カーブドッチ物語 #14|カーブドッチワインの暗黒時代
三男の史人がフランスで修行をしている間も、新潟では落さんが中心となって毎年ワインづくりを続けていました。ただ、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
豊作のぶどう、行き場を失う
カーブドッチ創業当時、ぶどうの主力品種はドイツ系のケルナーでした。マスカットのような香りが特徴の爽やかな甘口ワインで、非常に人気があり飛ぶように売れていました。
ケルナーの栽培は、落さんが懇意にしていた北海道の4軒の農家さんに大半を依頼。収穫したぶどうを全量買い取る契約で、無償で苗を送って畑の面積をどんどん拡大していったのです。
ケルナーの好調な売れ行きに気を良くした私たちは、調子に乗って毎年何千本もの苗を北海道へ送り続けました。「こんなにたくさん送って大丈夫だろうか」と不安に思いながらも、「北海道は3年に一度は不作になるそうだから平気だろう」と楽観的に考えていたのです。
ところが、予想に反して天候に恵まれた年が続き、5年も経つころには苗は成木となって、使いきれないほど大量のぶどうがフェリーで新潟に押し寄せる事態に。しかも、それが毎年のように続きました。
ケルナーなどの甘口ワインは依然好調な売れ行きでしたが、後から植え始めたフランス系のワインがまったく動きません。辛口で渋みはあるものの、旨みや厚みに欠け、理想とする複雑な味わいにはほど遠い。当時の私たちには、まだそれを引き出すだけの技術はなく、フランス系のワインは売れ残り、タンクにたまる一方でした。
契約農家とのトラブル
私たちは、恐ろしい事態に直面します。運ばれるぶどうの量が徐々に販売量を上回るようになったのです。
そして、とうとうタンクは去年までのワインが残っていて満杯に。でも、新しいタンクを置くスペースはありません。完全にパンク状態です。
かと言って、苦労して育てたぶどうを捨てるなんて、人としてできるはずがありませんでした。
このままでは、資金もショートしかねない。追い詰められた私たちは、やむなく北海道まで出向き、農家さんを訪ねて畳に手をついて謝罪しました。
「申し訳ありません。うちではもう買いきれません。お願いですから他の売り先を探してください」
農家さんにとっては、晴天の霹靂どころか死活問題です。一方的な契約破棄ですから、こちらに100%非がありました。
4軒合わせて1千万円を超える収入が目の前で消えるという無茶な話です。訴訟も覚悟しましたが、農家さんにはそんなことをしている余裕はありませんでした。
一刻も早く売り先を見つけなければ、収穫の時期が来てぶどうが腐ってしまいます。ワインぶどうに限っては、農協を通じた販売ルートがないのですから。
その後、農家さんたちが売り先を見つけられたのかどうかは、知る由もありません。私たちは、このあと長い絶縁状態となってしまったからです。
一般の製造業なら売れる分だけつくれば良いし、売れないのであればつくらなければ良い。でも、ワインは違います。ぶどうは毎年実が成るのです。余り始めたら地獄という恐ろしい体験に、自然相手がいかに難しいか、そして自分たちがいかに甘いかを、嫌という程思い知らされました。
それでも、私たちは会社を守らなくてはなりませんでした。
薪小屋のうれしい誕生
この頃、ワインづくりは挫折の連続で、軌道に乗るには時間がかかりそうでしたが、レストランや結婚式の事業は絶好調。ワイナリーを訪れるお客様は増え、結果としてワインの売れ行きも少しずつ伸びていきました。
そんな2002年、カーブドッチの中でもひときわ印象的な建物がオープンします。訪れる人を食と香りで包み込む「薪小屋」です。

