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視覚障害エッセイ|年に一度、私が看護師であることを思い出す日― 講義のあとに気づいた、本当に伝えたかったこと ―

年に一度だけ、

「やっぱり私は看護が大好きなんだ。」

そう改めて感じる日があります。

それは、看護学生さんへの講義の日です。

そして今年も、その大切な時間を過ごしてきました。

でも今年は、講義が終わってからも、何となく心の中がモヤモヤしていました。



皆さん、いつも私とハッピーお嬢のnoteを読んでくださりありがとうございます。

ナツコ@視覚障害の相談支援専門員です。

先日、神戸女子大学看護学科で、「病気や障害とともに生きる」というテーマで講義をさせていただきました。

今年で3回目となるこの講義は、私にとって一年の中でも特別な時間です。

病気になってから、私は病棟で患者さんと直接関わる看護師として働くことはできなくなりました。

今は相談支援専門員として働いています。

それでも、この講義の時間だけは、未来の看護師さんたちと一緒に「看護とは何か」「人を支えるとは何か」を考えることができます。

真剣に話を聞いてくれる学生さんたち。

一生懸命メモを取りながら、自分の言葉で考えようとしてくれる姿。

講義が終わった後も、質問をしに来てくれる学生さん。

そんな皆さんと向き合っていると、

「私は今も、違う形で看護に関わることができているんだ。」

そんな気持ちになります。

だから、この時間は私にとって、年に一度、自分が看護師であることを改めて思い出させてくれる、大切な時間です。

でも今年は、その講義が終わってからも、心の中に小さなモヤモヤが残っていました。

講義が終わった日、

私は「無事に終わってよかった」という気持ちと同時に、何とも言えないモヤモヤも感じていました。

それは、

「私は本当の自分をちゃんと伝えられただろうか。」

という思いでした。

講義では、

見えなくなってからたくさん悩み、

葛藤しながらも、

少しずつ前へ進んできた私の話をしました。

それは間違いなく、本当の私です。

たくさん泣いて、

たくさん悩んで、

何度も立ち止まりながらも、

そのたびに少しずつ前を向き、今の生活を築いてきました。

だから、講義でお話ししたことに嘘は一つもありません。

でも後から振り返ると、

私は無意識のうちに、少し自分を繕っていたのかもしれない。

そんなことを思いました。

もちろん、格好をつけようと思っていたわけではありません。

むしろ、

「病気や障害があっても人生は終わりじゃない。」

「自分らしく生きることはできる。」

そんな希望を、学生さんたちに少しでも届けたい。

そんな思いが強かったからこそ、

前向きに歩いてきた私を中心に話していたような気がするのです。

でも、本当の私は決してそれだけではありません。

前を向けない日もあります。

何も手につかなくなる日もあります。

「なんで私なんだろう。」

「どうして私ばかり。」

そんな気持ちでいっぱいになる日もあります。

涙が止まらない日もあります。

怒りや悔しさに心が支配されてしまう日もあります。

正直に言えば、

そんな日の方が多いくらいかもしれません。

でも、それも私です。

笑っている私も、

泣いている私も、

立ち止まっている私も、

全部ひっくるめて今の私です。

本当は、その姿も学生さんたちに伝えなければいけなかった。

そんな思いが、講義が終わってからもずっと心の中に残っていました。

だから私は、そのモヤモヤを整理したくて、先日noteに『私は「障害受容」という言葉がよく分かりません。』という記事を書きました。

あの記事は、「障害受容」という言葉について考えた記事であると同時に、講義では伝えきれなかった、等身大の私自身を書いた記事でもあったのです。


そんなことを考えながら数日過ごしていると、学生さんたちの感想が届きました。

私は毎年、この感想を読む時間が本当に大好きです。

講義をして終わりではなく、

学生さんたちが私の話をどう受け止め、何を感じ、何を考えてくれたのか。

それを知ることができる、とても大切な時間だからです。

今年も一つひとつの感想を読ませていただきました。

