カーブドッチ物語 #09|ピンチをチャンスに変える
降って湧いた駐車場の土地の取得。思いがけず背負ってしまった4,600万円もの借金。
乗り越える秘策として考え出したのが、レストラン運営でした。結果として、このピンチをチャンスに変えることができたのです。
夢は、美しい音楽が響くレストラン
ナパを訪れた時から、いずれはレストランをやりたいと考えていました。 けれども、その時がこんなに早く来るとは想像していませんでした。
思い描いていたのは、ただのレストランではなく、ジャズのライブやクラシックの生演奏など、美しい音楽を聴きながらワインを楽しめるレストランです。ナパでは、ワイナリーのあちこちに音楽が溢れていて、日常に溶け込んでいました。
私は、もともとクラシック音楽が大好きです。あの心地よい時間をカーブドッチにも取り入れたい。ならば、音楽ホールを兼ねるレストランを作ったらどうだろう。そうすれば、レストラン運営だけでなく、コンサート事業などでも収益を得られる! そんな未来を描きました。
実は、共同経営者の落さんは大のヴァイオリン好き。親友のドイツ人ヴァイオリニストが、毎年コンサートで日本を訪れるたびに通訳として同行していました。特にヴェートーベンのヴァイオリンに魅了されていて、私もその影響でヴァイオリンの演奏ばかり聴いていた時期もあるほどです。
音楽ホール構想に一番積極的だったのも落さんでした。コンサート運営の経験もあって心強く、大きな支えとなりました。
よみがえる、幼き日のどん底暮らし
音楽のことをあれこれ考えていたら、ふいに幼い頃の光景がよみがえりました。
私はピアノを習ったことはなく、今だにまったく弾けません。そういう環境の家庭ではなく、なにより当時は経済的に無理を言える状況ではありませんでした。
小学3年生の頃、家族4人で暮らしていたのは、東京・大田区にあった四畳半一間のアパートでした。両親の実家は名古屋の大きな商家でしたが、私が幼い頃に倒産して一家離散。父、母、私、弟は、何年かバラバラに暮らしていました。
やがて、両親が上京。名古屋に残してきた私たちを順番に呼び寄せ、再び4人で暮らし始めたのがこの頃です。
それは、我が家にとってまさに「極貧期」と呼べる時代。けれども、何年かぶりに家族で寄り添う毎日は、それなりに楽しくもありました。その後、父の商売が軌道に乗り、引越しを繰り返しながら、高度成長期の恩恵を受けて豊かさを取り戻していきます。
忘れられないピアノのトラウマ
小学生の頃、私に仲の良いお友達ができました。彼女は大きなお家に住むお嬢様。でも不思議と気が合い、私はいつも学校帰りに彼女のお家に遊びに行っていました。
私は、全く違う暮らしぶりに興味津々。何よりも驚いたのは、通された部屋のど真ん中に、黒光りするグランドピアノが鎮座していたことです。
彼女は私のためにピアノの重いふたを開けて、聴いたことのない曲を弾いてくれました。小学生なのに、人前でピアノを弾く姿は驚くほど立派で、まるで天使のよう。
その音色は心に沁みたけれど、同時に「世の中には自分と違う世界があって、私はそちら側には行けない」と痛感さられました。
その日から、私にとってピアノは豊かさと憧れの象徴となったのです。

高校時代には、ボーイフレンドの家で再びピアノに出会いました。
初めて訪ねたその日、何と、彼も私のためにピアノを弾いてくれたのです。ヴァイオリンが得意なのは知っていたけれど、まさかピアノも弾けるなんて! メンデルスゾーンの曲の甘く切ない調べに、ただうっとりと聴き入りました。
その時、いきなりドアが開き、部屋に入ってきた彼のお母さまがこう言ったのです。「千恵子さんもピアノをお弾きになれるのでしょう? どうぞ、遠慮しないで、どうぞ」
うつむいたまま、何も答えられなかったのを覚えています。そして、二度とそのお宅に伺うことはありませんでした。
いったい私は何がしたいの?
私にとってピアノは憧れであると同時に、ほろ苦い思い出とコンプレックスの象徴。でも、不思議と心の奥に棲みつづけて、忘れることのできない存在でした。だからこそ、「そうだ、ピアノが聴ける音楽ホールが欲しい」と考えたのです。
今こそ、遠い昔に抱いた憧れに手が届くチャンスなのではないかと。
はたから見れば、充実した日々を送っているように見えたかもしれません。けれど、ワイン事業は何となくの勢いで始めたもの。私はワインを作れないし、そもそも誘われたから関わっているだけです。
このまま事業を発展させた先に、何が待っているのか。ワイナリーが成功すれば、「いい人生だった」と言えるのか。再び、私はいったい何がしたいのかが、よく分からなくなっていました。
ヴィノクラブの皆さんとともに
そうはいっても、悩んでいる暇はありません。とりあえず音楽ホール兼レストランを建てるにしても、手持ちの資金はなし。銀行もそこまでは面倒を見てくれませんから。
まずは、出資者の皆さんに相談しました。
すると、「はるばるここまで足を運んでくれるのだから、美味しい料理やワインと一緒に音楽と楽しんでもらおう」「いい気分になれば、ワインももっと売れるのでは」と、口を揃えて賛成してくれたのです。資金調達はトントン拍子に進みました。
ならばと、ヴィノクラブの会員さんにも出資を募ることにしました。創業2年目の出来事です。
ニュースレター「ワインのひとりごと」で呼びかけたところ、たくさんのお問い合せをいただき、最終的に34名の会員が出資を決めてくださいました。
さらに、取引先の酒屋さんや県内企業の社長さんたちも加わり、株主は一気に50名を超えるまでに。こうして目標としていた建設資金8,000万円を調達することができたのです。

