部下に必要なのは、権限ではなくコンテキスト
「もっと現場に権限を渡したほうがいい」という話を、これまで何度も聞いてきました。一方、マネージャーからは「かなり権限委譲しているのに、部下が自分で決めてくれない」という話も聞きます。
現場は「決めさせてもらえない」と言い、上司は「決めていいと言っている」と言う。同じ組織の中で、正反対のことが同時に起きています。
私は以前から、このすれ違いが気になっていました。というのも、自分が部下だった頃を振り返っても、「もっと権限がほしい」と思った記憶がほとんどないからです。
判断に迷ったときに気になっていたのは、むしろ「自分には何が見えていないんだろう」ということでした。
会社はいま何を優先しているのか。この案件では何を重く見るのか。以前、似た提案が却下されたのなら、その理由は何だったのか。
そこが分かると、それまで上司に聞いていたことも、自分で決められるようになります。反対に、そこが分からないまま「自由に決めていいよ」と言われても、あまり自由になった感じはしません。見えない地雷原の中で、「好きな道を歩いていい」と言われているようなものです。
そう考えるようになってから、「権限がない」という言葉を、そのまま権限の問題として受け取らなくなりました。「自分たちの判断が尊重されない」「何を基準に決めればいいか分からない」「後から突然ひっくり返される」。かなり違う不満が、まとめて「権限」という一語になっていることがあります。
「採用権限がほしい」は、本当に権限の話なのか
例えば採用です。
現場で何時間も面接し、チームで話し合って、「ぜひこの人と一緒に働きたい」と評価した候補者がいたとします。ところが最後に担当役員が面接し、「今回は見送りで」と不採用にする。しかも、その理由が十分に共有されない。
これが続けば、「一緒に働くのは自分たちなんだから、自分たちで採用を決めさせてほしい」と言いたくなる気持ちはよく分かります。
ただ、その要求を文字どおり受け取ると少し変です。
現場は本当に、担当役員を採用プロセスから外したいのでしょうか。役員には知らせず、自分たちだけで好きな人を採用できるようになれば満足するのでしょうか。
たぶん、そこまでを求めているわけではありません。担当役員が全社の採用基準を見ることには意味がある。それでも、自分たちが積み上げた判断が、理由も分からないまま最後に消されるのは困る。
ここまで考えると、「採用権限がほしい」という言葉が、少し違って聞こえてきます。
欲しいのは、好きに採用できる権利というより、自分たちの判断がどう扱われるのか分かることなのかもしれません。役員と現場で評価が割れたなら、その理由を話す。どこを見て判断が分かれたのかを確認する。
そういうプロセスがあれば、「どちらが最終権限を持つか」という話は、思っていたほど大きな問題ではなくなる気がします。
権限があっても、判断材料がなければ決められない
もう一つ、別の場面を考えてみます。
ある製品について、経営会議では撤退を検討していたとします。一方、それを知らないマーケティング部では、その製品を成長させるために数千万円規模のキャンペーンを企画している。
市場を分析し、施策を考え、関係者を巻き込み、かなり良い企画ができた。そこで経営陣に持っていくと、「その製品は廃止を検討しているので、今は大規模なマーケティング投資はしません」と言われる。
これは相当つらい。「だったら先に言ってほしかった」と思うでしょう。
この場面は、権限について考えると少しおもしろいです。
もしマーケティング部に、数千万円を自由に使える権限があったらよかったのでしょうか。
たぶん逆です。経営が撤退を考えている製品に、現場だけの判断で大きなお金を投じられるようになれば、もっと困ります。
必要だったのは、「この製品は成長投資をする前提ではなく、撤退も含めて検討されている」という一文でした。
それを知っていれば、同じ企画に何週間も使うことはなかったでしょう。
権限があれば自分で決められる、というのは半分しか合っていないのだと思います。判断材料がなければ、自分で決められる範囲が広がったところで、間違った方向へ進める範囲まで広がってしまいます。
承認を減らす話も、少し似ています。上司しか持っていない情報を、それまで承認のたびに補っていたのなら、承認だけ消しても判断材料までは増えません。
このあたりから、私には「権限委譲」という言葉そのものが、少し粗く見えるようになりました。
情報が見えても、まだ判断できない
では、必要なのが情報なら、全部オープンにすればよいのでしょうか。
最近は、Slackを原則オープンチャンネルにしたり、会議のAI議事録や経営会議の資料を社内公開したりする会社も増えています。これはとてもよいことだと思います。
ただ、情報が見えることと、判断できることは同じではありません。
例えば経営会議の議事録に、「製品Aについて今後の方針を検討」と書いてあったとします。
読めば、「何かが起きている」ことは分かります。でも、それが「追加投資を止めよう」という意味なのか、撤退と投資をまだ比較している途中なのかは分かりません。
議事録は読めています。情報も隠されていません。
それでも判断できない。
この違いを考えていたとき、『NO RULES』に出てくるNetflixの「Context not Control」という言葉が、かなりしっくりきました。
