カーブドッチ物語 #10|音が降り注ぐ音楽ホール
今回は、ワインからちょっと横道にそれて、クラシック音楽や建築デザインにまつわるお話。興味のない方もいらっしゃるかもしれません。
でも、カーブドッチにはいろいろなこだわりがあって、それがやがてワインづくりにつながっていくのがよく分かります。かくいう私も、事業を進めながら新しい出会いや発見を繰り返して今に至っているのですから。できればお付き合いくださいね。
一人の建築家との出会い
さて、夢の音楽ホールの設計をお願いしたのは、白鳥健二先生。私の自宅があった鎌倉のすぐ近くに事務所を構えていた建築家さんです。
当時、湘南のあちこちに目を引く建物があり、思い切って事務所を調べて訪ねた私。そこで、快く迎えてくださったのが白鳥先生です。
ご夫婦と数人のスタッフで営む小さな設計事務所で、私は「新潟でワイナリーを始めるので、製造場の設計をお願いしたい」と相談しました。
白鳥先生の経歴はとにかくユニークです。
大学卒業後に都市建築家のパオロ・ソレリ氏に師事。アリゾナの砂漠でエコロジー型の実験都市計画に携わりながら、自給自足の共同生活を送っていたそうです。
帰国後は黒川紀章設計事務所で研鑽を積み、やがて独立して「アトリエCOSMOS」を設立。温厚な先生と、しっかり者の奥様の二人三脚で歩んでこられました。
アトリエもとても素敵。先生のホームページも、ぜひ覗いてみてください。
経歴を伺っただけでワクワクしました。宇宙を意味する「COSMOS」という事務所の名前からも、広がりやロマンを感じます。木をふんだんに使い、印象的に曲線を取り入れる建築デザインにも惹かれました。
古代ローマに学んだ美しいフォルム
最初に手がけていただいたのはワイン製造場、次いで音楽ホール。やがてカーブドッチ全体で、計6棟もの設計をお願いすることになります。

カーブドッチの2つ目の建物です
なかでも音楽ホールのデザインは、想像をはるかに超える美しいフォルムと斬新なアイデアに満ちていました。

ワイン製造場とはテラスでつながります
音楽ホールのフォルムは、古代ローマ時代に生まれた「バジリカ様式」を模したものです。
もともとは市民の集会場に用いられた建築様式で、正面に半円のドームが設けられ、そこに議長席が置かれていました。長方形の中央ホールを、両サイドに並ぶ円柱が支え、その外側に側廊が続く構造になっています。のちには、ロマネスクやゴシック様式などの教会建築にも受け継がれていきました。

写真:Berthold Werner, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3409120
正面のドームはまさにピアノの舞台。ピアノが主役になって、さぞや引き立つことだろうとうっとりしたのを覚えています。
歴史を刻んだ古材を再利用
建材にもさまざまな工夫を凝らしています。
まず、床材はアメリカの南北戦争時代にジョージア州の公会堂で使われていた古材を再利用しました。「ロングリーフパイン」という建材で、いわゆるパイン材ではありますが、アメリカではもう繁殖しておらず、取り壊された建物からしか入手できない大変貴重な木材です。
通常のパイン材とは異なり、機械加工が難しいほど硬く、針葉樹のなかでも最高レベルの強度を誇ります。
公会堂の梁だった太い材木を船で日本へ運び、乾燥させて反りを直したうえでフローリング材に加工。一部はテーブルに、残りは床材として貼り込みました。
興味深いことに、ところどころに、当時の釘穴や南北戦争の鉄砲の弾痕が残っています。

赤外線で異物チェックをしたところ、
鉄砲の弾が出てきました
バジリカ様式の象徴である円柱には、懐かしい木製の電信柱を再利用しました。
東北電力が使用済み廃材として保管していたものを、一本2,000円で譲り受けたのです。電信柱は今でこそコンクリート製ですが、以前は木製でしたよね。
きっかけは、最初のワイン製造場の建設です。タンクの洗浄水がはねて柱が水浸しになるので、防水・防腐加工が徹底された電信柱に目をつけました。
風雨にさらされた味わい深い質感も気に入って、新潟県内に保管された電柱は、カーブドッチがすべて買い占めたのかと思うほど、ワイナリーのあちこちで活躍しています。

言われなければ気づかないですね
ワイナリーだから、ワインの香りが染み込む古材を選びましたが、そのおかげで、新築でありながら落ち着いた風合いの、安らぎを感じさせる音楽ホールに仕上がりました。