オール木造のホールが完成
製造場の前にはケヤキのガーデンがあって、その木々の中に音楽ホール兼レストランを建てることになりました。設計士の先生には、「規模は小さくとも音響の良い木造の建物を」とお願いしました。
普段はレストランとして使い、椅子を並べれば200席ほどのコンサートホールに。もちろん、中心にはピアノを置けるスペースを確保しました。

木材には、建材としても音響環境としても優れた特性があります。夏は木目が開いて通気性を保ち、冬は逆に目が詰まって乾燥を防ぐため、ピアノにとって理想的な環境を作りやすいのです。
また、音を跳ね返す反射板の役目を果たし、豊かな残響を保ちながら適度に音を吸収して、バランスの良い響きを生み出してくれます。ヴァイオリンやピアノなどの楽器に木材が使われるのと同じく、ホールそのものも「ピアノと共鳴する器」となることを期待しました。
木は音を整えるだけでなく、香りも吸収します。長い年月のうちにワインの香りが柱や壁に沁み込み、やがてはワイナリーらしい温かみと落ち着きのある空間となるでしょう。
最初に建てたワイン製造場も木造でしたし、これから周辺に増えていくであろう建物も、規模に関わらず全て木造にしようと決めました。

「木は小さく植えて大きく育てろ」ということわざがあります。建設当時はケヤキもまだ細く木陰もありませんでしたが、それから約30年。今では大木に育ち、豊かに茂っています。
誠実に、正直に伝え続ける
ヴィノクラブと同時に創刊したニュースレター「ワインのひとりごと」は、昨年100号を超えました。
最初は、文章も写真も手作業で切り貼りし、レイアウトも手探り。発行日さえ入っていないような素人感あふれる簡素なものでした。

新潟苗植えツアーを呼びかけたり
それでも、当時の私たちにとっては唯一の発信媒体。だからこそ、ぶどうの生育状況や建設の進捗、時には財政状況まで、思いつく限りのことをオープンにしていきました。心がけたのは、嘘いつわりなくすべて正直に伝えることです。
私たちが売っているのは「夢」。
夢は、いくらでも大風呂敷を広げられますが、実現してこそ価値があり、信用につながります。だから、実現できそうにないことは言わないし、書いたことは必ず叶える。これを徹底しました。信用を得るには長い時間がかかるけれど、失うのは一瞬ですから。
ワイナリーオープンの時も、東京からバスを仕立てて会員の皆さんにお披露目しました。瀟洒なデザインの建物に、ピッカピカのタンクが並ぶ製造場。出来立てのワインに心を込めたおつまみを添え、一緒になって新築をお祝いしました。
「こんな素敵な建物になるなんて!」
「もっとプレハブの倉庫みたいなのを想像してたよ」
そう言って、自分のことのように喜んでくださる方もいれば、ワインを飲み過ぎたのか、感極まってボロボロと涙を流す方もいました。「まさか、ホントに建つとは思わなかった。きっとダメだと思ってた」と。いえいえ、私たちはホントに建てるつもりでやっていたのですが…。
声を聴き、声に応える経営を
創業前のドタバタを乗り越え、私も落さんもオーナーシップをあきらめ、たくさんの方に関わっていただくやり方を選びました。
◎10年にわたってワインをお届けする仕組み
◎地道な発信の積み重ね
◎夢を共有するコミュニティづくり
それが、カーブドッチならではの強みになっていきました。
私たちにとってヴィノクラブ会員の皆さんは、顧客であり、同じ夢を共有し、試行錯誤とともに楽しんできた同志です。だからこそ、カーブドッチはここまで成長することができたのだと思っています。
「ヴィノクラブ」は発足から今年で30年余。入れ替わりも含めて延べ会員数は2万人以上になりました。現在も変わらず、カーブドッチを支える大きな柱です。
次回は、ピアノへの憧れやこだわりを詰めこんだ、我ながら「よくここまでやるよ」と呆れてしまうほどの音楽ホールのお話。そして、ヴィノクラブの楽しい活動やイベントのご紹介です。
次回もお楽しみに。