情報があるだけでは足りない。何を目指しているのか、何を優先しているのか、どこまでならリスクを取るのか。そういう背景まで分からないと、その情報を自分の判断には使えません。
しかも、こちらは資料を公開するよりずっと面倒です。
情報なら「共有しました」と言えます。でもContextは、相手がどこまで分かっているかを見ながら、何度も話さないと伝わらない。
情報公開をかなり進めた会社でも、「見えるようにはなった。でも、まだ判断できない」ということが起きるのは、このためなのだと思います。
本当に任せると、上司は楽にならない
Netflixの「Context not Control」を読んで、もう一つ印象が変わった言葉があります。
「任せる」です。
部下に任せるというと、上司が手を離すイメージがあります。細かく指示しない。承認しない。口を出さない。そうすれば上司の仕事も減るように見えます。
でも、自分がしていた判断を本当に部下ができるようにしようとすると、むしろ別の仕事が増えます。
「今期は売上成長より粗利を優先している」
「この程度の失敗は許容するが、このリスクは取らない」
上司が普段、ほとんど意識せずに使っているこうした前提を、相手にも見えるようにしなければならないからです。
これをせずに「自分で決めて」と言うと、部下からすれば、目的地も道路事情も知らされないままハンドルだけ渡されたようなものです。
慎重になれば「もっと主体的に」と言われ、思い切って決めれば「どうしてそんな判断をしたの」と言われる。
これでは、「任せられた」というより「上司の考えを当てにいかなければならなくなった」に近いでしょう。
全員が正しく動いているのに、なぜか噛み合わない
Contextが足りないまま権限だけ増えると、もう一つ妙なことが起きます。
誰も指示待ちではない。むしろ、みんなよく考えて自分で動いている。それなのに、なぜか組織全体では噛み合わない。
例えば営業が、大型顧客を取るために大幅な値引きをする。営業から見れば、かなり合理的な判断です。
ところが経営は今期、売上より粗利を優先しているかもしれない。プロダクト側は、個別対応の多い大型顧客をこれ以上増やしたくないかもしれません。
営業は何も間違ったことをしているつもりはありません。むしろ主体的に動いています。
ここが少し怖いところです。
動かない組織なら、問題はすぐ見えます。でも全員が自分の見えている範囲で合理的に動いていると、かなり長い間「うまくいっている」ようにも見える。
権限委譲によって速く動けるようになった分だけ、違う方向へ進む速度まで上がってしまうことがあります。
「もっと主体性を持ってほしい」という話を聞くと、以前より少し慎重に考えるようになりました。
主体性が足りないのではなく、見えている景色が違うだけかもしれないからです。
任せるとは、自分の頭の中を外に出すこと
ここまで考えてきて、私が昔から「権限委譲」という言葉にあまり実感を持てなかった理由も、少し見えてきました。
仕事で判断に困ったとき、私は「この決定権を自分によこしてほしい」と考えるより、「自分には何が見えていないんだろう」と考えていました。
知らない情報があるのか。判断基準が違うのか。過去の経緯を知らないのか。自分と上司では、そもそも見ているものが違うのか。
そこが分かると、それまで毎回確認していたことを、自分で決められるようになります。
感覚としては、「権限をもらった」というより、「判断できるようになった」に近い。
ただ、ここにはさらに厄介なことがあります。
上司本人に聞いても、その判断基準がきれいに出てくるとは限りません。
経験のある人は、「これは少し危ない」「今回はここまで攻めていい」「この部署には先に話したほうがいい」とかなり速く判断します。でも、何を見てそう判断したのかは、本人にとって当たり前すぎて言葉になっていないことがあります。
それなのに部下には、「同じくらい自分で考えてほしい」と言う。
このあたりまで考えると、権限委譲が難しい理由も、最初に思っていたものとはかなり違って見えてきます。
権限なら、「今日からここまでは自分で決めていい」と言えば渡せます。
でも、その人が自分で判断できるようになるには、自分が普段何を見て、何を気にし、どこで引っかかっているのかまで、少しずつ外に出していかなければならない。
「任せる」というのは、仕事を手放すことだと思っていました。
今はむしろ、自分の頭の中にあるものを、相手が使える形にして渡していくことに近いのではないかと思います。
あわせて読みたい
『NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX』
この記事で触れた「Context not Control」が出てくる一冊です。自由度の高い組織が、単にルールを減らした組織ではないことがよく分かります。
『イシューからはじめよ[改訂版]――知的生産の「シンプルな本質」』
「権限がない」という言葉をそのまま課題として受け取らず、本当に解くべき問題は何なのかを考える、という点で今回の記事とつながります。
「視座を上げる」は「上司の立場で考える」ではない
上司と部下では、そもそも見えている情報や判断基準が違う。その差をどう埋めるかについて書いた記事です。
会議は、あなたを納得させるためにあるのではない
意見を言うことと、決定権を持つことは同じではありません。「権限」という言葉をもう少し分解して考えたい人向けです。
