カーブドッチ物語 #17|温泉は冬の救世主
冬の集客に悩んだ私たちが選んだのは、温泉掘削という途方もない一手でした。
ワインの楽園に温泉が湧き出たのは2008年。そこからオーベルジュを建設した2019年まで、カーブドッチ物語は10年を一気に駆け抜けます。
一発勝負の行方
計画から3年。ようやく温泉掘削の許可を手にした私たちでしたが、リスクを考えると簡単に「掘ろう」とは言えませんでした。
ところが、銀行に相談してみると「いいんじゃないですか。この辺は温泉街道と言われていて、掘れば出るそうですよ」と、なんとも無責任な答え。
そういえば、確かナパの北の方にも、カリストガという温泉保養地があったのを思い出しました。紆余曲折はありましたが、何とか融資を取り付けていよいよ計画が動き出したのです。
新潟は、かつて日本有数の石油産地として栄えた土地。地下資源の採掘に関しては、全国でも有数の技術を持つ企業が存在します。
「やるなら浅く様子を見る試掘ではなく、一気に深く掘った方が勝算はある」
そんな助言を受けて、私たちは覚悟を決めました。外せば一億円が消える、一発勝負。深さ1,500メートルを一気に掘り進めます。
結果はと言うと、熱い温泉は確かに出た。けれど、湯量はあまりにも少なく、日帰り温泉には到底足りませんでした。落胆する私たちに採掘業者が畳み掛けます。
「もう1本、掘りましょう。今度は半額にしますから」
大幅な値引き提案です。半額で受けても赤字にならないとは、それなら原価は一体いくらなのかと怪しみましたが、見積りは確かに半額の4,500万円。ここまで来たら後には引けず、「お願いします!」となりました。
そして、運よく2本目はドボッドボッと溢れ出る、大量の温泉が噴出したのです。

2008年4月、こうして掘り当てたお湯に、私たちは「角田山温泉」と名づけました。
泉質が異なる2本の源泉を手に入れたことで、カーブドッチは温浴事業で、冬どころか通年の集客に成功します。
ただし、それと引き換えに多額の借金が残りました。
源泉はそのままでは使えず、引湯管やボイラー、熱交換器や安全装置を備えた温浴プラントを整えなければなりません。さらに、日帰り温泉の大規模な建物を建設するとなると、今までとは桁違いの資金が必要だったからです。
目指したのは、「賑わい」ではなく「静けさ」
温泉施設「ヴィネスパ」の建設には、総額およそ12億円を投じました。うち10億円は銀行からの融資、残る2億円は株主募集によるものです。
一口50万円で株主を募ったところ、約250名もの方が賛同し、出資してくださいました。これだけの期待を背負った以上、運営も中途半端にはできません。


空間づくりでは、集客よりも「大人が静かにくつろげる場所」を重視しました。
ワイナリー同様に未就学児の入館はお断りし、たとえ小学生でも大人と同額。館内の内装や家具はワイナリーの世界観と調和させ、ゆったりとした時間の流れを大切にしています。

畳の部屋はありません
上品で落ち着いた空間づくりが功を奏し、日帰り温泉には年間およそ15万人が訪れるようになります。
1日平均400人、多い日には1,000人を超える来館もありました。ワイナリー単体で約10万人だった来訪者数は、温泉との相乗効果によって約30万人へと増大。
冬に眠ってしまっていたワイナリーは、ついに確かな「起爆剤」を手に入れたのです。
夢のオーベルジュ建設
温泉で、「ワインツーリズムとしての体験価値」が増したカーブドッチが、次に見据えたのは「滞在そのものの価値」の向上でした。
ワインを飲んで帰る場所ではなく、ぶどう畑で暮らすように過ごしてもらいたい。温泉を手に入れて5年、念願だったオーベルジュの建設に着手します。
この頃、日本ワインの草分け的存在として注目を集めていたカーブドッチ。
新潟・角田浜の砂質土壌と、海からの風が生む独特のテロワール(風土)を生かしたワインは、専門家からも高い評価を受け、評判はまさにうなぎ登りでした。
特に、海のミネラル感やほのかな塩味、繊細な酸が特徴のアルバリーニョは、「日本でこの品種をここまで表現できるのは驚き」と言われるほど。訪れたお客様からも「ワインの味わいと風景が一体化していて、カーブドッチで飲むアルバリーニョが最高」という声が次々と寄せられました。
そして2014年、醸造家・掛川史人が自由な発想で生み出したワイン「どうぶつシリーズ」が大ブレイクします。

