧な領域
にあったのです。
現場では「どちらを守ればいいのか」という葛藤が生まれました。
最終的にC社長は、双方の危険度を勘案して
消防法を優先し、屋外のテントで充填する
という判断を下します。
すべてを満たすことはできない。
それでも
今、必要とされている供給を止めない
その意思決定でした。
■小さな会社の機動力
こうして 消毒用アルコールの製造が始まりました。
この商品は全国でも五本の指に入るほど早いタイミングで認可されます。
そこにあったのは小さな会社ならではの機動力でした。
商品はネットショップでも 大きな反響を呼び、 売上は酒の落ち込みを補うほどになりました。
さらに 地域の医療機関などへアルコールの寄贈も行われました。
危機の中で 自分たちの技術が 社会の役に立つ。
それは社員にとっても 大きな誇りとなりました。
■社会のニーズを事業機会として捉える
この決断は偶然ではありません。
自分たちを「酒蔵」ではなく「米発酵技術を生かす会社」と捉え直していたからこそ、見えた機会でした。
ここで思い出されるのが、ドラッカーの言葉です。
イノベーションは経済発展には不可欠のものである。実に、経済発展とは企業家的な仕事である。マネジメントたる者は、社会のニーズをもって、利益をあげる事業機会としてとらえなければならない。
/社会のニーズをイノベーションの機会とする p.106
(マネジメント(上) p.83)
コロナ禍で生まれた「消毒用アルコール不足」という社会のニーズ。
この会社はそれを、事業機会として捉え、行動しました。
そして、この経験にはもう一つ大きな意味がありました。
甘酒ブームの後、スピリッツ事業を始めた当初は、社内にもC社長自身にも迷いがありました。
「本当に売れるのか」
「日本酒にもっと集中すべきではないか」
そんな不安が残っていたのです。
しかし、高濃度アルコールを製造し、社会の役に立てたことで、その迷いは少しずつ変わっていきました。
「スピリッツ事業に取り組んできたことは、間違いではなかった」
その実感が、現場に腹落ちしていきます。
これは単なる売上回復ではありません。
自分たちの新しい可能性を、社員自身が実感した出来事でもありました。
■次回
この機動的な対応の成功体験は
現場の価値観や行動を変えていきます。
次回は 高濃度アルコール商品提供の経験が
組織にどのような変化をもたらしたのかを 見ていきます。
(つづく)
【今日の問い】
Q:あなたの会社で、「これは自分たちの仕事ではない」と感じていることは何ですか?
Q:その中で、社会や業界や市場、お客様から本当に求められていることは何ですか?
Q:それが明確になったとき、現場の価値観や行動は、どのように変わると思いますか?
最初から新しい挑戦を歓迎できる組織は、多くありません。
特に、長い歴史や誇りを持つ会社ほど、
「自分たちは何者なのか」
という価値観を大切にしています。
C社長の会社でも、当初は「酒蔵が消毒用アルコールを扱うのか」という戸惑いがありました。
しかし、実際に社会の役に立ち、お客様から必要とされる経験を通して、現場の見方は少しずつ変わっていきます。
人の価値観は、説明だけでは変わりません。
実践し、成果を実感することで変わっていく。
そしてその変化が、次の挑戦を可能にしていくのです。
この一連の物語の第①話はこちらから。
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