カーブドッチ物語 #29|吉本ばななさんの意外なテーマ
恩田陸さんの原稿を首を長くして待っていた頃、突然舞い込んだ吉本ばななさんからの朗報は、まさに青天の霹靂でした。
まさかあの大作家が、新潟の小さなワイナリーのためにペンを執ってくださるとは。現実とは思えないまま、ばななさんをお迎えすることになりました。
風のように届いた物語
吉本ばななさんといえば、私たちの世代にとっては誰もが知る国民的な作家です。
若い頃、『キッチン』や『TUGUMI』の瑞々しい表現にどれほど心震わせたことでしょう。
やさしい言葉で深いことを書く。
ばななさんの凄さは、その一点に尽きると思います。
『キッチン』では、祖母を亡くした少女の喪失感が描かれます。
文章は日常会話のように静かで淡々としているのに、悲しみが心の奥にスッと差し込むように入り込んでくる。
登場人物は、完全には回復しないけれど、少しだけ前を向く。
その「小さな再生」が、静かに胸に響きます。
吉本ばななさんから書いていただけると連絡を受けた時は、喜びと同時に、本当に引き受けてくださるのだろうか? と半信半疑でした。
すぐさまライターズ・イン・レジデンスへのご協力をお願いしたのですが、驚かされたのはその後のスピード感。
昨年の6月に滞在されたかと思えば、なんと8月にはもう、原稿が私の手元に届いていたのですから。
物語が自然に湧き出てくる方なのでしょうか。
瞬く間に、恩田さんを追い越してしまったばななさん。
すると、まるで呼応するかのように、そのすぐ後に恩田さんからも待望の原稿が届きました。
主人公もストーリーも全く異なる、生まれたての二つの物語。
それらが同時に手元に揃った瞬間の、なんと贅沢なことでしょう。
届いた順に一冊ずつ出版することを決め、ばななさんの作品から本に仕立てることにしました。
心の温かいまっすぐな人
私から見えるばななさんは、生まれながらの作家です。
大学生の頃から頭角を現し、23才で『キッチン』を書き上げて、海燕新人文学賞を受賞。
翌年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、さらに翌年『TUGUMI』で山本周五郎賞と、その若さで三年続けて受賞という快挙を成し遂げます。
近年では、2023年に『ミトンとふびん』で谷崎潤一郎賞を受賞しました。
特筆すべきは、処女作『キッチン』が30カ国以上で翻訳され、世界的なベストセラーになったこと。1990年代以降は、海外でも高い評価を受けるようになり、イタリアをはじめ各国で数々の賞に選ばれています。
最近は、noteでも精力的な発信をされており、本の中だけでなく新しいプラットフォームで読者とつながり続ける姿に、私自身、大きな刺激を受けてきました。
noteで、日々更新されているブログ風エッセイ「どくだみちゃん と ふしばな」。
月額400円でいいのかしらと恐縮してしまうほど面白い文章が、読み切れないくらい届きます。
ひとりの読者として、これほど幸せなことはありません。
実際にお会いしてみると、彼女は作品のままの優しい方でした。
ある日の打ち合わせでのことです。
私は体調を崩してしまい、マスク越しにずっと咳き込んでおり、申し訳ない気持ちでいました。
すると隣に座っていたばななさんが、打ち合わせのあいだ中、私の背中をずっとさすり続けてくださったのです。
一時間、もしかするとそれ以上だったかもしれません。
隣に座るだけで緊張していた私でしたが、その手のひらの温もりが伝わってきて、いつしか咳もおさまっていました。
その後も、ご自身のSNSや雑誌で愛情深くカーブドッチのことを紹介してくださっていると伺い、ますますそのお人柄に惹かれています。

砂地で生まれたモダンな作品
最初に、ばななさんから構想を伺ったときは本当に驚きました。
「BLっぽい感じ、嫌じゃないですか?」
なんておっしゃるものですから。
まさかそんな球が飛んでくるとは。「昔、萩尾望都さんのボーイズラブにハマって、今でも大好きです。でも、想像もしていませんでした!」とお答えしました。
人が人を好きになる。その愛の形には、決まりも約束事もありません。素直にその気持ちを受け入れ、自然のままに育てていけばいい。
そう思っているので、物語の完成が一気に待ち遠しくなりました。
そうして届いた作品のタイトルは、『砂山』。
砂地の土壌でぶどうを育てるカーブドッチにぴったりです。
装丁デザインは、今回も選書家の幅允孝さんとともに考えました。
タイトルから連想される、「儚さ」「優しさ」「緩やかさ」を表紙の色合いで表現しています。

原田マハさんの本と同じ文庫本サイズですが、今回は特別に物語と連動した「ハードケース」に入っています。
ケースに空けられた大きな二つの穴。表面は、「モヤモヤした気持ち」を表しています。では、裏面は何の形でしょうか?
読み終わると「あ、そうか」と分かる、ちょっとした仕掛けになっています。
真面目で重くなりがちなテーマを、軽やかでモダンなタッチで描いた作品です。
カーブドッチにお越しの際は、ぜひお手に取ってみてください。
吉本ばななさんの本が1,760円。原田マハさんの本が1,300円。2冊セットもございます。(全て税込価格)
『旅をあきらめるにはまだ早い友への手紙』原田マハ
『砂山』吉本ばなな
マハさん&ばななさんの2冊セット
もちろん、恩田陸さんの作品も丁寧に制作中です。
原田マハさんは友情物語、吉本ばななさんはこれからの愛の形、そして現在進行中の恩田さんは…なんと、カーブドッチを舞台にしたホラー小説!
マジで怖いです。
同じ場所からインスピレーションを受けても、三人三様の異なる物語が生まれてくる。
この多様さに、ライターズ・イン・レジデンスの醍醐味が強く現れていますよね。皆さんに読んでいただける日が待ち遠しいです。
ばななさんの本の印刷を待つあいだ、私はコロナ禍以降初めての海外旅行に出かけました。
南仏トゥールーズとスイス・ローザンヌでのピアノ演奏会を訪ねる旅です。
私が、いつかカーブドッチで弾いてほしいと願っているピアニストの演奏を聴きに、はるばる地球の裏側まで足を運びました。
帰りにはパリで再建されたばかりのノートルダム大聖堂も見学。
心に残る感動的な旅となりました。

本の話題が続いたので、次回は少し視点を変えてワイナリーらしく「お酒」の話に戻します。
カーブドッチが、ワインだけでなくクラフトビールも手がけているのはご存知でしょうか。
しかも、そのつくり方がちょっとユニークな…いえ、かなりワイナリーらしい造り方をしているのです。
次回もお楽しみに。
