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カントの「空白の10年」は、探求の困難さだけでなく、外乱との戦いも要因と思えてならない 連載 超訳プロレゴメナ 90 プロローグ編16

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 プロローグ編は、プロレゴメナ本編各所の前書きとして書いてきた。ところが序説だけで、16回にもなってしまった。
 プロレゴメナは60節からなっているが、これに序説と付録を含めると65か所があることになる。単純計算すれば、プロローグ編は1000回を超して書いていかなければならない。
 短い節もあるから、計算通りにはいかないが、かなりの数になるのは間違いない。

 今回も対象とする箇所は序説の一部だが、そこに『純粋理性批判』を書き続けていくためのカントの覚悟が観えている。

 じっさいに究明の途は、多くの忍耐力、さらには自己否定さえも必要だった。
 計画を立てて実行することは、時間に余裕がある者にできることであり、優雅で誇らしい心の仕事だ。あたかも自分が創造的な天才であるかのような気持ちになり、ふだんならできないことまでも要求し、できなければ自分を批判し、結局はどこで見つけられるかわからないものを提案する。

第91回 本編13

 ここに「時間に余裕がある者にできる」とあるが、教授として働いていたカントにそれ余裕があっただろううか? さらにフリードリッヒ大王がカントに信頼を寄せていたことから、逆に為政者から憎まれることもあったカントだ、精神的な余裕も少なかったのではないか。

 カントの「空白の10年」は、探求の困難さだけでなく、外乱との戦いも要因と思えてならない。

 それでもカントは、自身で建てた計画に手を抜くこともできなかった。そして自己に忠実にその途を進んでいったに違いない。

しかし純粋理性は独自の領域、自己完結的に多くに結び合った領域に存在している。だからどこを対象としても他の残りの部分のすべてに触れないことには先に進めなくなってしまうことになる。したがって。あらかじめそれぞれの部分の位置と、他の部分へ影響を決定していなければ、先に進むことさえできなくなる。

第91回 本編13

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