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人間が全く存在しない世界で空間や時間ってものを考えるって… 先生が考えてみてください、と言われたんで考え続けたんですけど、どう考えても靄に包まれたような気持になってしまいました… 再編 不器用な先生 第152回

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※下記は前回の再掲です。

 空間および時間は物自体に属する性質として現実的に存在しているかのような考えをまだ捨て切ることのできない人は、自分の明敏さを次のような逆説について習練してみるがよい、そしてこの逆説を解決する試みがうまくいかなかったら、少なくともここ暫くはこれまでの成見を捨てて、空間および時間を我女の感性的直観の単なる形式に格下げするのには、それ相当の根拠があるのではなかろうか、というふうに考え直してみるがよい。
 ここに二個の物があり、そのおのおのについておよそ認識され得る限りのすべての部分を較べ合せても(量および質に属するいっさいの規定において)なんら差異を認め得ないとすれば、一方のものをあらゆる場合と関係とにおいて、他方のものに置き換えることができるし、またこの置き換えは、およそ識別され得るほどの差異をまったく生ぜしめないであろう、と結論せざるを得ない。実際にもこのことは、幾何学の平面図形においてはまったくその通りである。しかし球面図形となると、内的には互に完全に一致するにも拘らず、外的関係においては差異が生じ、一方の図形を他方の図形に置き換えることのできない場合がある。例えば、地球の赤道の弧を共通の底辺とする両半球上の二個の球面三角形は、辺や角については完全に相等しいから、これらの三角形をおのおのそのあらゆる部分において完全に措くならば、一方の三角形の図形にあるもので、同時に他方の三角形の図形に見出せないものはーつもない筈である。それにも拘らず一方の三角形を他方の三角形の位置(すなわち対置された半球上の)に置くことはできない。この二つの三角形のあいだには、悟性が内的差異として指摘し得るようなものは何ひとつ見出せない、それだから両者の相違は、まったく空間における外的関係によってのみ明らかにされるのである。だが私は、日常生活から得られるもっと普通の事例を取上げてみたい。 

『プロレゴメナ』岩波文庫p74-75

 幸太郎が話し出した。
「先週、人間が全く存在しない世界で空間や時間ってものを考えるって言いました。
 先生が考えてみてください、と言われたんで考え続けたんですけど、
 どう考えても靄に包まれたような気持になってしまいました。何度も繰り返しても結局同じことでした」
「でも太陽系の地球以外の星には人間はいないですよね」
「それは地上であって空間じゃない」
「空間って、わたしたちを包んでるこの世界のことじゃないの?」
「それは物理的な場だとい思う。空間、そして時間は人間が存在するから認識できるものだと、ぼくは思う」
 みんなは幸太郎を見つめているだけだった。
 沈黙が続いたからぼくが言った。
「配られたプリントをよく読んでみてください。
 このプリントは、みんなの疑問に答えていますよ」

 しばらくみんなはプリントを読み直していた。
 池田幸男がい言った。
「書き写しているときは、よく分かっていなかったけど前島君の言うことと重ね合わせると、
 答えが見つかるような気になりました」
 そして下記箇所を指摘した。

 悟性が内的差異として指摘し得るようなものは何ひとつ見出せない

 ぼくは何も言わず頷いた。だが何かを言ってほしいような表情だ。
「先生、意見を言ってください。
 ぼくたちはこのまま進めて良いんでしょうか」
 曽根君だ。須田君も同調してるように見える。

「このまま進めて構いません。それに池田君が指摘した箇所に悟性って言葉があることに注目してください。
 悟性が認識の根源だと、ぼくは思ってます。
 みんなが、それに反対であっても構いません」

 来週は、カントが言う「日常生活から得られる普通の事例」を対象にすることになった。

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