滑走路のその先へ― 二人から始まり、また二人へ
飛行機が滑走路を走り出す、あの数十秒が好きだ。
エンジンの音が一段階深くなる。
身体が背もたれに押し付けられる。
窓の外の白線が、一定のリズムで後ろへ流れていく。
そして、ふっと重力が軽くなる。
あの瞬間、私は少しだけ自由になる。
韓国であれば仁川か金浦。
日本なら仙台、羽田、成田。
何十回と往復してきた。
それでも離陸の瞬間と、到着後にドアが開く瞬間だけは、毎回、気が引き締まる。
慣れはする。
だが、鈍くはならない。
空港は単なる移動の拠点ではない。
私にとっては、人生の節目を幾度も通過してきた場所だ。

はじめは、いつも二人だった。
隣に座る妻と、これから始まる生活を思い描いていた。
やがて最前列の席を選ぶようになった。赤ん坊を抱えるためだ。

子どもは二人になり、三人になった。
通路側か、窓側か。
トイレに近い席がいいか。
荷物はどこに置くか。
座席の指定ひとつにも、家族の成長が表れていた。
幼い子どもを連れて飛行機に乗る大変さも知った。
窓の外を指さして目を輝かせる姿も、何度も見た。
離陸のたびに、家族の形が少しずつ変わっていった。
高度一万メートルから見下ろす都市は、いつも静かだ。
道路も建物も、国境も、ただの風景になる。
あの高さでは、肩書きも立場も意味を失う。
境界とは、分けるための線ではない。
次の場所へ進むための助走路なのだと、私は思う。
そして今年、末の息子が日本への就職を決めた。
あの子もまた、自分の滑走路に立ったのだろう。
親としての寂しさはある。
けれど、それ以上に誇らしい。
気がつけば、飛行機の座席は再び二人になっていた。
何十回と往復した空港。
何度も経験した離陸。
それでも、あの瞬間は変わらない。
地面から少しだけ浮き上がる、あの数秒。
胸の奥が引き締まり、同時に軽くなる。
それは旅の高揚ではない。
人生がまた一段、前へ進む予感だ。
人はみな、それぞれの滑走路を持っているのだと思う。
立ち止まる時間もある。
引き返したくなる日もある。
それでも、いつか加速し、地面を離れる瞬間が来る。
そのとき、隣に誰かがいてくれたなら、それだけで十分だ。
窓の外に広がる雲を見ながら、私は静かに思う。
これからもまた、いくつもの離陸を重ねていくのだろう。
少しずつ遠くへ。
少しずつ高く。
そしてきっと、振り返るたびに気づく。
同じ滑走路の上で、
私は何度も人生をやり直してきたのだと。
飛行機が滑走路を離れる瞬間。

それは、過去を抱えたまま未来へ進む、
ほんの数秒の奇跡である。
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