ここは、ソーセージ工房、ビール工房、レストランが一体となったカーブドッチにとって新しい業態の飲食施設。当時は農家さんとの関係づくりに悩みながらも、こんな計画を進めていたのですから、あの頃の私たちは本当に先しか見えていなかったのだと思います。
鮮やかな朱色の壁に、大きな屋根をいただく洋館風の佇まい。空に向かってそびえる高さ13メートルの煙突。ゴールデンアカシアがこんもりと茂るガーデンには、一面にバラが咲き誇ります。
館内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは大きな薪の炉。ソーセージの香ばしい香りが漂い、いつもたくさんのお客様で賑っています。
薪小屋のソーセージに使う豚肉は、岩室村の養豚農家・川上さんが育てる「越後もち豚」。綺麗な桜色をした、驚くほど甘みのある脂身が特徴の上質なブランド豚です。
この豚さんとの出会いこそが、薪小屋をつくるきっかけとなってくれました。
始まりは豚さんのフン
そもそも、ぶどう畑を育てるには大量の堆肥が欠かせません。痩せた砂地に命を吹き込むため、毎年、冬になるとダンプカー何台分もの豚糞堆肥を畑に運び入れていました。その堆肥を届けてくださっていたのが、川上さんでした。
川上さんの養豚場と食肉処理場、そしてカーブドッチ。この3社が偶然にもすぐ近くにありました。
そのおかげで、朝に養豚場から出荷された豚さんが、お昼前には新鮮なお肉になって届く。その鮮度の良さと言ったら、レバーなんてまだ温かいくらいでした。
「こんなに美味しいお肉があるなら、一緒にソーセージを作りませんか?」
そんな一言から、すべてが始まりました。ぶどう畑の堆肥が取り持ったご縁が、人と人をつなぎ、そのご縁が思いもよらぬ形で実を結び、夢のような場所「薪小屋」が生まれたのです。
どうせなら、ドイツ仕込みのソーセージを
新しくソーセージ工房を立ち上げるのであれば、本格的な味を提供したい。そこで、レストランで働く20 才そこそこの若いコックさんに白羽の矢を立てました。
レストランのお客さんが少ない冬の間、彼を本場ドイツに送り出し、町の肉屋「ショットさんの店」で修業をさせてもらうことにしたのです。ここでも落さんのドイツネットワークが大活躍しました。
【狩猟民族・ドイツの食肉文化】
ドイツ人が狩猟民族であることは知っていましたが、そのダイナミックな食肉文化には本当に驚かされました。
日本では法律によって、養豚・食肉処理・精肉・販売がそれぞれ分業になっていますが、ドイツでは街の肉屋さんがすべてを一貫して担います。
朝、店の裏口から歩いて入ってきた豚は、電気ショックでその場で処理されます。逆さ吊りにされた首から、洗面器に滴らせた血でブラッドソーセージを作ります。耳も鼻も内臓も、余すことなく使い、ソーセージや惣菜に仕上げてお店に並べるのです。
その数、なんと200種類以上。上質な部位であるヒレやロースは精肉として並びます。街の人は仕事帰りにふらっと立ち寄り、その日食卓に並べる好きなソーセージや総菜を買って家路に着くのだそうです。
本場の味を新潟で
ドイツでの3ヶ月の研修を終えた若手コックさんは、一頭丸ごとを無駄なく調理する技術と、命を大切にする精神を持ち帰ってきました。その経験をもとに、カーブドッチで本場ドイツ仕込みの味を提供できるようになったのです。
オープンの日にはショットさんも駆けつけ、ソーセージやハム、燻製肉の本場の味を披露くださいました。みんなでお祝いした日の賑わいは、昨日のことのように覚えています。

今でも、レストランや宿泊施設でお出ししているソーセージやハムは、すべて越後もち豚100%の手づくりです。ビールがドイツ製法であることは、言うまでもありません。

新聞で見つけた雪国の宝物
ソーセージ工房とレストランをつくるなら、建物にもこだわりたい。
そう思っていた時、新聞で偶然目に止まったのが、十日町に住む建築デザイナーのカール・ベンクさんでした。雪深い土地で、江戸時代の古民家に暮らしながら、ドイツ風の快適な住まいをデザインしている方です。
紙面には、ベンクスさんが生み出したモダンで美しい建物の写真が何枚も。「絶対にこの人に頼みたい」と直感が働き、すぐに会いに行きました。
冬の十日町は、道路の両側に4メートルの雪の壁ができる程で、すごい所に住んでいるんだとびっくりしながら訪ねましたが、残念ながらベンクスさんは不在。なんでも、冬の間はあたたかいスペインのマヨルカ島で仕事をしているそうです。「そりゃそうだよな」と思わず納得し、春を待つことにしました。
春になり、ようやくお会いできたベンクスさんのご自宅は、本当に快適でした。床暖房が完備され、土壁と藁ぶき屋根の保温効果で雪の日も温かいのです。
「古い家がどんどん壊され、日本中が新建材の家に変わっていく。それは、古来から続いている日本の大工さんの技術が失われていくということ。宝物を捨てているようなものです」とベンクスさん。
ドイツ人からこんな言葉を聴くなんて、深く考えさせられることになりました。

ソーセージとビールをテーマにしたレストランの設計を依頼すると、なんとベンクスさんは大のワイン好きとのこと。二つ返事でOKしてくれました。
古材との対話から生まれた建物
薪小屋の建設は、十日町で解体された古民家の材を移築するところから始まりました。まずは、地元の大工さんにお願いして、釘を使わずに柱と梁を組み上げます。
古くて硬いケヤキ材は電動ノコギリの刃が立たず、ブレーカーの電源が何度も落ちるほどの難しい工事。骨組みを再現してみるまで建物の構造もつかめず、階段をつけたかった位置を柱が邪魔して、一から間取りを考え直す場面もありました。
見上げると大きな吹き抜けの空間に、ケヤキの梁と根曲がり松の見事な組み構造をご覧いただけます。予想以上の時間がかかりましたが、200年以上前の寛政年間に建てられた古民家は息を吹き返し、素敵なレストランへと生まれ変わりました。

古材と対話しながら大工さんと最適なつくりを探していく。薪小屋の建て方は、どこかフランス式のワインづくりにも似ていました。
レストランの中央には、ドンと構える大きな炉。一年中休まず、真夏でも赤々と炎が燃え、ソーセージやもち豚を焼いています。パチパチと薪がはぜる音。肉の脂が落ちて立ち上る、香ばしい煙の匂い。まるでレストラン全体がゆっくりと燻されているかのようで、年を増すごとに味わい深い空間になっています。

三男の史人がフランスでワインの修行をしている間、自社の畑経営は困難を極めていました。
好調なレストラン事業に助けられながら、なんとか踏ん張る日々。まさにカーブドッチワインの暗黒時代です。それでも、明るい兆しは少しずつ見え始めていました。
次回もお楽しみに。
