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カーブドッチ物語 #11|結婚式もカーブドッチらしく

事業を優先して、レストランとして歩み出した音楽ホール。

初めて携わった飲食業は、とても満足度の高いお仕事でした。人は美味しいものを食べた時、幸せいっぱい、笑顔いっぱいになるのですから。

そして、思いもよらぬ出会いが次々と訪れます。結婚式を開きたいというお客様、ウィーンから届いた一台のピアノ。どちらも、カーブドッチにとってありがたい転機となりました。


きっかけは、お客様の一言

レストランの開業からしばらくして、若いおふたりから「ここで結婚式はできませんか?」と声をかけられました

確かに、正面にある祭壇のようなアプスにおふたりが並ぶと絵になります。音楽ホールは、結婚式のために作ったかのように見えました。

ぶどう畑の向こうは角田山
このロケーションも、ハレの日を彩ってくれます

結婚式の運営経験はゼロ。けれど、新しいもの好きの私は、早速東京へ視察に出かけます。ちょうどその頃、ホテルや専門式場ではなく、レストランで行うウェディングが広がり始めていたのです

特に、ミシュランの星付きレストランは、こぞってお料理を重視した自由度の高いプランを打ち出し、新事業として話題になっていました。

調べてみると、ウェディング業界の特殊な仕組みも見えてきました。衣装や装花、写真、美容、引出物、新婚旅行に至るまで、結婚式にはたくさんの専門業者さんが関わります。

その裾野は広く、会場と専属契約を結ぶために多額の保証金やマージンが介在するのが常。「寿」の名のもとに、大きな利権が生まれ、業者さんは会場側の顔色ばかりを伺うようになっていました。本当に顔を向けるべきは、結婚するおふたりの方なのに。

三方よしは商売の基本
私は、関西出身の商売人だった父から、「三方よし」という言葉を教わっていました。売り手が儲け、お客様も喜び、社会にも貢献すべしと言う近江商人の心得です。

売り手ばかりが儲けてはいけない。お客様も、業者さんも満足するやり方でなければならない。現代の「企業の社会的責任」や「サステナブル経営」にもつながりますね。


どうせやるなら、カーブドッチらしく

新潟では、レストランウェディングはまだ珍しい存在。どうせならパイオニアとして思いっきりカーブドッチらしいものをやりたいと、がぜんやる気が出てきました。

私たちがこうありたい思うことは、胸を張って貫こう。そう決めて、まずは専門家のチームを結成しました。

お互いの仕事に敬意を払いながら、誠実におふたりに向き合うことのできる仲間たちです。カーブドッチはマージンをいただかず、その分価格は良心的に。

カーブドッチはレストランですから、料理とワインで精一杯売り上げれば良いのです。引き出物には、おふたりの手作りラベルを貼ったワインをお勧めしました。

オリジナルラベルは自由な発想で


フルコースの価格に込めた覚悟

一番頭を悩ませたのは、お料理代の設定でした。

当時の東京の高級レストランではフルコースは1〜2万円、新潟の相場は5千円です。高くし過ぎて金額を後から下げるのは嫌かと言って、「安さ」で選ばれるのはもっと嫌でした。

悩んだ末に決めた答えは、1万5千円。その頃の新潟では破格の金額でしたが、料理の味には自信があるし、さらにワイナリーには抜群の自然環境もあります。必ず納得していただけると信じました。

おふたりにとって、
夢のようなガーデン挙式を


ブライダルプロデュースで大忙し

当分の間は、私がプロデュースを務めました。お式は芝生での人前式。余興やイベントは極力控えてもらい、新婦が長時間席を離れるお色直しも避け、美味しいお料理とワイン、そして和やかな会話を楽しむシンプルな結婚式が出来上がりました。

ガーデンでのブライダルパーティ

制約が多く、おふたりには窮屈だったかも知れません。けれど、良いと判断すれば即座に動く、結束の固いカーブドッチチームだから見ることのできた景色もありました。

あいにくの雨で、ガーデン挙式を断念した日のことです。披露宴の途中で突然雲が切れて、光が差し込みました。カメラマンさんの咄嗟の判断で、「皆さま、外が晴れています!おふたりを囲んで写真を撮り直しましょう!」と一言。

ほろ酔いでご機嫌な皆さんを集めて撮り直した集合写真は、笑顔あふれる一枚となりました。緑豊かなガーデンでのお式を夢見ていたおふたりにとって、一番の思い出となったのです。

ワイナリーウェディングは、カーブドッチに大きな利益をもたらしました。融資をしてくださっている銀行の支店長は、訪問すると必ず「今月の結婚式は何件ありましたか?」と尋ねるほど。

年間100件近くを手がけ、私はプロデューサーとして息つく間もない毎日を送っていました。

おふたりが、人生で最も輝いている瞬間に立ち会う喜びは大きく、そのたびに自分のことのように涙が溢れたものです。10年ほどでプロデュースの役目はスタッフへと引き継ぎ、時代とともに結婚式に対する意識もやり方も随分と変わりました。

