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ぼく自身に長く占めていた科学の究明に奉仕することが、最大の目的だった… 連載 超訳プロレゴメナ 91 本編13

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序説(承前)

 デイヴィッド・ヒュームの文章は繊細で魅力がある。またモーゼス・メンデルスゾーンは深みと優雅さを兼ね備えている。
 だがこういうことは、だれにでも出来るわけではない。立てた計画に従って完成させ、それを吹聴するだけなら、通俗的な面白いものにすることは、ぼくにもできたはずだ。そしてぼくの講演は聴衆の人気の的になっただろう(誉めすぎたかな!)。
 しかしぼくにとっては、ぼく自身に長く占めていた科学の究明に奉仕することが、最大の目的だった。目先の成功という甘い夢は、究明にとっては邪魔でしかなかった。
 じっさいに究明の途は、多くの忍耐力、さらには自己否定さえも必要だった。
 計画を立てて実行することは、時間に余裕がある者にできることであり、優雅で誇らしい心の仕事だ。あたかも自分が創造的な天才であるかのような気持ちになり、ふだんならできないことまでも要求し、できなければ自分を批判し、結局はどこで見つけられるかわからないものを提案する。
 純粋理性に対する一般的な批判という計画を、効果的なものして単なる殊勝な願望以上のものにしたければ、予測されるものよりも、もっと何かを必要とするはずだ。しかし純粋理性は独自の領域、自己完結的に多くに結び合った領域に存在している。だからどこを対象としても他の残りの部分のすべてに触れないことには先に進めなくなってしまうことになる。したがって。あらかじめそれぞれの部分の位置と、他の部分へ影響を決定していなければ、先に進むことさえできなくなる。
 それを知るには、ぼくたちの内部の判断を、修正できるものは外部にはまったくないことをまず知れば良い。その結果、あらゆる部分の有効性と使用は、それが理性の領域内で残りの部分とどのような関係にあるかをもって決定される。
 それは人間の手足と一つの身体の部品(要素)であるのと同じように、全体の完全な概念からのみ導き出すことができる。したがって、そうした批判に関しては、純粋な理性の最小の要素までもが完璧で完全でなければならない。そうでなければ、それは決して信頼できるものではない。この能力の領域のすべてを決定するということは、そうするしかない。もしも不可能なら何もしないと判断する必要もある。これが出発点に立つ関所と言えないか。

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