カーブドッチ物語 #28|ライターズ・イン・レジデンスの紆余曲折
作家さんにカーブドッチに滞在して、物語を書き下ろしていただく新たな試み「ライターズ・イン・レジデンス」。原田マハさんの手から生まれた第一作は、心温まる素敵な物語になりました。
だからこそ、次をどなたに託したらいいのか、頭をかかえてしまったのです。
マハさんとは異なる物語がいい
原田マハさんの作品を形にするため、無我夢中で駆け抜けた2023年。
初めての本の出版は、私に心地よい疲れを残してくれました。
そして、2024年の新年を迎え、すぐに「次なる物語」の担い手を探し始めたのです。
もちろん、お願いしたいのはカーブドッチの空気感に合い、この土地の香りを言葉にできる作家さんです。
二作目なので、マハさんとはがらりと違う作風がいい。
さらに、なんとなくですが、三作目までは女性が良いとも考えていました。
というのも、男性の作家さんの候補と言えば、巨匠や重鎮、あるいはエンタメ系の方、はたまた非常に若い感性の方…と、私たちのイメージに合う方の名前が上がらなかったからです。
スタッフと案を出し合って、人づてに数名の女性作家さんにお声がけしてみました。
けれど、なかなか良いお返事をいただけない。
そんな日々が続くうちに、とうとう半年余りが経ってしまいました。
なぜ、上手くいかないのだろうか。
考えた末、要するに私の熱意が足りないのではないかという結論に辿り着きました。
ここは相談して合議制で決めるのではなく、私が今、心底書いて欲しいと思うその人にお願いをする。
「一本釣り」がいいのではと。
ピアノの旋律が聴こえる小説
その頃、たまたま通りがかった駅前の本屋さんで、気になる一冊を見つけました。
モネの絵を思わせる優しい緑の表紙。その色に引き寄せられるようにページをめくると、私の大好きなピアノ曲の名前がぎっしりと並んでいます。
名作『蜜蜂と遠雷』との出会いでした。
「何? このタイトル」
蜜蜂の小さな羽音と、遠くで鳴る雷の響き。
確かにピアノを連想させます。
直木賞と本屋大賞のダブル受賞で話題になったその分厚い本を、私は一気に、一晩で読み終えてしまいました。
『蜜蜂と遠雷』は、国際ピアノコンクールに挑む若者たちが、演奏を通して競い合い、成長していく物語です。
本物のコンクールを見る以上のワクワク感。
演奏の描写が圧倒的にリアルで、まるで文章からピアノの旋律が聴こえてくるかのようでした。
作家の恩田陸さん。どんな方なのだろう。
これだけピアノに詳しいのだから、きっとクラシックがお好きに違いない。
ピアノオタクの私としては、ぜひ素敵なピアニストの物語を書いてほしいと、妄想が膨らみます。
お会いしたこともない、しかも、今を時めく大作家。
それなのに私はすっかり前のめりになってしまいました。
えーい! 当たって砕けろと、勢いそのままに、勇気を出してお手紙を出したのです。
雲の上の存在だと思っていた恩田さんは、なんと、驚くほど軽やかに、しかもすぐに「いいですよ」とお返事をくださいました。
あとで分かったことですが、恩田さんは大のワイン好き。
仕事終わりの一杯を何よりの楽しみにされているそうです。もしかすると、ワインが私たちを結びつけてくれたのかもしれません。

旅に出ています。
ショパン1番(南仏)と
ベートーヴェン3番(スイスローザンヌ)
至福の時間です
ものがたりの誕生を待つ贅沢
そうです。実は第二弾は、吉本ばななさんではなく、恩田陸さんだったのです。
いいえ、そのはずでした。
ここまではとんとん拍子に進み、恩田さんは物語を書くために、二度もカーブドッチに足を運んでくださいました。
最初は秋。木々が色づく2024年11月。
そして「冬の表情も見たい」と、二度目の来訪は年を越しての2月。
ぶどう畑には重い鈍色の雲が垂れ込め、時間までもが止まってしまったような冬の日でした。
滞在を終え、「6月には原稿をお送りしますね」と約束を交わし、恩田さんは東京へ戻っていかれました。
けれど、そこからが長かった。
何といっても、恩田さんは月に十数本もの締め切りを抱える超売れっ子です。
様子を伺うと、「もう少し待ってください」「大体いつもこんな感じです」という言葉が返ってくるばかり。
そうこうしているうちに約束の6月を過ぎ、夏がやってきてしまいました。
夏と言えば、恩田さんの執筆スタイルについて面白い話を聞きました。恩田さんは冷房が苦手なのだそうです。覚えていますか、酷暑だった2025年の夏を。
どんなに暑くても冷房をつけず、うちわと扇風機だけで乗り切る。
そして原稿を書き上げた夕方、喉を鳴らして飲むビール。
その冷えた一杯を最高に美味しく味わうため、あえて冷房なしで汗ダクでペンを走らせるのだとか。
作家さんもそれぞれですね。
そんな人間味あふれるエピソードを聞いて、私は恩田さんがさらに好きになりました。
その姿を想像し、催促は涼しくなってからと、「原稿まだですか」の言葉を飲み込んだのでした。
なかなか原稿が上がってこない時間の中で、ふと、これこそが「ライターズ・イン・レジデンス」の面白さなのではないかと気づきました。
どんなに短い小品であっても、物語は、命を削るようにして生まれてきます。
ワインが自分の力で美味しくなるのをじっと待つように、作家さんから物語が生まれ出てくるのを、ただただ待つ。
その「待つ」過程も含めて楽しめばいい。そう思うようになりました。
とはいえ、恩田さんからの原稿はそれでも上がってきませんでした。
さすがにしびれを切らし、「次の方へアプローチしてみようか」と考え始めた頃。思わぬ連絡が舞い込んできます。
「ばななさんがね、書いてみたいって!」
次回もお楽しみに。