時々、熱い思いで走りまわっていたあの頃を懐かしく思い出すことがあります。


ピアノがウィーンからやって来る

レストラン運営のかたわら、時々ヤマハからピアノを借りてコンサートを開いていた私。まだ「自分のピアノを持つ」という夢を捨てきれませんでした。そしてホール完成から4年ほど経った頃、思いがけない話が舞い込みます。

当時のベーゼンドルファージャパン社から「ミレニアム2000年記念モデルを、このホールに買わないか」と提案を受けたのです。


ホイリゲの夜の思い出

ワインとクラシック好きの私にとって、ウィーン生まれのベーゼンドルファーは、ずっと憧れのピアノでした。

エレガントで、きらびやかなデザイン。

昔、ワインのお仕事でオーストリアの首都ウィーンを訪れたことがあります。郊外のあちこちに「ホイリゲ」と呼ばれるワイン居酒屋があって、ワインとおつまみでその年の新酒を祝うことができました。

木のテーブルとベンチが置かれた素朴な店内でワインを飲んでいると、親父さんがワインを注ぎながら、「モーツァルトが座ってたんだ、アンタの椅子に。だからそのまま捨てずに置いてあるんだよ!」なんて言うんです。

嘘っぽいけれどホントのようにも聞こえて、モーツァルトがこの店で飲んだくれていた光景が浮かんでくるようでした。


憧れのベーゼンドルファー

音楽の都・ウィーンは、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、名だたる作曲家が活躍した街です。ウィーンフィルハーモニーやウィーン少年合唱団、そして素晴らしい音楽が聴ける学友協会の黄金ホール。

クラシックを愛する人にとっては、まさに聖地と呼ぶに相応しい場所。そのウィーンで生まれたピアノこそ、ベーゼンドルファーです。

「なぜ、カーブドッチに?」と尋ねると、担当者はこう答えました。

「元々、ピアノは貴族のサロンで弾かれていて、この大きさが原点なんです。ベーゼンドルファーの奥行き2,000mm(2メートル)は、この音楽ホールにピッタリですし、音響の良さも伺っていますから」

それは、世界で50台のみ製造される限定のグランドピアノ。そのうち一台だけ、33番が日本にやって来るというのです。

ミレニアム限定版 No.33/50  
美しい譜面台

運命を感じました。

突然飛び込んできた素敵な話を断るなんて。思わず、「買います!」と手を挙げてしまいました。迷っていたら、このチャンスは二度と巡ってこないような気がしたのです。

値段も聞かずに購入を決めましたが、心配には及びませんでした。

一般的にピアノの償却年数は8年とされています。しかし、ベーゼンドルファーは消耗品ではなく、世代を超えて受け継がれる資産。その寿命は100年とも言われます。そのため、最高級ピアノとして特別に15年ローンが認められているのです。それなら、ウェディング事業の売上で問題なく返済できそうでした。


伝統の技が生み出すウィーンの至宝

ベーゼンドルファーは、熟練の職人たちの丁寧な手作業で作られています。使用されるのは、その地域で育った木材だけ。天然乾燥を経て、完成までには、実に6年もの歳月が費やされます。

このように並べて、木材を乾燥させます

生み出される至宝の音色は、ウィーンナートーンと呼ばれます。響板と同じ板を側面にも用いる独自の構造により、まるでヴァイオリンのようにピアノ全体が共鳴体となっているのです。ベーゼンドルファー特有の伸びやかで豊かな響きは、この構造から生まれているのでしょう。

加工や組み立ても、すべて職人の手作業。特に鍵盤は、一台一台の個性を最大限に引き出すため、耳と指先の感触を頼りに仕上げられると言います。

ウィーンにあるベーゼンドルファー本社


長旅を経て、ようやくカーブドッチへ

1998年11月。ウィーンの工場で完成したピアノは、数回の調律調整を受け、環境に馴染ませるためにしばらく保管されたのちに、最終検品を経て梱包されました。

完成から数カ月後、ついに日本への長旅が始まります。

精密機械として丁寧に扱われたピアノは、海上コンテナに載せられ、船に揺られてはるばる横浜港へ。通関を終えると専用倉庫に運ばれ、日本の風土に慣らすために、ここでもしばらく留め置かれます。

再び調律調整を重ねて、状態が整ったらいよいよ出荷。トラックで関越道を陸路新潟まで運ばれました。

そして、2000年7月。「ベーゼンドルファーミレニアム2000年記念モデル(製造番号:45398-200-10)」は、ついに音楽ホールの正面アプスに収まりました。

日本にたった一台の貴重なピアノは、まるで最初からそこにあったかのように、美しい姿を見せてくれたのです。

このピアノ、誰に弾いてもらおうか…

ベーゼンドルファーの設置を機に、音楽ホールを「カーブドッチホール」と名付けました。早速、カーブドッチホールでコンサートを…と思いきや、調律師が「まだ弾けない」と言うではありませんか。

なんでも、慣らし弾きが必要だとか。しかも、毎日のようにできるだけ長くだなんて。私はピアノが弾けないし、どうすれば良いのでしょうか。

次回もお楽しみに。

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