イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第十七話
王国軍が設置した投石機から、巨大な岩が放たれた。
岩は眼前にそびえる城塞の壁へ激突し、砕け散った破片が雨のように降り注ぐ。
要塞へ向かって攻城塔を押す獣人奴隷たちには、容赦なく矢が浴びせられていた。
一人、また一人と地面へ倒れていく。
倒れた獣人奴隷はその場から引きずり出され、代わりに後方の檻付き馬車から、鎖に繋がれた獣人たちが次々と連れ出される。
空いた場所へ押し込まれた彼らは、再び攻城塔を押し始めた。
そのとき、要塞から無数の壺が放たれた。
壺は攻城塔へぶつかり、中に詰められていた油が周囲へ飛び散る。
続けて飛来した火矢が突き刺さった瞬間、炎が一気に燃え広がった。
燃え盛る攻城塔から逃れようと、兵たちが次々に飛び出す。
だが、その身体にも炎が燃え移る。
悲鳴を上げながら地面を転げ回る者。
助けを求めて手を伸ばす者。
そのすぐ横では、次の攻城塔が再び要塞へ向かって動き始めていた。
眼前に広がる地獄絵図を、小高い丘の上からジャンス将軍は黙って見つめていた。
その視線の先にあるのは、炎に包まれながらもなお威容を保つ巨大な要塞だった。

猫から始まる世界征服 第十七話
――帝国領・ヴェルゴ要塞。
帝国でも難攻不落と呼ばれるヴェルゴ要塞。
その攻略は、長年にわたる王国の悲願でもあった。
ここを突破すれば、その先には帝国有数の穀倉地帯――カヒム平原が広がっている。
王国軍にとってヴェルゴ要塞の陥落は、単なる領土の獲得ではない。
帝国の食糧供給を脅かし、戦争そのものを大きく傾けるための一手だった。
「一カ月以内……」
ジャンスは手にした命令書を強く握りしめ、呟いた。
帝国に誘い出される形でヴェルゴ要塞へ主力を向けた結果、今度は王国北部の要であるハイデン砦が危機に晒されている。
だが、王国軍を転進させてハイデン砦へ援軍を送れば、ヴェルゴ要塞の帝国軍から追撃を受ける恐れがあった。
簡単に兵を引くことなどできない。
そこへ王都から届いたのは、
ヴェルゴ要塞を最短で攻略し、その後ハイデン砦へ救援に向かえ――
ただそれだけを記した命令書だった。
「攻城塔、崩落!」
前線から伝令の声が飛ぶ。
ジャンスは命令書を握ったまま、燃え落ちる攻城塔を見つめた。
わずかな沈黙のあと、静かに口を開く。
「全軍、前進」
伝令たちが息を呑んだ。
「いかなる犠牲を払っても要塞を落とせ。予備の攻城塔も出させろ!」
「はっ!」
指示を受けた伝令が駆け出していく。
ジャンスは冷たい眼差しを、再びヴェルゴ要塞へ向けた。
*
――王国領北部・ハイデン砦、帝国軍陣地。
「一カ月だ!」
リスナの怒号が天幕の中へ響き渡った。
周囲に集まっていた参謀たちにも、ひりつくような空気が伝わる。
「一カ月以内にハイデン砦を落とす!」
誰も言葉を返さなかった。
リスナは苛立ったように周囲を見回す。
「ドルナはどこに行った?」
第四方面軍司令ドルナの所在を尋ねる。
だが、誰も正確な答えを返せなかった。
「……チッ」
リスナが机を拳で叩く。
その衝撃で、戦局図の上に置かれていた駒の一つが倒れた。
「どいつも、こいつも無能ばかりだ!」
さらに拳を振り下ろす。
「どうして私の作戦の邪魔をする!」
怒声だけが天幕の中に響いた。
だが、返事はない。
気づけば、いつの間にか周囲の参謀たちは席を外していた。
残されたリスナは一人、頭を掻きむしる。
そして、目の前に広げられた戦局図を睨みつけた。
そこには王国軍と帝国軍。
敵と味方。
いくつもの駒が、互いに入り乱れるように配置されていた。
*
――ヒーバ大森林・ニイアス。
北部争乱が始まってから、まもなく一カ月が経とうとしていた。
黒の館と呼ばれるワンの館には、ニイアスの主だった者たちが集められていた。
部屋の中央に置かれた大きな机を囲むように、それぞれが席についている。
獣人たちの代表となったロウ長老。
獣人部隊を率いるアトラ。
ニイアスの軍事を統括するラビ。
行政と戦略を担うテイル。
そして、商流と諜報を支えるイフ。
それぞれが役割を持ち、報告を上げ、判断を下す。
かつては森の中に点在する小さな集落に過ぎなかったニイアスは、少しずつ一つの国としての形を持ち始めていた。
その中心にいるのが、ニアだった。
