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イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第十四話


地図上に置かれた駒を見つめながら微笑むワンを見て、テイルは何かに気づいたように口を開いた。

「そういうことですか……」

ラビもイフも、その言葉の意味が理解できずにいる。

ワンは何も言わず、静かに頷いた。

二人の間では、すでに何かが完成しているようだった。


猫から始まる世界征服 第十四話


――帝国軍第五方面司令部・帝国国境付近。

「リスナ司令、第四方面司令のドルナ様が到着されました」

「チッ……」

知らせに来た兵へ見向きもせず、小さく舌打ちすると、リスナは椅子から立ち上がった。

「おおー、リスナ! 久しぶりだなぁ!」

天幕の中に響き渡る大声に、周囲の兵たちまで驚いて振り返る。

赤い全身鎧に黒いマントを翻した大柄な男が、ガハハと笑いながらリスナの肩を叩いた。

「ええ、久しぶりです。ドルナ司令……」

リスナは目を合わせようともせず、小さく呟く。

ドルナは五十代とは思えないほど引き締まった巨体をしていた。

赤い鎧は、盛り上がった筋肉ではち切れそうになっている。

「で、王国軍のバカ犬どもは、予定通り動いたか?」

ドルナは中央に広げられた地図へ目を向けると、機嫌良さそうにリスナへ尋ねた。

「順調ですよ。あとはヴェルゴ要塞に到着する前に、スカムが裏切ればこちらの勝ちです」

リスナは淡々と答える。

だが、ドルナは顎に手を当て、少し考えるような仕草を見せた。

「しかし、そのスカムとかいうクズ子爵が裏切らなければ、こちらがまずいことになるんじゃないか?」

その一言が癇に障ったのか、リスナは鼻で笑うと、一枚の書類を取り出した。

「スカム子爵との間で交わした血判状です。皇帝陛下の玉印までいただいています」

リスナは書類をドルナへ差し出す。

「もしスカム子爵が動かなければ、これを王国軍に見せるだけです」

ドルナは玉印をまじまじと見つめると、大きく頷いた。

「ほう。これは間違いないな。奴も同じ血判状を持っているなら、裏切らざるを得ん!」

満足したように笑うと、ドルナはリスナへ顔を近づけた。

「ならば、俺はどの犬どもを蹴散らせばいい? 教えてもらおう」

リスナは少し呆れたように答える。

「あなたの騎兵は砦攻略には不向きです。王国の増援が来た場合、そちらへの対応をお願いします」

「なんだ、つまらん。なら必要になったら声をかけてくれ」

ドルナは吐き捨てるように言うと、大きな声で笑いながら、再びリスナの肩を何度も叩いた。

それで気が済んだのか、そのまま天幕の外へと姿を消していく。

「いっそ、貴様も消えてくれればいいのに……」

その後ろ姿を見つめながら、リスナは痛む肩をさすって呟いた。



――王国軍近衛師団・スカム子爵領街道。

街道を南下する長い隊列が、夕日に照らされていた。

荷馬車には大量の物資が積まれ、その列はどこまでも続いているように見える。

その先頭近く、馬上のジャンス将軍の金髪もまた、夕日に赤く染まっていた。

そこへ、先行していた騎兵が報告に戻ってくる。

「報告。ヴェルゴ要塞の敵兵に動きなし。籠城するものと思われます」

「ご苦労。進軍を止める。今日はここで野営する」

ジャンスが命令すると、近くにいた伝令たちが慌ただしく動き始めた。

軍列の各所で指示が飛び交い、兵たちは次々と野営の準備に取りかかる。

「スカム子爵の増援は?」

馬から降りたジャンスは、そばに整列していた参謀たちへ声をかけた。

「出撃の命令は届いております。ただ、戦慣れしていないため、幾分遅れるとのことです」

参謀の一人が答える。

ジャンスは苛立ったように首を振った。

「よくもまあ、抜け抜けと。帝国との国境近くを領地にしている子爵が、戦慣れしていないと……」

誰に聞かせるでもなく呟くと、ジャンスは設営されつつある天幕へ向かって歩き始めた。



――スカム子爵領・子爵邸。

豪華な調度品が並ぶ部屋で、長椅子に足を伸ばした男が天井を眺めていた。

片手には酒の注がれたグラスを持ち、赤ら顔のままヘラヘラと笑っている。

三十代半ばのその男は、派手な服に幾つもの指輪をつけた、悪趣味とも言える姿をしていた。

だが本人は、そんなことをまるで気にも留めていない様子だった。

部屋には鎧を着た兵士たちが並び立ち、その様子を黙って見つめている。

「急報! 王国軍から再度の出兵要請です!」

扉を勢いよく開け、兵士の一人が部屋へ入ってきた。

しかし男はひらひらと手を振るだけで、答えようともしない。

その様子を見かねた近くの指揮官風の男が口を開いた。

「スカム子爵は現在、出兵の準備中だ。領内の兵が集まり次第、出撃すると伝えよ」

その言葉に頷くと、兵士は訝しげな表情を浮かべながら部屋を後にした。

「そろそろ動きませんと、まずいことになります」

隊長風の男がスカムへ進言する。

するとスカムは上半身だけを起こし、笑いながら答えた。

「まだだ。王国軍が領内を通過したら、その後を追う。それまでは上手く答えておけ」

困った表情を浮かべる兵たちの顔を見ると、スカムは苛立ったように怒鳴った。

「むさ苦しい! お前らも呼ばれるまでは外で待機してろ!」

そう言うと、グラスに口をつけ、人払いするように手を振る。

兵たちは小さく息を吐くと、子爵の部屋を後にした。

「トラボー隊長! どうして子爵様は兵を出さないのですか?」

廊下へ出たところで、若い士官がトラボーへ詰め寄るように尋ねた。

老齢のトラボー隊長は、蓄えた髭をひと撫ですると、小さく息を吐いた。

「子爵様にはお考えがあるのだ。それに従うのが我らの務め。別途命令があるまでは待機せよ」

「でも……」

若い士官が食い下がろうとしたところで、その肩を掴んだ別の士官が口を開いた。

「噂ではありますが……子爵様は今回の戦で、帝国側に付くと聞きました」

声を潜めて告げると、トラボー隊長の眉がわずかに上がった。

「ライとか言ったか?」

トラボーは鋭い視線を向ける。

「知らんようだから教えておく。この領地では、スカム子爵様の決定がすべてだ。要らぬ詮索は身を滅ぼすぞ」

一瞬の沈黙。

やがてトラボーは、口元を歪めるように笑った。

「それに、子爵様に付いていけば、いい思いができるからな」

ライも釣られるように口元を上げる。

そして若い士官の肩に手をかけると、その場を離れるように歩き始めた。



――夜・スカム子爵領郊外。

黒い外套を被った一人の女性が、手元に届いたメモへ目を通していた。

『スカム子爵に動きなし。帝国との密約を記した書状を探す』

読み終えると、女性はメモをランタンの火へ近づけた。

紙は瞬く間に炎に包まれ、黒く崩れていく。

そのとき、突風が吹いた。

顔を隠していたフードが外れ、その顔があらわになる。

「テイル様の読み……間違いないですね」

イフは風になびく髪を押さえながら、静かに呟いた。



ニイアスの公式記録には、一部非公開とされる情報が存在する。

変体の魔法の使い手たちによって構成された諜報部隊――『ラ・イフ』。

その名を知る者は少ない。
そして、その意味を正しく知る者は、さらに少なかった。

歴史の表舞台には決して記されることのない戦いが、今、始まろうとしていた。



🔙第十三話   第十五話🔜



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