ぼくたちは、現象として捉えられるものを経験って観ているけど、経験って現象にならないものも、あるんじゃないかな? いや、必ずあるって思う! かっての記憶を思いだすってときに、どれだけじっさいの体験が役立っているのだろうか? ほんとうは、じっさいの体験は現時点では、胡散霧消しているのではないのかな?… 連載 超訳プロレゴメナ 322 読書会編 216
第33回読書会(つづき)
池田幸男:
桐川が引用した個所ですが、「日常の方法」ということ、これが重要な意味を持っているのだと思います。ぼくたちが日常で体験する皓tの中に、普遍的な経験判断に繋がっていくものは、たくさんあるってことですからね。
だから、さっきの引用個所に続いて、こう言っていますからね。
概念を原因の概念とすると、そのなかに含まれる直観、たとえば空気の概念が日常の判断に関連して決定される、すなわち、空気の概念は仮定の判定の結果として、最初の言葉とそれとの関係で拡張することで機能するわけだ。だから原因の概念は純粋な理解の概念であり、考えられるすべての認識とはまったく異なり、その下に含まれる表象を判断一般に相対的に決定し、普遍的に正当な判断を可能にするためにのみ機能するのだ。
そして、20節はここで終わりにして、具体的な例は読者に任せてしまえば、良かったのではないとさえ思います。
山際このみ:
その後に注記として、「もう少し解かりやすい例をあげてみよう」と書きだしているんだけど、池田さんはこれを余計なものって観ているのかしら?
池田幸男:
余計とまでは言いませんが、苦慮して付け加えた例のようであって、これだけでは、だれも納得できないって思えてならないんです。
曽根康夫:
太陽が何故、熱源になるかを、説いたほうが良かったかもしれませんね?
栗林雄太:
そうですね! カントは少し具象化しすぎたって、そうとも思えてきました…
牧野照邦:
ぼくたちが生きている今の時代は、カントに時代と違って自然科学にたいする視野も増えているから、そんな考えも出て来るんだろうけど… カントはカントなりに精一杯、具象的な例を考えだしたのだ、そう捉えるだけで、ここは深追いしなくって、いいと思いますね…
須田隆雄:
カントが具象的な例を、懸命に考えた気持ちは分かりたいんだけど、経験ってすべてが具象的なものって、限られる訳でもないでしょう?
山際このみ:
それって、現実の体験がなくっても経験が、でき上ってくるってこと?…
桐川夢見:
わたしは過去に体験したことから、想像を働かせて、新しく出てくることに納得していることも、かなりあるんだけど… それも現実の体験がないものに入れていいのかしら?
池田幸男:
それは、過去に体験が大元にあって、生まれてきたものでしょう… だから、現実の体験がないものに入れるわけにはいかないでしょう…
須田隆雄:
そうなのかな?… ぼくたちは、現象として捉えられるものを経験って観ているけど、経験って現象にならないものも、あるんじゃないかな? いや、必ずあるって思う! かっての記憶を思いだすってときに、どれだけじっさいの体験が役立っているのだろうか? ほんとうは、じっさいの体験は現時点では、胡散霧消しているのではないのかな?
前島幸太郎:
それは、とても特異な考え方だって思います。カントが先に行って誤謬言及するときに、それを問題視してますから…