どの感想からも、一生懸命話を聞いてくださったことが伝わってきて、本当にうれしくなりました。

その一方で、多くの学生さんが、

「病気や障害を受け入れて前向きに生きている姿が印象的でした。」

という感想を書いてくださっていました。

その言葉を読みながら、

「やっぱりそう伝わっていたんだな。」

と思いました。

もちろん、とてもうれしかったです。

でも同時に、

講義が終わったあとから心の中にあったモヤモヤが、

「やっぱりこれだったんだ。」

そんな気持ちにもなりました。

私は、前向きに歩いている私ばかりを話してしまったのかもしれない。

本当は、

前を向けない私もいる。

涙が止まらない私もいる。

怒りや悔しさでいっぱいになる私もいる。

そんな、見えにくい私、そして自分でも見せにくいと感じている私も含めて、本当の私なのに。

だから私は、学生さんへお返事を書くことにしました。

講義では話しきれなかったこと。

そして、先日noteに書いた『私は「障害受容」という言葉がよく分かりません。』の記事に込めた思いも重ねながら、ありのままの自分の気持ちを書かせていただきました。

「前向きな私」だけではなく、

揺れながら生きている私もまた、本当の私なんだということを、今度こそ伝えたいと思ったのです。

学生さんへのお返事の中では、講義では十分にお話しできなかったことを、もう少し丁寧に書かせていただきました。

その中でも、一番多かった質問が、

「患者さんには、どんな言葉をかけたらいいですか。」

というものでした。

この質問を読んだ時、私は改めて考えました。

私は、どんな言葉をかけてもらった時に救われてきたんだろう。

どんな関わりが、一番うれしかったんだろう。

正直、今でも答えは分かりません。

でも今の私が思うのは、

一番大切なのは、「どんな言葉をかけるか」ではないのかもしれない、ということです。

本当に苦しい時、

人は涙も出ません。

言葉も出ません。

そんな時に必要なのは、

励ましの言葉でも、

気の利いたアドバイスでもなく、

「私はあなたのことを知りたい。」

「あなたのことを大切に思っています。」

「あなたと一緒に考えたい。」

そんな気持ちで、そっと隣にいてくれる人なのかもしれません。

「寄り添う」という言葉も、

「分かります」という言葉も、

簡単に口にすることはできます。

でも、本当に寄り添うことも、

本当に相手を理解することも、

決して簡単なことではありません。

だから私は、

「分かります。」と言い切るのではなく、

「あなたのことを知りたい。」

そう思い続ける姿勢を大切にしてほしいと書きました。

相手が今、何を感じ、

何を考え、

何に苦しみ、

何に幸せを感じているのか。

その人に関心を持ち、

その人を知りたいと思い続けること。

私は、それこそが対人援助の原点なのではないかと思っています。

その心を持っていれば、

きっとどんな言葉も、相手の心に届く言葉になる。

私は、そんなふうに思っています。

お返事を書きながら、

私自身も改めて、

「看護って何だろう。」

「対人援助って何だろう。」

そんなことを、学生さんたちと一緒に考えさせてもらいました。

そして、お返事を書き終えた時、私は改めて思いました。

やっぱり私は、看護が大好きなんだな、と。

病気になってから、

病棟で患者さんと直接向き合う看護師として働くことはできなくなりました。

それは今でも悔しいです。

もし目が見えていたら。

もし病気になっていなかったら。

そんなことを考える日も、今でもあります。

でも、今回改めて感じたことがあります。

それは、看護は病棟だけでするものではないということです。

講義で私の経験を伝えること。

学生さんたちが真剣に話を聞き、考えてくれること。

そして、その感想を読み、お返事を書くこと。

その一つひとつの時間も、私にとっては大切な「看護」の時間なんだと思いました。

私は一人では、もう多くの患者さんと出会うことはできません。

でも、これから看護師になる学生さんたちは、

何百人、何千人という患者さんやご家族と出会っていきます。

もし私がお話ししたことや、

学生さんへのお返事に込めた思い、

