「わざわざ」が、体験の価値を上げる 【大曲と盛岡の旅】
先日、秋田県大仙市の「大曲の花火」を見に行った。
旅友のOさんが観覧席を予約してくれたこともあり、盛岡の観光も兼ねて行くことになった。
正直、行くまでのハードルはかなり高かった。
福岡から盛岡まで飛行機で移動し、そこからさらに大曲へ。
盛岡から大曲までの新幹線はすでに完売していたため、鈍行に乗って2時間かけて向かった。
「そこまでして行く?」と言われたら、たしかにそうかもしれない。
でも、実際に行ってみると、想像していた以上に良かった。
日本三大花火の「大曲」
日本三大花火のひとつと言われる「大曲の花火」は、一般的な花火大会とは少し違う。
明治時代から続く、世界最高峰の花火競技大会だ。
スポンサーが用意した花火を観客が楽しむというより、花火師たちが技術を競い合う、いわば「花火の大会」。
フィギュアスケートのように、決められた演技があり、そこに自由演技が加わる。夜空に上がる一発一発に、花火師の技術や工夫が詰まっている。
そして、やっぱり花火は「生」が凄かった。
正直、花火をちゃんと見たのは数年ぶりだ。
特別興味があったわけでもない。
誘われたから、「見たことないし、行ってみるか」くらいの感覚だった。
それが、始まってすぐに、「苦労して来てよかった」に変わった。
画面越しでは分からない音や振動、空気感がある。
目の前いっぱいに広がる光を見ながら、「これは、わざわざ来ないと分からないな」と思った。

改めて、「わざわざ」に価値がある
今回の旅をしていて、最近こういうことが増えているなと思った。
便利になればなるほど、「わざわざ何かをすること」に価値が出てくる。
花火はYouTubeの配信で綺麗に見られる。
大曲の情報も、盛岡の情報も、検索すればいくらでも出てくる。
美味しい店だって、口コミを見ればある程度分かる。
それでも、自分で行く。
時間を使って、移動して、少し疲れて、現地に立つ。
すると、画面からは得られないものが残る。
大曲の花火が、まさにそうだった。
「花火を見た」という情報ではなく、「大変な思いをして大曲まで行って、あの場所で花火を見た」という体験になる。
この違いは、意外と大きいのかもしれない。

盛岡に行って、盛岡を知った
大曲の花火を観覧した翌日は、盛岡を観光した。
これがまた面白かった。
盛岡の魅力は、歩いて回れるコンパクトな街並みの中に、レトロな歴史的建築物や豊かな自然、独自の食文化が共存しているところにある。
岩手銀行赤レンガ館や「もりおか啄木・賢治青春館」など、明治期の美しい洋館が残っている。街のあちこちから雄大な岩手山を望むことができ、北上川などの水辺の景色も楽しめる。
石川啄木や宮沢賢治ゆかりの地でもあり、個性的な本屋や老舗喫茶店を巡る楽しみもある。その魅力は、ニューヨーク・タイムズ紙の「2023年に行くべき52カ所」にも選ばれ、「歩いて回れる珠玉の街」として世界的にも注目された。

実際に行ってみると、食べ物が驚くほど美味しかった。
特に印象に残ったのは、都内で食べるものと比べても、「こんなに違うのか」と思うくらい、食材が新鮮だったこと。
一緒に行った旅友のOさんの友達で、現地で合流した盛岡に詳しい人のおすすめで店を選んだことも大きかったと思う。
自分一人だったら、おそらく行かなかった店にも行くことができた。
そう考えると、旅では「その土地に詳しい人と行く」ということ自体にも価値があるのかもしれない。

そして、盛岡の魅力は食べ物だけではなかった。
南部鉄器があり、盛岡城があり、河童や座敷わらしのような土地に根付いた話がある。日本民俗学の祖である柳田國男のような人物とのつながりもある。
そして、1948年創業の「福田パン」というコッペパン専門店もある。
大きなコッペパンに、たくさんの具材の中から好きなものを選び、その場で挟んでもらう。
こういうものをひとつ知るだけでも、街の見え方が少し変わる。
「盛岡=地方都市」ではなく、「この街には、こういう文化が積み重なってきたんだ」と思えるようになる。

改めて、地方は面白い
今回、改めて思った。
日本には、まだまだ知らない場所がたくさんある。
東京や福岡にいると、ついその都市を基準に考えてしまう。
新しい店ができる。
新しいサービスが生まれる。
話題のものが集まってくる。
もちろん、それはそれで面白い。
でも、地方には地方にしかないものがある。
その土地で長く続いている店。
その地域でしか食べられないもの。
昔から残っている文化。
地元の人しか知らない場所。
そして、その土地で暮らしている人たち。
全国どこに行っても同じような店が並んでいるより、少し不便でも「ここにしかないもの」が残っている街のほうが、個人的には面白く感じる。
だから、これから日本をいろいろ回ってみたいと思った。
別に、有名な観光地を制覇したいわけではない。
むしろ、その土地に行ってみて、「ここには何があるんだろう?」と知っていきたい。

良い「場」には、人がいる
今回の旅を振り返っていて、もうひとつ思ったことがある。
自分が好きなのは、もしかすると「場所」そのものではなく、「良い場」なのかもしれない。
大曲の花火には、凄腕の花火師がいる。
支えるスポンサーがいる。楽しむ観客や地元の人たちがいる。
盛岡には、昔から続く店があり、文化があり、そこで暮らす人がいる。
そして、その場所にいる人たちがつくる空気がある。
だから、「また行きたい」と思う。
場所は、住所だけではない。
そこに何があり、誰がいて、どんな時間が流れているのか。
それまで含めて「場」なのだと思う。
便利さだけを考えれば、わざわざ遠くまで行く必要はない。
家にいても、いろんなものを見ることができる。
でも、だからこそ、わざわざ行く。
わざわざ人に会う。
わざわざその土地のものを食べる。
わざわざ、その空気を感じる。
そういう一見非効率なことの中に、人生を豊かにするものがあるのかもしれない。
大曲まで行くのは大変だった。
でも、行ってよかった。
盛岡にも、また行きたい。
そしてこれからも、まだ知らない日本の「場」を探してみたいと思う。
わざわざ行く。
その先でしか出会えない人や景色や空気が、きっとまだたくさんある。
良太

