吹奏楽を聴くと、あの校舎に戻る
YouTubeで昔の吹奏楽曲を聴いていると、音楽と一緒に、ある場所の風景が蘇ってくる。高校のコンクリート校舎。放課後の教室。風の吹く校庭。夏の野球場。そして、一段、二段と高くなった演奏会の舞台。音楽を聴くことで、私は記憶の中にある場所へ帰っていく。
ジョン・バーンズ・チャンス作曲の『呪文と踊り』という曲がある。静かなフルートの旋律から始まり、少しずつ楽器が加わっていく。どこか異国的で呪術的な旋律が続いたあと、リズミカルなパーカッションが重なり、曲は次第に激しさを増していく。
※演奏:PRO WiND 023/指揮:大井剛史(YouTubeより)
しばらく不規則なリズムが続いたあと、その流れを切り裂くようにトロンボーンが入る場面がある。裏拍から三連符で入るため、タイミングを取るのが難しい。もちろん指揮者が合図を出してくれるし、練習では何度もうまくいっていた。
私はトロンボーンのファーストを担当し、パートリーダーも務めていた。ファーストはパートの中で最も高い音を受け持つ。そのため、その場面での責任も少し重かった。
次だ、次だ。
パーカッションのリズムを聴きながら、楽器を構えて自分の出番を待つ。指揮者の合図も見えている。ところが演奏会当日、私はその大切な入りを外してしまった。
一瞬、全体の演奏が止まりそうになった。実際には止まらず、演奏はそのまま続いたのだが、あの瞬間は本当に心臓が止まるかと思った。
何十年もたった今でも、その部分を聴くと身体がこわばる。演奏会場の空気、指揮者の姿、楽器を握る手、タイミングを外した瞬間の悔しさまで、一度に蘇ってくる。
記憶しているのは、失敗したという事実だけではない。私は音を通して、あの舞台に立っていた自分へ戻っているのである。
放課後の校舎に響いた音
私は高校一年生のときに吹奏楽を始めた。もともと音楽が大好きだったこともあり、すぐに夢中になった。担当した楽器はトロンボーンだった。
先輩からはよく、「トロンボーンは、人の声に最も近い音域なんだよ」と聞かされた。近い音域を担当するユーフォニアムは、柔らかく、優しく、メロディアスな音がする。それに比べると、トロンボーンはもう少し直接的で、時には攻撃的な音を出す。
楽器そのものが大きく、音も大きい。家へ持ち帰ったとしても、気軽に練習できるような楽器ではなかった。そのため、練習の場所はいつも高校だった。
天気のよい日は、外へ出て吹くのが好きだった。放課後の風を感じながら、空へ向かって音を出す。教室とは違って音はどこまでも広がり、身体まで開放されていくようで心地よかった。
誰もいない教室で吹くのも好きだった。音が壁や天井に反射し、コンクリートの校舎に長く響いていく。そこへほかの楽器の音が加わり、いくつもの音が重なって、ひとつの和音が生まれる。
自分ひとりでは決して出せない音だった。
吹奏楽の魅力は、自分の音が誰かの音と重なった瞬間に、まったく別の響きが生まれることにある。ひとりの音は小さくても、重なり合えば教室を満たし、校舎全体へ広がっていく。その感覚が、私はたまらなく好きだった。
トロンボーンの席から見えた風景
トロンボーンは中低音域を担当するため、舞台では比較的後ろの方に座る。
隣にはトランペットがいる。後ろからはパーカッションが聞こえ、前にはユーフォニアムやホルンが並ぶ。舞台の奥へ向かって床が一段、二段と高くなり、私はその場所で楽器を構えていた。

今でも吹奏楽を聴くと、客席からではなく、トロンボーンの席から見ていた舞台が現れる。指揮者の背後に広がる暗い客席や、前に座る仲間の背中まで思い出す。
夏には、高校野球の応援にもよく出かけた。応援団と一緒になり、強い日差しの下でトロンボーンを吹く。トランペットやトロンボーンの大きな音が、歓声や応援の声と重なりながら球場に響いていた。
静かな教室、風の吹く屋外、緊張に包まれた演奏会場、真夏の野球場。同じ楽器を吹いていても、場所が変われば音の響き方も、そのときの感情も変わった。