そして、このnoteで綴っている思いのほんの一つでも、

皆さんの心のどこかに残り、

未来の患者さんとの関わりの中で生き続けてくれたら。

それほど幸せなことはありません。

一人の看護師として届けられることには限りがあります。

でも、その思いが未来の看護師さんたちへつながり、

さらにその先の患者さんやご家族へとつながっていく。

そう考えると、

私は今も、違う形で看護を続けることができているのかもしれません。

今年もまた、

学生さんたちとの時間の中で、

私の方がたくさんのことを学ばせていただきました。

本当にありがとうございました。

また来年も、

未来の看護師さんたちと一緒に、

看護について、人を支えるということについて、

一緒に考える時間を持てるように、

私自身も、一歩ずつ成長していきたいと思います。

今日のお勧め記事


今日ご紹介したいのは、凪さんの

『落ち着いて。深呼吸して。逃げないで。』

という記事です。

この記事には、30年看護師として働いてこられた凪さんが、ある日突然、重症心不全と診断され、指定難病と身体障害者手帳3級の当事者になった経験が綴られています。

それまで支える側にいた人が、ある日突然、支えられる側になる。

患者さんに説明していた検査の怖さを、自分自身がカテーテル台の上で初めて知る。

車椅子を勧められること、障害者枠の窓口に案内されること、車椅子マークを貼ること。

その一つひとつに戸惑い、抵抗し、「これは私じゃない」と思いながら、それでも少しずつ現実と向き合っていく姿が、とてもまっすぐに書かれていました。

読んでいて、何度も胸がぎゅっとなりました。

医療者として分かっていたはずのこと。

患者さんに何度も声をかけてきたこと。

でも、自分がその立場になって初めて分かる痛みや悔しさがある。

その感覚が、私自身の経験とも重なりました。

特に心に残ったのは、

障害者になった自分をすぐには受け入れられないこと。

受け入れようとしても心が追いつかないこと。

それでも、慌てず、いつもの日常をいつものように過ごしていこうとすること。

私も最近、「障害受容」という言葉について考えていたので、凪さんの記事はとても深く心に残りました。

病気や障害とともに生きることは、きれいごとではありません。

受け入れました、前を向きました、これで終わり。

そんな簡単なものではないと思います。

逃げたい日もある。

認めたくない日もある。

でも、それでも日常は続いていく。

この記事の最後にある

「落ち着いて。深呼吸して。現実から、逃げないで。」

という言葉は、優しいけれど、とても強い言葉だと思いました。

病気や障害によって人生が大きく変わった人にも、

今まさに何かと向き合っている人にも、

そして医療や福祉に関わる人にも、

ぜひ読んでほしい記事です。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

今回は、講義そのものだけではなく、講義が終わってから私が感じたこと、考えたことについて書かせていただきました。

学生さんたちと過ごす時間は、私にとって看護を伝える時間であると同時に、自分自身が看護について改めて考え直す時間でもあります。

そして今年は、「前向きな私」だけではなく、「揺れながら生きている私」も含めて、本当の私なんだということを、改めて感じる機会にもなりました。

これからも、かっこいい自分だけではなく、うれしいことも、悔しいことも、立ち止まることも、ありのままの自分を、このnoteでは素直に綴っていけたらと思っています。

もしこの記事を読んで、何か感じたことや考えたことがあれば、ぜひコメントで教えてください。

そして、これから看護師や対人援助職を目指す皆さん、今まさに医療や福祉の現場で頑張っておられる皆さんと、これからも一緒に「人を支えること」について考えていけたら、とてもうれしいです。

最後に、今年も貴重な機会をくださった神戸女子大学の先生方、そして真剣に話を聞き、たくさんの感想や質問を寄せてくださった学生の皆さんに、心から感謝しています。

本当にありがとうございました。

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