カーブドッチ物語 #15|希望の兆しから再生へ
薪小屋のあかりが灯って間もなく、ワインづくりにも小さな光が見え始めました。フランスで修行を終えた三男、史人の帰国です。2002年、奇しくも北海道の農家さんとの契約を解除せざるを得なくなった年でした。
フランス系ワインへの植え替えに手間取り、ぶどうの収量も上がらない。どんなワインを目指すのか方針も定まらず、迷走している時期です。
外から見たカーブドッチ
帰国後、史人はいったん鎌倉の自宅に戻り、ほどなくして新潟へ。
カーブドッチの近くにアパートを借りて、一人暮らしを始めます。高校まで過保護に育てられた末っ子ですが、4年間のフランス暮らしを経て、たくましい青年へと成長していました。
ただ、いきなり社員にすると周囲が気を使うだろうと、最初はパートとして入社。私も社内で見かけても知らん顔を通し、距離を置いて見守るようにしていました。
入社1年目は、営業職に任命。カーブドッチが外からどう見られているのか、私も知りたかったからです。
取引先の酒屋さんを回って業界の事情を学び、百貨店の催事に立ってお客様の反応を直接肌で感じる日々。結果、カーブドッチの評判は思ったより悪くないということが分かりました。
「みんな温かいよ。頑張ってるねって(言葉をもらった)」と、史人も少し自信が持てたようでした。
内実は、畑への愛がない
2年目から、いよいよ畑専属へ。
当時の畑面積は、5ヘクタールほど(1万5千坪、小学校の校庭5つ分)で、スタッフはわずか4人。作業の大半が機械化されていたとはいえ、重労働です。
精鋭のチームで愛情を込めて育てている…そう言えれば良かったのですが、実際は違いました。北海道から買い付けたぶどうが中心だったこともあり、畑作業にいまひとつ身が入らず、意識も低かったのです。
その様子を見て、「畑への愛がないよ、志しが感じられない」とこぼす史人。
作業効率ばかりを優先し、楽な方へ早い方へと流れるうちに、ぶどうの品質も低下していたのです。けれど、北海道からの仕入れが突然ゼロになったことが転機となり、スタッフが改めて畑と真剣に向き合うようになりました。

【いつか来た道?】
でも、30年前に研修で訪れたナパ・バレーを思い起こすと、観光客で賑わう順調な様子とは裏腹に、ナパのワインの品質はその隆盛に少しも追いついていないと感じました。これは、創業期のワイナリーにとって避けられない道なのかも知れません。
そのナパも今や、フランスに肩を並べるほど高品質なワインを生み出し、世界有数の産地へと成長しています。
迷いの先に見えた光
史人はその年に正社員となり、畑の再生に乗り出しました。
フランスとは風土が違うので、雑草も、害虫も、病気も、初めて目にするものばかりです。経験も知識も十分でなく、機械をそろえる資金の余裕もありませんでした。
世界最高峰のブルゴーニュと日本の現実とのギャップにさぞかし悩んだかと思いきや、「最高のものを見てきて良かった。理想は高く持たないと」と前向きで、自分なりの答えを探していきました。
入社4年目。突然、社長の落さんに呼び出され「今日から君がリーダーだ。好きなようにやっていい。ただし、責任もあるからね」と告げられます。
急なことで、本人も大変驚いたようです。こうして史人は、カーブドッチの栽培醸造長に任命されました。
迷いの時代を経て次のステージへ。新しいカーブドッチが動き始めた瞬間でした。
一年分の苦労が、畑から消えた朝
畑仕事は大変でしたが、それでも秋になるとぶどうは実り、収穫の喜びをもたらしてくれました。当時の一番の悩みは、鳥獣被害です。
まずは鳥。周囲は大根やネギなど野菜の畑ばかり。甘くてジューシーなぶどうの実を、鳥たちが見逃すはずはありません。特に厄介なのはムクドリです。スズメくらいの大きさの野鳥で、何千羽もの群れが電線に止まってぶどう畑を見下ろす様は不気味なほどでした。
ある日、出勤すると畑からぶどうが跡形もなく消えているではありませんか。
一体何が起きたのかと目を疑いました。その畑、一粒残らず見事に食べ尽くされ、枝には無惨に食いちぎられた跡が残るだけ。犯人は、もちろんムクドリです。
一年のみんなの努力が一瞬で水の泡になり、ヒッチコックの映画「鳥」を思い出してゾッとしたのを覚えています。

畑のまわりには小動物も住んでいます。春には、野ウサギが柔らかい新芽を食べてしまい、地面から30センチの高さまで丸坊主にされたこともありました。これもこたえましたね。今は、根元にカバーをかけて守っています。
モグラも春になると活発で、あちこちにトンネルを掘って地表に土を盛り上げます。
今では網をかけるなどの対策も進み、被害は少なくなりました。とはいえ、畑面積が増えたことで、多少の被害が気にならなくなったというのが正直なところです。