だから私の記憶の中では、音と場所を切り離すことができない。
緊張の向こう側にあったもの
私は、ひどく緊張するタイプだった。
演奏会の当日は、朝から何も喉を通らない。本当はお腹に力を入れて吹かなければならないため、ある程度は食べておいた方がよい。それでも、緊張するとどうしても食べることができなかった。
三年生の最後の演奏会でも、私は何も食べずに参加した。その日のある曲には、私一人が立ち上がって演奏する、少し長いスタンドプレーがあった。
どうにか最後まで演奏したが、お腹に力が入らず、音は上ずってしまった。満足できる演奏ではなかった。今でも思い出すと、少し顔が赤くなる。
それでも舞台には、夜遅くまで一緒に練習してきた仲間がいた。自分の出番が近づくと、楽器を持つ手に汗がにじむ。次だ、次だ、と心の中で繰り返しながら、一つずつ音をつないでいった。
一曲を終えると、少しだけほっとする。次の曲を終えると、また少し自信を取り戻す。そうして私たちは、みんなで演奏会を先へ進めていった。
ひとりではなかった。そのことが、最後まで私たちを支えていた。
最後の音が消えても
私たちの演奏会は、第一部と第二部に分かれていた。第一部ではクラシックやコンクールの課題曲などを演奏し、第二部では、多くの人が知っているポップスや歌謡曲を選ぶことが多かった。
第一部は、静まり返った会場で厳かに始まる。指揮者は客席へ挨拶をしたあと、私たちの方を向く。緊張をほぐそうと笑顔を見せてくれるのだが、それでも胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。
演奏が進み、第二部に入ると、会場の空気も少しずつ和らいでいく。そして最後には、穏やかで感動的な曲が選ばれることが多かった。
あの演奏会で演奏した、ミュージカル『キャッツ』の「メモリー」は、今でも大好きな曲のひとつである。その旋律を聴くと、舞台に並んだ仲間や、演奏会が終わろうとしていたときの寂しさまで蘇ってくる。
※音源:東京佼成ウインドオーケストラ「Cats Medley」(YouTube/Universal Music Group提供)
演奏しながら、それまでの練習や失敗、仲間と過ごした時間が次々と思い出された。気がつくと、吹きながら涙が流れていた。
最後の音が消えても、音楽は終わらなかった。身体の中にはまだ響きが残り、言葉では表せないほどの余韻に包まれていた。
途中で多少の失敗があったとしても、もうどうでもよかった。ただ、みんなで最後までやり切った。その思いだけで胸がいっぱいになった。
高校を卒業してから、私は一度もトロンボーンを吹いていない。それでも今も、YouTubeで『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』などを見つけると、つい聴き入ってしまう。
音が鳴り始めると、曲だけが聞こえてくるのではない。放課後の風、コンクリートの壁に反響する音、真夏の野球場、舞台の雛壇、楽器を握る手の汗まで戻ってくる。
人は建物を、形だけで覚えているのではないのだと思う。
そこで聞いた音。感じた風。緊張した身体。誰かと一緒に過ごした時間。それらが重なり合い、その人だけの場所の記憶になっていく。
誰かにとっては、どこにでもあるコンクリートの校舎かもしれない。しかし私にとって、あの校舎には今も吹奏楽の音が響いている。
音楽は、過去を思い出させるだけではない。そのときの自分が立っていた場所まで、連れて帰ってくれる。
吹奏楽を聴くたび、私は今も、記憶の中にあるあの校舎へ帰っていく。
音楽が、忘れていた校舎の風景を連れてくるように、季節の気配や故郷の風景もまた、私たちを記憶の中にある場所へ連れ戻してくれます。
時間が過ぎても、心の中に残り続ける場所について書いた記事です。よろしければ、こちらもお読みください。
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