思い出のもの・昔のものを捨てて後悔している
自分自身の経験から、行きすぎたミニマリズムは後悔を生む危険があると思っている。
というのも、自分自身が極端なミニマリストだったときに、二度と手に入らないものをバンバン捨ててしまっていたから。
「捨てること」が目的になっていませんか?
自分にとっての片付けや整理整頓の目的は、なんなのでしょうか。
ミニマリスト時代の失敗談をお話しします。
これはわたしの失敗であって、ミニマリスト・ミニマリズムを批判する意図はありません。
ミニマリズム自体は、いま現在もわたしの中にある大切な考え方です。
快適になることが目的
極端なミニマリストを経て、現在は余白よりも余裕を得たい、と思っています。
相変わらず人を招くと「何にもない家だね」とは言われますが、以前に比べれば物の量は増えました。けれど、以前のように物の量自体にとらわれてはいません。
わたしにとって一番大切なことは「快適であること」。
ミニマルでもなく、シンプルでもない。
余白よりも、余裕の方が欲しい。
ミニマリストを自認していた、つまり極端なミニマリストだった頃のわたしは、余白こそが正義!と、ものを減らしまくり、捨てまくっていました。
中には子供の頃から集めていたコレクション、友人にもらったバースデーカードなども含まれていた。
その当時の捨てる基準は「いま、必要か」でした。
「いまの自分が必要かどうか」で判断すれば、多くのものが「NO」になります。
なくても大丈夫。現に、捨ててしまったコレクションもバスデーカードも「なくて困った」状況にはなっていません。
ですが、失ったものも確かに存在する。
「もの」を手にした時にだけ起きる言葉にできない心の揺れ、感情の波。
それはまさにタイムトリップです。
過去の空気感や喜び、過ぎ去ってしまった時間、ノスタルジー。昔の宝物を手にした時に当時の気持ちが一気に押し寄せてきて、胸がいっぱいになったことはありませんか。
寂しさの残像のような、あの形容し難い時間旅行。
「もの」があるから、そこにまだ存在しているから、確実に正確に過去へタイムトリップができるのです。
「もの」にしかないパワーがある。
わたしは多くのものを捨ててしまいました。
中にはもう思い出すこともできないものもたくさんあるはず。
「もの」がもうないから、思い出すこともできない。
「もの」があれば思い出せたかもしれない思い出を、永久に葬り去ってしまったかもしれない。
そう思うと、後悔の気持ちが押し寄せてくるのです。
「いま」不要だとしても
ものや思い出を写真に残しておく、という方法もある。
けれど、「もの」でしか残しておけない「こと」もあるということを知りました。皮肉にも、失った後で。
過去の自分にとらわれていたら、ものは増えていく一方です。無限に増えていってしまう。
不要なものは手放した方が良いに決まっています。
では、捨てたらもう二度と手に入らないものはどうしたら良いのでしょう。
快適な暮らしを支えてくれるものであれば、もし「いま」不要でも、手放す必要はない。
いま現在のわたしは、こう考えています。
見るだけで気が重くなっていた、いただき物のオブジェは手放しました。
子供の頃にもらったネックレスはもう使うことはないけれど、「ジュエリーボックスの中にある」という事実が、心を強くしてくれる。手にした時に、優しい思い出が込み上げて、安らぎを与えてくれる。
だから手放しません。
いまの自分を支えてくれる、「思い出の瞬間」に連れていってくれるものは、手放さずに保管している。
でもいつか、タイムトリップの魔法が不要になる日がきっと来る。
その日が来たら、きっと自然に手放せると思うのです。
捨てなくちゃ、余白を作らなくちゃと躍起になっていた時よりも、いまの方が気持ちが安定している気がします。
わたしが欲しかったのは余白ではなく、余裕だった。
「捨てること」は目的ではありません。
「自分がどんな暮らしをしたいか」、目的はこちらではないでしょうか。
ものを減らすことは、理想の暮らしに近づけるための「手段」なのです。
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