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形而上学を登場させることを考える前に、あるいは形而上学を達成するという希望を抱く前に、やるべきことがある… 連載 超訳プロレゴメナ 75 本編11

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序説(承前)

 この能力の範囲と限界について著作(『純粋理性批判』)が根底にあることは常に変わりない。このプロレゴメナはそれに対する予備的演習として参照する意味を持っているが、ただそれだけでしかない。
 なぜなら、形而上学を登場させることを考える前に、あるいは形而上学を達成するという希望を抱く前に、やるべきことがあるからだ。ぼくたちの中で、批判が科学として体系的であって、その細かな箇所まで確立させておかなければならないのだ。
 使い古された考察が、それまでの関連から切り離されて、自分の思うように創り変え新しいタイトルで体系にまとめられてきたことを、ぼくたちは長く観てきて慣習ともなったのを知っている。
 だからほとんどの読者が、あの『批判』にもそれ以上のことは何も期待しないだろう。だがこのプロレゴメナは、『批判』がまったく新しい科学であり、これまでにだれも考えもしなかったものであることを明らかにする。
 その考え方はヒュームが提示したことに例外的に適用できる。つまり、これまでに体系にまとめられてききたものは、どれも役に立たないことを読者に気づかせることを確信している。
 ヒュームですら、こうした整備された科学の到来を予測はしなかった。自分の船を安全に保つために航海せずに海岸(懐疑的な考え)に放置したのだ。そのままなら船は朽ちて使い物にならなくなるのだろう。
 ぼくはそうする代わりに航海術を身につけて海洋に旅立つことを選ぶ。地球の知識に基にして、そこから導き出された完全な海図と羅針盤を備え、船を安全な場所に導くことができる水先案内人を、読者に与えることにする。

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