ぼくの前にあるノートパソコンも無機的な存在だけど、生命の息吹を感じることが、ときどきあります 超訳プロレゴメナ 120 読書会編85
超訳プロレゴメナ読書会 第八回から
ディスカッション
池田幸男:
以前のディスカッションで、原因と結果を話題にした時でした。原因の、原因の、原因の… と辿ったときに原因を求めることが不可能になるってことを話しあったことがありました。
今回の形而上学的の認識に関する下記も、その根源を辿っていけば経験が関与しないところに到達するっていうことですね。
形而上学的の認識を辿って行くと、その根源にあるのものが経験的なものでないことを知ることになる。
栗林雄太:
でもそれって、かなり困難な探索で、どこかで道に迷いそうな気もします。
山際このみ:
そうね! 原因と結果なら、形にはならなくても観えるものがあるって実感できるだろうから…
須田隆雄:
いまさらですが、形而上学が目的としているものは何なのだろう。
曽根康夫:
存在を問うのが形而上学なのでしょう。人間を含めた多くのもの存在を問うのが形而上学の根本の目的だと、ぼくは確信しています。
桐川夢見:
でも多くのものって、動植物や無機的な存在までも問うものでしょうか。無機的とは、生命力や感情が感じられないものを指してますけど…
須田隆雄:
ぼくの前にあるノートパソコンも無機的な存在だけど、生命の息吹を感じることが、ときどきあります。
山際このみ:
それは、存在していることが価値を生み出しているからじゃないかしら?
前島幸太郎:
ハイデガーは存在を、動詞として考えているみたいですね。在るってことを問う中に生命の息吹をくみ取っているようにも、ぼくは感じていました。
