墓の魚ユニバース・オーケストラ:死のシミュラークとゴシック・パロディの学術的解剖Ⅰ
こんにちは。
海洋生物と死のオーケストラ
「墓の魚ユニバース・オーケストラ
(Tomb Fish Universe Orchestra)」
の作曲家です♪
今日は私の作ったオーケストラの紹介を
優しさなく(笑)
まるで本の様に解説していきますよ(笑)
序論:

死のオーケストラ、
あるいは、
墓の魚ユニバース・オーケストラ(Pez de Tumba Universe Orchestra)は、海洋生物の死骸と、
墓地の美学を織り交ぜた、
現代におけるメメント・モリの再構築である。
「夜明け前の墓地に行ってはならない。
そこには現実の異数性の影が
談笑しながら
まだ、過去に終演した劇を演じている故に・・」
■■[墓の魚]の歌詞より
このプロジェクトは、
ジャン=ボードリヤールの
シミュラーク論を彷彿とさせる虚構の層を重ね、
死を「実体なき記号」として提示する。

作曲家は、ファドの哀愁、マヌーシュジャズの野性、
そしてゴンゴリスモの現代的再解釈を通じて、
キリスト教神学と、
魔女の物語をパロディ化する。
方法論:
ボードリヤールのシミュラークと、
ゴシックのパロディ

ボードリヤールは
【シミュラークとシミュレーション】で、
現実は記号の連鎖に置き換わり、
実体を喪失する・・
と論じた。
墓の魚ユニバースは、
死をシミュラーク
(独り歩きした実体の無い象徴)
として扱い、
海洋生物の腐敗や、墓地の行進を、
虚構の記号として再構成する。
例えば、
作曲家の詩
「遺骨としての牛の讃美歌」は、
この戦略を明示する。
牛の遺骨は、物質的実体(肉体)から分離され、
詩的ソナタ形式で「讃美」される。
ここで牛は、
シェイクスピアの【ハムレット】のヨリックさながら、
「髑髏」として意味を剥奪され、
かつ新たに意味を付与される。
このユニバースは、
ゴンゴラのバロック詩法(過剰な修辞、隠喩の迷宮)を
現代的に継承し、
ネオ・サイエンス・ゴンゴリスモを標榜。
作曲家の詩は、物質の崩壊を神聖化しつつ、
その無意味さを嘲笑う。
そして、その無意味さこそが
キリスト達の計略であるとし、
無意味さの中に救済を見つける。

音楽的テクスチャ:
ファドと、古楽、マヌーシュジャズのハイブリッド

墓の魚の音楽は、
ポルトガルのファドと、
フランスのマヌーシュジャズを融合し、
死のシミュラークを音で表現。
ファドのメランコリーは、
ポルトガルの「サウダーデ」(郷愁)を反映し、
マヌーシュジャズの野性は、
ジプシーの祝祭性を召喚。
トイピアノの不協和音は、
ゴンゴラの詩的破綻(過剰な隠喩の崩壊)を
音響的に模倣する。
(例:腐敗の過程が
「聖歌隊」を率いる滑稽なイメージを、
アコーディオンの揺らぎと、
マカフェリギターの断続的リズムで具現化)
ホドロフスキーや、ボードリヤール的な表現をするなら、
音楽は実体の不在を隠蔽し、
ハイパーリアルな「死のオーケストラ」を構築している。
視覚的記号:
魔女と、マザーグース的な台詞

墓の魚ユニバースは、ネットで公開される
200以上の魔女イラストで、
視覚的シミュラークを展開。
各魔女は、毒のある台詞と詩篇で、
人間社会の虚栄と欺瞞を体現。
ゴンゴラの隠喩過多な詩がテキストであるなら、
魔女は視覚的バロックとして機能している。
「おい、
一口も飲めない最低の酒は
「自分」って名前なんだ!
だから俺らは「他人」の下らないものに酔っぱらって、
奴らのノリを追いかけてるんだよ!」
■■[墓の魚]の魔女の毒舌より
学術的意義:
現代におけるメメント・モリの再構築

墓の魚ユニバースは、
ポストモダン文化における死の再定義を試みる。
ボードリヤールのシミュラーク論を援用すれば、
死はもはや生物学的終焉ではなく、
記号の祝祭である。
ファドの哀愁は、ポルトガルの歴史的喪失を、
マヌーシュジャズは、ヨーロッパの周縁文化を、
魔女は、キリスト教の抑圧と解放を
それぞれ参照しつつ、
それらをパロディ化。

このユニバースは、
ファドや、タンゴ、オペラなど
全時代の墓碑銘とも言える死体達を独自に創造し、
SNS時代の均一化
(ポップの氾濫、異世界転生の模倣)
へのアンチテーゼすら彷彿とさせ、
さらなる次世代文化での展開が期待される。
結論:
墓の魚というリアルな墓碑銘

墓の魚ユニバース・オーケストラは、
死をシミュラークとして提示し、
ゴシックユーモアで現代の虚無を嘲笑う。
「遺骨としての牛の讃美歌」は、
牛の骨を通じて神学、欲望、平等をパロディ化し、
聴衆にカタルシスを強いる。
ボードリヤールのハイパーリアリティ、
ゴンゴラの修辞的迷宮、
シェイクスピアの存在論的問い
を継承しつつ、
墓の魚は新たな死のオーケストラを奏でる。
最初に言った様に
このオーケストラは、
まさにメメントモリ(西洋の死に関する古典)の
再構築という言葉が相応しい
挑戦的なテーマに挑んでいる。
即ち、再構築とは、
南ヨーロッパ的な西洋哲学の模倣ではなく、
西洋人としての、その先の課題であり、
非常に非アジア的な試みであると言える。
アジアにおけるヨーロッパ芸術(フラメンコやオペラ)の
演奏や、伝統伝授は、
主に模倣と学習がメインであり、
それ故に、その先の実験的なテーマへの展開は、
非常にアジア圏において
需要の無い領域である事が
大きな障壁であり、楽しい課題と言えよう。

読者よ、
YouTubeでその音を、
noteでその詩を、
pixivでその魔女を目撃せよ。
そして、死の滑稽なパレードに参加せよ。
さもなくば、甲虫の晩餐に招かれるだけだ。
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した楽曲
こちらで公開中です↓↓↓
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