多くの才能を生かすには、多くの対象が選択可能な社会を造らねばならない… 連載 超訳 プロレゴメナ 96 本編15
序説(承前)
人間の才能の形は一つだけではない。基本的で奥深い科学では、それが直観に近いものならきわめてよく進歩するが、まったく抽象的な概念による探究では成功しない。だから、抽象的な思考に興味を憶えれば形而上学を考察するのも良いが、そうでなければ他のことに自分の恵まれた才能を振り向けることが必要だ。多くの才能を生かすには、多くの対象が選択可能な社会を造らねばならない。学術会議を毛嫌いする無能で危険な為政者には多くを期待できないが…
形而上学に評価を加えるか、それどころか一つの形而上学の実現を企てる人は、ぼくの解決方法を認めるか、またはぼくを根本的に論破して、そのかわりに別の解決を置かねばならない。どんな方法であるにしてもここに掲げられた要求を(これらの要求を拒絶はできない)ことごとく満足させなければならない。
多くのひとたちがいい加減に扱えば曖昧さはさらに増し〔その人の怠慢と無神経で、隠し果せることもあろうが〕、それなりに世間をごまかすことの可能なのだ。すべて他の学間については用心深く沈黙を守る人のだれもが、形而上学の問いにおいては、彼らの無知がたしかに他人の知識に対してはっきり浮き立つことはない。だから無知な者が、大家のように語り、恥じることもなく判断を下すのだ。
しかし確立された批判的原則を明確に捉えることができた後は、無知な者たちが不要なだけでなく存在そのものが害毒であることが、明確に浮き立つことが明らかになっている。
ぼくたちはウェルギリウスの言葉で、ここに書いた重要な原則を褒めた称えることができるだろう。
雌蜂たちは怠け者の雄蜂を、その群れから追い出した。
