イブ物語|判断寓話|ファンタジー小説|猫征|第十六話
「聖域剥奪!」
ジャンスの声が、馬上から響き渡った。
スカム子爵邸の門前に集められていた私兵たちは、突然の宣告に互いの顔を見合わせる。
ジャンスが率いる近衛の精鋭騎兵は、すでに屋敷をぐるりと取り囲んでいた。

猫から始まる世界征服 第十六話
騒ぎを聞きつけたスカム子爵の私兵隊長トラボーが、兵たちの前へ進み出る。
「聖域剥奪とは、いかなる理由で?」
口調こそ落ち着いていたが、その口元はわずかに引きつっていた。
ジャンスは荒ぶる馬の手綱を握りながら、トラボーを見下ろして叫んだ。
「王国への離反の疑いにより、スカム子爵の身柄を拘束する! 抵抗する者は、実力をもって排除する!」
私兵たちの間にどよめきが広がった。
その様子を横目に、トラボーも声を張り上げる。
「いかに近衛とはいえ、証拠もなく子爵の私邸を囲むとは、どういう了見か!」
その言葉を叩き返すように、ジャンスも声を上げた。
「スカムと帝国との血判状がある! 門を開けぬなら、押して参る!」
ジャンスの後方に控えていた騎兵たちが、ゆっくりと前へ進み出た。
「捏造だ!」
トラボーの背後から、悲鳴にも似た声が響いた。
そこにはスカム子爵が、青ざめた表情で立ち尽くしていた。
「貴様こそ、帝国の策に乗せられているだけだ! なぜ、それがわからん!」
スカムは取り繕うように言葉を重ねる。
「この土地は代々、スカム家が帝国から守り続けてきた地だ。それを、たかだかそんな紙切れ一枚にたぶらかされるとは……近衛も地に落ちたものだ!」
早口でまくし立てるスカムに、ジャンスは侮蔑の眼差しを向けた。
そして、低い声で問いただす。
「ならば問う。王国からの出兵要請を無視し、卿はなぜここにいる?」
馬を数歩進ませ、さらに続ける。
「そして、この血判状に記された密約と、なぜ卿の動きがこれほどまでに一致する?」
ジャンスは胸元から血判状を取り出し、高々と掲げた。
それを見たスカムは、明らかに狼狽した。
「陰謀だ! 貴族の不逮捕特権を行使する! 王からの命令があるまで、これより先へ立ち入ることは認めぬ!」
そう言い放つと、踵を返して館へ戻ろうとする。
「待たれよ!」
ジャンスの声が飛んだ。
「王国への離反は、聖域剥奪と定められている! その場から動けば、王国への叛意ありと判断する。それでよいのだな?」
スカムの足が止まった。
肩が震えている。
だが、振り返りはしなかった。
近衛騎馬隊とスカムの私兵たちは、互いに動くことなく、その行方を見守っていた。
その時だった。
風を切る音。
一本の矢が、ジャンスの頬を掠めた。
「将軍を守れ!」
護衛の近衛兵が即座に動き、盾となるようにジャンスを囲む。
同時に、馬のいななきが響いた。
驚いた騎馬が身を跳ね上げる。
それをきっかけに、近衛騎馬隊が一斉に動き出した。
対するスカムの私兵たちも、槍を構えて応戦する。
「待て! 無闇に動くな!」
ジャンスの叫びは、怒号と馬蹄の音にかき消された。
そして――
近衛騎馬隊とスカム私兵との戦闘は、誰の命令によるものでもなく、なし崩し的に始まってしまった。
*
戦闘は、一方的なものとなった。
王国でも最精鋭とされる近衛騎馬隊の突撃を前に、スカムの私兵たちは瞬く間に薙ぎ払われていく。
ある者は馬上から振るわれた槍に貫かれ、ある者は突撃の勢いに弾き飛ばされた。
隊列は瞬時に崩壊した。
もはや潰走と呼べるものですらない。
私兵たちは散り散りになりながら、悲鳴を上げて逃げ出した。
