ガリレイの落下の法則ですが、自然観察するだけでできたものではないし、自然の中に存在している外乱を除去する形で、別に実験道具を造って、繰り返しの実験の成果っですから… ぼくたちにも、この執念は見習うべきものだと思います… 連載 超訳プロレゴメナ 286 読書会 192
第28回読書会ディスカッション
池田幸男:
15節を読んでいると、自然観察では何が基本かを、早く取り出す重要さが問われている… そんな気になってきました。
曽根康夫:
そうですね! ガリレイやコペルニクスたちが、重要な規則を発見できたのは、本来の動きと、外乱を区別することが、できたからだと、ぼくも思います。
桐川夢見:
その外乱って、「完全に純粋とは言えない、経験的な源から得られたもの」を、指しているのですか?
曽根康夫:
ええそうです。たとえばガリレイの落下の法則ですが、自然観察するだけでできたものではないし、自然の中に存在している外乱を除去する形で、別に実験道具を造って、繰り返しの実験の成果っですからね!
須田隆雄:
ピサの斜塔は、実験道具じゃないのですか?
山際このみ:
あれは、ガリレイの言うことを信じない人たちにたいする実証だよ! いうなればデモンストレーションに過ぎないものだって思うよ!
栗林雄太:
ピサの斜塔で、実験を飽きるほど繰り返すこともできませんからね!
牧野照邦:
その飽きるほどってこと、とても重要なことだと思います。自分が納得できるまで、ガリレイは実験を繰り返したんだと思います。ときは思い通りならないこともあって、投げ出したいこともあったでしょう。また都度、実験道具を改善していったのだと思います。それは一つ執念ともいえるでしょう。
ぼくたちにも、この執念は見習うべきものだと思います。
山際このみ:
そうだよね! ガリレイほどじゃないけど、プロレゴメナを飽きるほど読み考えた結果が、今回の15節にどう対処すればいいかを教えてくれてるって思えるじゃない!
須田隆雄:
そういえば、15節では、分析も総合も出てきていませんが、さっき出てきた外乱の除去には、分析の考え方が役立ちそうですね。
山際このみ:
あら、いいとこ、ついてくるじゃん! 外乱の除去は、それが本来のものに不必要なことを明らかにする分析作業って言えるかもしれないね…
前島幸太郎:
たしかに、カントを読むときにも、カントが何が言いたいのかを、早く察知する能力を求めれます。それは、一度読めばわかるものでもありませんから、ガリレイみたいに執念をもって取り組んでいくことを求められますね!
桐川夢見:
でもそれって、だれもが出来るものじゃないって思うんだけど! どこかで興味を引くだけの、切っ掛けがなければ…
池田幸男:
ぼくたちにとっての、その切っ掛けは、荒川先生の倫理学の授業だったと思う… あの授業のなかで考えることの重要さを多く教えられたんだと、ぼくは確信している。
須田隆雄:
でも、倫理学の授業を受けた全員がそうだとは言えませんね!
山際このみ:
それは、授業を受ける者にも真摯なものが、要求されてるってことななんじゃないのかな!
桐川夢見:
真摯であれば、飽きることなく執念を維持できるのかな? いまのわたしには、まだよく判らないけど…
