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超訳 純粋理性批判 116 序説編 41 物理的な世界では多くの変化があるが、物質の量は変化しない。多くの運動の伝達では作用と反作用は、常に等しくなっている。このどちらも、その必然性、そのためのア・プリオリな起源が明らかだ… また、総合的な命題であることも明らかなことだ… なぜなら、物質という概念でぼくはその持続性でなく、たんに空間での物質が存在していることで、その概念の実現を考えているからだ…

本文中の [nnn] 表記は、原書第2版のページ番号を示している

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V. 理性のすべての理論的な科学には、ア・プリオリな総合的な判断が原理として含まれている(承前)

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2. 自然科学(物理学)には、総合的なア・プリオリ判断が原理として含まれている。その例として、下記の二つを掲げておく。
 物理的な世界では多くの変化があるが、物質の量は変化しない。
 多くの運動の伝達では作用と反作用は、常に等しくなっている。
 このどちらも、その必然性、そのためのア・プリオリな起源が明らかだ。また、総合的な命題であることも明らかなことだ。なぜなら、物質という概念でぼくはその持続性でなく、たんに空間での物質が存在していることで、その概念の実現を考えているからだ。
 したがって、ぼくは物質の概念を超えて、その中に想定していなかったア・プリオリなものを付け加えていることになる。だから、この命題は分析的ではなく、総合的なものだ。そしてさらにこれは、ア・プリオリに考えられている。こうしたことは、自然科学の純粋な分野では、他の命題についても同様に指摘できる。

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3.科学の一部門としての形而上学は、これまでの状況から観て、たんに試みられただけにすぎない。しかし一方では、人間の理性の性質から観れば不可欠なものと、言えるのものだ。だから、形而上学には総合的はア・プリオリな認識が含まれなければならない。
 そしてそれは、いろんなものがア・プリオリにつくり出す概念について、どんな具合に対処しなければならないかを、問うことになる。それは、対象の概念をたんに分析し、解明する方向ではけっしてなく、それよりもア・プリオリな認識を拡張することであって、そのためには与えられた概念に含まれていない何かを付け加える原則を利用しなければならない。これは演繹を基本にした認識の拡張であり相互的な方法と言っていい。この総合的なア・プリオリ判断から、多くの命題で、明確な確な判断が可能になる。
 たとえば、「世界には最初のはじまりがなければならない」などが、じっさいにこうした総合的な判断の対象となり、経験では明らかにできなかったところまで、ぼくたちの認識を拡張していくことになる。この結果として形而上学は、すくなくともその目的から観れば、完全にア・プリオリな総合的命題からなりたつている、これは確定的に言えるものなのだ。

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