ジャンスの戦闘停止の号令が届いた頃には、すでに戦いは決着していた。
だが、そこにはジャンスが最も恐れていた結果が残されていた。
スカム子爵の死である。
混乱を収拾したジャンスが呼ばれ、屋敷の庭先へ向かう。
そこには、無惨な亡骸となったスカムが横たわっていた。
ジャンスはその姿を見下ろし、静かに拳を握った。
「……これで、査問は避けられまい」
そう呟くと、ジャンスは剣を鞘に納めた。
そして、横たわるスカムの顔をしばらく見つめる。
近くにいた近衛の士官が、静かに声をかけた。
「閣下。ヴェルゴ要塞にお戻りください」
その声に、ジャンスの瞳へ再び光が戻った。
士官を睨むように見据え、低い声で返す。
「王国貴族が、裁判もなしに死んだのだ。王都から監査官が来るまでは、証拠を保全せねばならない」
すると、他の士官たちもジャンスのもとへ歩み寄り、次々と声を上げた。
「閣下。スカム子爵の死は、自ら招いた結果です」
「前線では、閣下の指揮を待つ二万の兵が、閣下の帰りを信じて戦っています」
「監査官が到着するまでの治安回復は、我らにお任せください。閣下は一刻も早く、ヴェルゴ要塞へお戻りを」
士官たちの熱のこもった言葉は、ただジャンスの身を案じたものではなかった。
今も前線で戦う、仲間たちを思っての言葉でもあった。
ジャンスは一瞬、スカムの遺体へ目を向ける。
そして、小さく息を吐いた。
「……わかった」
顔を上げる。
「スカム子爵の遺体は、くれぐれも丁重に扱え。また、この屋敷と血判状を含め、すべての証拠を保全するように」
士官たちが頷く。
ジャンスはさらに続けた。
「それと――最初に矢を放った、スカム側の兵を必ず特定せよ」
その言葉を受け、士官たちは近くにいた伝令へ次々と指示を伝えていく。
ジャンスはもう一度だけ、スカムの亡骸を見た。
そして、背を向ける。
「……私は、ヴェルゴ要塞攻略の指揮を執る」
その最後の命令に、士官たちは力強く頷いた。
*
ヒーバ大森林・ニイアス。
「テイル様、また難民が保護されました」
獣人の兵から報告を受け、テイルは大きくため息を吐いた。
「人数を確認したうえで、居住地の振り分けをこの表に基づいて行ってください。特に武器になり得るものについては、慎重に取り扱うように」
淡々と指示を出すと、周囲にいた者たちがすぐさま動き始めた。
テイルは新たに受け入れることとなった難民の数を、手元の台帳へ書き入れていく。
そこには、今日だけで何度も数字を書き直した跡が残っていた。
アトラたちに守られるように、ニイアスへ辿り着いた難民たちは、皆、疲れ果てていた。
着の身着のまま逃げてきた者も少なくない。
その人波の間から、小さな子供の顔が覗いていた。
ニイアスで暮らす獣人の子供たちは、その姿を不思議そうに見つめている。
テイルは台帳から目を上げた。
「ワン。あなた、ここまで予想していましたか?」
誰に聞かせるでもなく呟き、口元をわずかに上げる。
その視線の先。
ニイアスの中央広場では、ワンがいつものように笑顔を浮かべながら、辿り着いた難民たちへ鍋のスープを配っていた。

北部争乱が始まって、わずか一カ月。
ニイアスが受け入れた難民の数は――
千二百四十七名に達していた。
🔙第十五話 第十七話🔜
◾️スープ配りの本音

十六話の現在の国力
領土 ヒーバ大森林 ニイアス
人口 1636人【獣人1157人+人間479人】
兵力 311人
指揮官 黒獅子ワン、ラビ、アトラ
主要人物
黒獅子ワン、テイル、ラビ
ニア、アトラ、長老ロウ
モフ、イフ、ライ