その本格的な味わいに驚かされます
ラベルに描かれているのは、キュートなどうぶつたち。どうぶつごとに品種や製法が異なり、自然酵母や亜硫酸を極力抑えたナチュラルなつくりになっています。
体にジワッと染み込むような出汁感のある味わいは、和食との相性も抜群。
「どうぶつシリーズ」によって、カーブドッチの世界観は一気に広がりました。
ワインの評価が高まるなかで、私たちは改めて考えました。
ぶどう畑に囲まれ、ワインと自然、そして時間の移ろいを味わってもらう…そんなワイナリーならではの価値を届けるには、特別な場所が必要だと。
泊まることそのものが目的になるワイナリーへ。
温泉やレストランの延長ではなく、ワインの楽園として完結する場所をつくろうと、いよいよ創業当初からの夢だったオーベルジュづくりへと舵を切ります。
ちなみに、「オーベルジュ(Auberge)」とは、フランス語で「宿屋」のこと。もともとは、レストランの2階に宿泊部屋を作った形態がオーベルジュだったそうです。
フランスは昔から車社会で、美味しいレストランは田舎に点在していました。料理とワインを楽しんだ後は運転をしたくない。泊まれる部屋が生まれたのは、自然の成り行きだったのでしょう。
タイヤメーカーのミシュランが、レストランやオーベルジュを格付けし始めたのもそういった経緯からです。
建築より先に、景色をデザイン
最初に取りかかったのは、建物ではなく景色のデザインです。
計画地の目の前にあった約500坪の芝生を掘り起こし、アルバリーニョの苗木を植えて畑へとつくり替えました。ぶどうが根を張り、成熟するまでに5年。ゆっくりと、けれど確実に、一枚の絵のような理想の景観が育っていきました。
完成したホテルのラウンジからは、ぶどう畑とその向こうに静かに横たわる角田山が望めます。この構図を見ていただきたくて、建物の位置も、窓の角度も、何度も計算し直しました。

この計画のために設計士さんに求めたのは、カーブドッチの風景に調和する「ワイナリーらしさ」。日本的な温泉旅館ではなく、ヨーロッパの田舎に佇む小さな宿のような空気感を表現してほしいということです。
オーベルジュの名は「ワイナリーステイ トラヴィーニュ」。
トラヴィーニュは、Through(通り抜ける)と Vines(ぶどう畑)を組み合わせた造語で、「ぶどう畑を抜けて。ここだけの時間に出会ってほしい」という願いを込めています。
部屋ごとに宿る、10の物語
客室は全10室。カーブドッチの人気ワイン「どうぶつシリーズ」の名を冠し、部屋ごとにまったく異なる世界観をデザインしました。
もぐら、いっかく、やまどり、むささび、おうむ、ぺんぎん、かわうそ…。
愛らしい名前が書かれた玄関ドアには、そのどうぶつの足跡をイメージしたイラストが添えられています。

家具や照明、鏡などの調度品は、パリで開催された展示会に足を運び、ひとつひとつこの目で選び、40フィートの海上コンテナ2本に詰め込んで直輸入しました。
日本では手に入らないこだわりの品ばかり。フランス、スペイン、ベルギー、ドイツ、エストニア、オランダからの調達です。

日本中を探しても、どこにもない空間。隅々まで行き届いたインテリアでお客様を驚かせたいという願いを叶えました。
階段のタイルは、スペインの職人さんにお願いして、一枚ずつ手描きの模様を焼き付けてもらった特注品です。エレベーターがあっても、思わず登ってみたくなる階段が出来上がりました。

ドイツから運びました
ラウンジの壁に掛けてある大時計は、日本時間ではなくパリとニューヨークの現地時刻を表します。
「ここでは日本の時間を忘れて過ごしてほしい」という遊び心です。

日本の時間は忘れて!
何よりの贅沢は、窓の外に広がるぶどう畑に間違いありません。5年前に植えた苗が、青々と葉を茂らせてお客様をお迎えしているのですから。

ぶどう畑と角田山
プレオープンで準備万端のはずが…
開業に向けて、私たちはある仕掛けを用意しました。
オープン直前の10日間、全国のメディア関係者を無料で招き、モニター宿泊を実施。泊まっていただいた皆様の声を反映しながら、チェックインからチェックアウトまでの動線やサービスを検証し、オペレーションを磨き上げます。
真の狙いは、オープン後のメディア露出。雑誌、テレビ、WEBなどの取材を兼ねた滞在でした。
準備は万端。これで良いスタートが切れるだろうと、迎えた2019年11月1日。静かな朝の空気のなか、念願のオーベルジュがそっと幕を開けました。この新たな宿がワインの楽園を完成へと導く最後のピースになる。そう信じて疑いませんでした。
けれど、その期待は脆くも崩れ去ります。
開業からわずか1ヶ月ほどで、世界の時計が突然止まりました。新型コロナウイルスの襲来です。
あれほど賑わっていたカーブドッチからお客様の姿が消えました。先の見えない不安と、ただ流れていく時間。静かに、地獄のような日々が始まったのです。
次回は、止まってしまった時間の前で「何を守り、何を変えたのか」。カーブドッチがコロナ禍の長いトンネルから抜け出すまでの道のりをお届けします。
次回もお楽しみに。