彼女は新たにニイアスへ流れ込んだ難民たちを支えるため、種族の違いなど気にすることなく動き続けていた。
食事の配給を手伝い。
怪我人を見舞い。
泣く子供がいれば、その隣に座る。
獣人であろうと、ヒューマンであろうと変わらない。
そんな姿を見た者たちは、いつしか彼女を別の名で呼ぶようになっていた。
――聖女。
本人の意思とは関係なく、その呼び名は少しずつニイアスに広がり始めている。
そして、その流れをさらに加速させたのが、ワンの独断で新設された護衛部隊だった。
聖女騎士団――通称、ヴァルキュリア。
獣人の女性のみで構成された、ニア専属の護衛部隊である。
館の外では、白と黒を基調とした装備に身を包んだ女性兵たちが、ニアの周囲を固めるように待機していた。
「……ワン」
テイルが呆れたような声を出す。
「何だ?」
「いつの間に、こんなものを作ったんですか」
「必要だったからだ」
「そういう話をしているわけではありません」
ワンは何食わぬ顔で肩をすくめた。
そのとき、部屋の扉が開いた。
イフが一枚の紙を手に持って入ってくる。
「戦況報告です」
全員の視線が集まった。
イフは紙面へ目を落とす。
「王国軍はヴェルゴ要塞への攻撃を継続。帝国軍もハイデン砦への攻勢を強めています」
「損害は?」
ラビが尋ねる。
「双方とも、かなり出ているようです」
部屋の空気がわずかに重くなった。
ワンは何も言わず、机の上に広げられた地図へ視線を落とした。
ヴェルゴ要塞。
ハイデン砦。
そして、その二つの戦場から離れた場所にある大きな森。
そこには一つだけ、黒い駒が置かれていた。
ニイアス。
ワンはその駒を指先で軽く弾く。
「予定通りだ」
「こちらは、予定外です」
テイルが頭に手をやり、呆れたように言った。
数枚の報告書を取り出し、机の上へ置く。
一同が覗き込むと、そこには細かな数字がびっしりと並んでいた。
テイルは数字を指で追いながら説明する。
「この一カ月で、ニイアスはとんでもない速さで成長しています。問題は、制度がまったく追いついていないことです」
ふと顔を上げる。
だが、ワンは報告書ではなく、向かいに座るニアをじっと見つめていた。
「……聞いていますか?」
「聞いてる」
テイルは小さくため息を吐いた。
「では続けます。まず、ニイアスにしっかりとした法を作ります」
その言葉に、一同の表情が変わった。
「現在は王国と帝国、それぞれから来た者たちが、それぞれの常識を持ち込んでいます。そのせいで、些細なことでも揉め事が起き始めています」
そこでロウが静かに手を上げた。
「獣人たちの間では、いまだヒューマンに対する不信が残っております」
一度言葉を切り、ニアへ視線を向ける。
「一方、ここへ逃れてきたヒューマンたちには、聖女様のおかげもあり、獣人への偏見は少なくなっております」
テイルは頷いた。
そして、ニアを見る。
その視線に気づいたニアは、少し考えてからゆっくりと口を開いた。
「ニイアスは、獣人とヒューマンが等しく暮らす場所です」
部屋の中が静かになる。
「だからこそ、王国のルールも帝国のルールも一度忘れて、ここに暮らすみなさんが一緒に生きていける。そんな仕組みを作れればと思います」
毅然と話すニアの姿を、ワンは黙って見つめていた。
先ほどまでとは打って変わり、その表情が引き締まる。
「方針は決まった」
ワンが椅子へ深く腰掛け直した。
「ここは自由の地だ。だが、何をしてもいいという意味じゃない」
机の上に置かれた報告書へ視線を落とす。
「いいぞ。最優先事項だ」
そして、はっきりと言い切った。
「ニイアスの法を作る」
一同が大きく頷く。
そこからは、それぞれの立場から活発な意見が飛び交い始めた。
その様子を見ながら、テイルはそっとニアへ目配せする。
ニアも頬を緩め、小さく会釈を返した。
二人のやり取りに気づくことなく、ワンは真剣な表情で報告書を読み始めていた。

このとき生まれたニイアス基本法は、その後幾度もの改定を経て、現在の法体系へと受け継がれていく。
ただし、現存する最古の資料には、こんな一文が残されている。
「聖女の昼寝を妨害した者は重罪とする」
これが英雄本人の直筆であるという説については、現在も議論が続いている。
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