ひときわお洒落な佇まいです
音と光が満ちる小さなホールが完成
ホールは、ピアノを中央に置いたときに音色が美しく響くよう、入口に向かって台形状に広がっています。床も、壁も、天井も、平行な面はひとつもありません。
この構造が無駄な反響を抑え、ホール全体に音がやわらかく行き渡ります。高い天井へと昇った音は降り注ぐように広がり、理想の響きを叶えてくれるのです。
窓枠はまるで額縁。外の風景を一枚の絵画のように切り取って見せてくれます。高さ7メートルの天窓からは、音だけでなく柔らかな光も降り注ぎ、室内は厳かな雰囲気に。新潟の厳しい冬に備えて床暖房を備え、快適に過ごせる工夫もしました。
こうして、周囲の自然とも調和する200席ほどの小さな音楽ホール兼レストランが完成。ただ、このときはまだピアノを購入する余裕はありませんでした。

今はピアノがあります
レストランは波乱の船出
夢を詰め込んだ音楽ホールですが、まずはレストランとして軌道に乗せなければなりません。1995年6月17日、音楽ホールはレストランとしてオープンしました。ワイナリーの開業からわずか一年半後のことです。
「タヌキとウサギしか来ない」と、からかわれるほど訪れる人もまばらなワイナリーに、果たしてお客様が来てくださるのでしょうか。
それでも「ワインのひとりごと」で発信を続けていたおかげか、この頃には地元・新潟の会員さんも増えていたので、不安もありつつ心のどこかでは「大丈夫だろう」と思っていました。

お花を飾りました
オープン当日。
開店時間の午前11時に正面のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、ずらりと並びオープンを待ちわびるお客様の列。
「朝から待ってたよ」「家族で来ました。おめでとうございます」という言葉に迎えられ、胸をなで下ろすと同時に16卓のテーブルが一瞬で満席になりました。
厨房も、フロアも、スタッフは皆んな新人ばかりです。やる気は十分でしたがあたふたと慌ててしまい、オーダーミスや配膳の間違いが続発。
このままでは評判を落としてしまう…。そこで、テーブルが空いたら思い切って「予約席」の札をあちこちに置きました。情けないけれど仕方がありません。
16卓を12卓に減らして、なんとか初日を乗り越えました。この日、入れなかったお客様には、今でも頭が上がりません。

ちなみにランチコースのお値段は2,500円〜4,500円。当時としては、東京のフランス料理店なみの価格帯でした。
大人のための空間を守りたくて
オープンから間もなくして、またしても大きな問題に直面。というより、経営者として判断を迫られる出来事がありました。地元・新潟のお客様が増えるにつれて、小さなお子様連れの姿が目立つようになったのです。
フロアを走り回ったり、泣きやまなかったり…。もちろん、ご両親がまわりに配慮してくだされば良いのですが、「自由にのびのび育てたい」という想いからか、レストランでの基本的なマナーが守られない場面が続きました。
そこで、オープンからわずか1ヶ月で、レストラン カーブドッチは「お子様連れのご利用をお断りする」という決断を下しました。
お子様が遊ぶ場所は他にもある。カーブドッチは、ワインを楽しむための大人の空間にしたい。それに、「静かに座っていなさい」と強いられることは、子どもにとっても酷だと思いました。
以来、カーブドッチのレストランや温泉、宿泊施設はすべて「お子様お断り」を貫いています。これからも変わることはないでしょう。
当時は大きな反発もありました。東京の三つ星ならいざ知らず、新潟でこの方針は珍しかったため、お客様から「理由を説明せよ」「責任者を出せ」と強い口調で詰め寄られることもありました。答えは決まってこうです。
「申し訳ございません。公共施設ではございませんので、私どもの方針でそうさせていただいております」
偉そうに聞こえるかも知れませんが、理由はないのです。駄目なものは駄目だと、誰に対しても対等にお答えするようにしました。「大丈夫です。うちの子に限ってお行儀がいいので」と言われても、親御さんがそう思うだけ。他のお客様にとっては違うかもしれません。
この方針が世に理解されて浸透するまでには、実に十年の歳月がかかりました。
音楽ホールはレストランとして大活躍。初年度に一億円もの現金収入を生んで、駐車場の借金返済にも目処がつきました。さらに、想像もしていなかった事業へとつながっていくのです。
次回もお楽しみに。