剪定から学んだ栽培の奥深さ
その頃、私も手が足りない時には畑を手伝うことがありました。なかでも剪定(せんてい)が、一番難しく重要な作業です。
葉が落ちたあとの大切な冬の作業で、来年の成り枝を2本だけ残し、他の枝葉をハサミで切り落とします。簡単そうですが、たくさんある中でどの枝を残すかを見極めるには、長年の経験がものを言います。
来年、再来年の姿を想像しながら判断しなければならず、限られた社員だけができる失敗の許されない仕事でした。

ある年、説明を受けただけで「分かった、任せて」と意気込んで挑戦した私。元気な太い枝を残して、弱々しい細い枝を切ってしまったのです。
正解はその真逆。残すのは細い枝の方でした。難しい!
ひとつの畑をまるごとだめにしてしまい、大目玉を喰らう羽目となりました。
冬枯れの枝の生命力
そんな中で、忘れられない光景もありました。
4月頃、剪定中に切った枝先から、ポタポタと水が滴り落ちてきたのです。地面から吸い上げた水が、あっちでもこっちでもポタポタ、ポタポタ。畑がいっせいに目を覚ましたようでした。
その水滴が夕陽を受けてキラキラと輝やく様子は、まるで畑全体にダイヤを散りばめたような美しさでした。
枯れたように見える枝も実は生きていて、ひっそりと冬眠をしていただけです。その生命力の息吹に感動し、私も頑張らなくてはと決意を新たにした出来事でした。
ワイナリーにおける創業者の役割
「ワインづくりはぶどうで決まる」と言われるのは、瓶の中にはぶどうしか入っていないからです。
日本酒も、ビールも、ウィスキーも、他のお酒は大半がお水。一方、ワインはしぼった果汁を発酵させそのまま瓶につめるので100%ぶどうなのです。
カーブドッチでは、シャルドネ、セミヨン、ピノノワール、カベルネソーヴィニヨン、メルローといったフランスの代表的な品種から、イタリアのサンジョベーゼ、スペインのテンプラニーヨまで、名だたるヨーロッパ品種を十数種類植えていました。けれど、日本の新興ワイナリーが海外の銘醸ワインと競っても勝ち目はありません。
必要なのは、土地の風土に適して栽培しやすく、カーブドッチらしい味わいを生み出す品種を見つけ出すことです。
ぶどうの木の寿命は、20〜30年。人間と同じで、若木のうちはたくさん実が成りますが、ピークを過ぎると途端に収量が落ちて植え替え時期を迎えます。その時までに、どの品種を植えれば良いか、その答えを見つけておかなくてはならないのです。
この土地の適正品種、つまり、カーブドッチを代表する品種を見つけるのが、創業者である私の役割でした。
これは大変なことです。カーブドッチの将来のために、新しい品種を一刻も早く見つけなくてはと気持ちがはやるばかりでした。
「知ってるけど、行ったことはない」
レストラン事業は相変わらず好調でした。「レストラン 薪小屋」の建設から3年後に、立て続けに新潟市中心部に4店舗も出店。
普通であればチェーン展開するところですが、私は立地もコンセプトも規模も全て異なるお店づくりを選びました。それは、当時よく聞こえてきたお客様の声が理由です。
「知ってるよ。ワイン作ってて、すごくいい所なんだってね」
「変わった名前だよね。でも行ったことないな」
ワイナリーが誕生して10年経ち、地元・新潟市民への知名度は徐々に上がっていました。それなのに、そんな今ひとつな反応に課題を感じていたのです。
もっと地元の人にとって身近な存在で、通ってもらえる場所にならなければいけません。でも、ワイナリーのある角田浜は電車やバスがなく、アクセスが難しい場所にありました。
来てもらうのではなく、行けばいい
そこで出店です。市内中心部に「もうひとつのカーブドッチ」を作って、知ってもらおうと考えました。
それも何店舗か同時に出せば、きっと話題になるはず。そう考えていた時に、良い出会いがありオープンとなりました。順番にご紹介しましょう。
カーブドッチ とやの|レストラン&ベーカリーカフェ

ぽるとカーブドッチ|フレンチレストラン

カーブドッチ新潟三越店|ワインや自家製品の販売

カーブドッチの美味しいものばかり
カーブドッチ BBカフェ|カフェ&ベーカリー

史人が戻ってきたことで、ようやく次の世代にバトンを渡せる。けれど、まだカーブドッチの適正品種は見つかっていません。そんなときに出会ったのが、アルバリーニョという白品種のぶどうでした。
次回もお楽しみに。
