武器を持って乗り込んだつもりが、最初の壁はその武器だった
転職した初日から、私は少しだけ有名でした。
会う前から「あの転職してきた会計士だね」と言われる。実際に話す前から、向こうは私が何者かを知っている。会計士が中途で入ってくるというのは、それなりに珍しいことだったようです。
私のほうも、意気込んでいました。数字系のことは任せてください、と。会計という専門性こそが、自分がこの会社で必要とされる理由だと思っていたからです。武器を持って乗り込んだつもりでした。
ところが、その武器が、最初の壁になりました。
この記事は、監査法人から事業会社の経理や経営企画への転職を考えている、あるいは転職したばかりの会計士・USCPA・簿記1級の方に向けて書いています。専門性で勝負できる、と思って入る人ほど、最初につまずきやすい。その理由と、では実際にどう振る舞えばいいのかを、私自身の転びかたも含めて書きます。
結論から言ってしまうと、こうです。専門性は、最初に出すと嫌われる。捨てる必要はありません。出す順番を変えるだけです。
周りは、あなたを「先生」だと思っている
転職直後、どの部署の人も、まずこういう目で見てきます。誰、この人。どこ出身なの。何ができるの。
これは当然のことです。むしろ健全な反応だと思います。問題は、そこに「会計士」という肩書きが先に届いているときです。
肩書きが先行すると、警戒の色が一段濃くなります。プライドの高い人が来たぞ、と。「先生」が来たぞ、と。実際、快く思っていない人も一定数いて、そういう人はわりとはっきり態度に出してきます。なんでうちみたいなところに来たの。これくらい聞かなくても分かるよね。自分で考えてくれない?
最初は戸惑いました。こちらは別に偉そうにしているつもりはない。けれど、向こうの頭の中では、もう「プライドの高い専門家」という像ができあがっている。会ってもいないうちから、です。
ここで武器を抜いてしまうと、どうなるか。「やっぱり先生だ」と、警戒が確信に変わるだけです。専門性は、このタイミングではマイナスにしか働きません。
効く「下手」と、効かない「下手」は違う
では、どうするか。基本は、低姿勢でいくことです。
分からないので教えてください、という気持ちを持っていく。先生扱いされそうなところを、自分から降りる。あなたと同じ立場です、一緒に頑張りましょう、分からないことも多いので教えてください、と。
ただ、ここで大事なことがあります。「下手に出る」と一言で言っても、効く下手と、効かない下手があるのです。両者はまったくの別物で、相手はその違いをきっちり見抜いてきます。
効かないのは、相手を動かしたいという下心を前面に出して、お願いするパターンです。お願いの形は取っているけれど、本当の目的は相手を動かすこと。これは、相手も馬鹿ではないので、すぐに感じ取ります。そして嫌がられます。へりくだっているように見えて、実は自分の都合で相手を使おうとしている。それが透けて見えるからです。
効くのは、本当に分からないことを、心から「教えてください」と持っていくときです。ここがポイントで、演技ではない。実際、転職直後は分からないことだらけなのです。だから取り繕う必要がない。素直にそのまま「分からないんです」と伝えると、相手は胸襟を開いてくれます。
しゃーないなぁ。君も困ってるんだよね。経営企画は上からいろいろ言われて大変だよねぇ。そう言いながら、動いてくれる。
この差は、テクニックの差ではありません。心持ちの差です。相手を動かす道具として頭を下げているのか、本当に助けてほしくて頭を下げているのか。後者でなければ、効きません。
下手に出るのは入口、出口は専門性で返す
ここまでだと、ただの低姿勢の話に聞こえるかもしれません。けれど、下手に出ることそのものがゴールではありません。
低姿勢で終わってしまうと、便利な人で終わります。なめた態度を取られて、それっきり、ということも起こります。下手に出るのは、あくまで入口なのです。出口では、ちゃんと専門性で返す。
転職して間もない頃、投資案件のバリュエーションを任されたことがありました。経営企画では投資案件を扱うので、会計士ならできるよね、と期待されたわけです。めちゃくちゃ不安でした。監査法人時代にアドバイザリーの手伝いで一部をかじった程度で、全部を自分で組めるかというと、まったく自信がない。社内に詳しい人もいない。けれど、いいかげんな値付けをすれば、判断そのものを誤らせてしまう。
中でも困ったのが、類似会社の倍率を使って評価する場面でした。比較対象としてどの会社を並べるのが適切なのか、私にはさっぱり分からなかったのです。対象は、自分にとってまったくの専門外の領域。そこにどんなプレイヤーがいるのかすら知りませんでした。
そこで、その分野に詳しい人に教えを請いに行きました。返ってきたのは、軽い突き放しです。会計士なんだから、競合くらい分かるだろう、と。それでも食い下がって、まずは2、3社、具体的な名前を挙げてもらいました。
ここからが、勝負どころでした。もらった2、3社を、そのまま使ったのでは芸がありません。その数社を出発点にして、自分で同業他社を調べて見繕い、より業界の実態を反映した倍率を組み直しました。各指標ごとのマルチプル、業界の動向まで一通りまとめて、資料の形にしました。そして、それを教えてくれた本人のところへ持っていったのです。こんな感じで合っていますか、と。
相手の反応は、最初の突き放しとはまるで違いました。あの情報でよくここまで調べたね、と。そのうえで、資料に足りない部分を自分から補足してくれて、完成度がさらに上がりました。
これが、下手に出ることと専門性で返すことが、矛盾しないということの意味です。分からないことは素直に分からないと言って、教えを請う。けれど、もらった情報を右から左に流すのではなく、それを起点に自分で調べ切り、相手の期待を少し超える形にして返す。すると、最初は軽くあしらってきた相手が、胸襟を開いて、さらに力を貸してくれるようになる。
なめた態度を取られたときも、根っこは同じです。そこで怒って感情的になってはいけません。一旦受ける。受けたうえで、もらったものをきっちり昇華させて返す。そうすると、相手は自然と黙ってくれるようになります。一目置かれる、というのはこういうことです。
下手に出るのは、専門性を捨てることではありません。見せる順番を、後ろにずらしているだけなのです。
ただし、力関係には抗えないこともある
ここまで、下手に出て入り、専門性で返す、という型を書いてきました。けれど、この型は万能ではありません。通らないときもあります。
たとえば、会計処理としては明らかに正しいのに、現場からは「実態が見えなくなるから何とかしてくれ」と言われることがあります。
ある時、原材料の価格が遅れて販売価格に反映される事業で、こんなことが起きました。会計のルールどおりに処理すると、安く仕入れた在庫が先に売れる局面では利益が大きく見え、その後に高い原材料で作った在庫が売れる局面では利益が小さく見える。会計としては何も間違っていません。けれど、会計を知らない人からすると、奇妙なことをやっているように見える。しかもそう思っているのが、部長や本部長クラスなのです。
正しさを説明しても、納得してもらえない。お手上げでした。結局どうしたかというと、本来あるべき会計処理の数字と、部長・本部長が見たい形の数字を、分けて見せることにしました。会計の正しさだけでは押し切れない。力関係の前では、こうやって折り合うしかないこともある。身をもって知りました。
別のときには、ある資産の評価をめぐって、監査法人と解釈が割れたことがありました。私の見立ては、こうです。形式的に見れば評価を下げる話だけれど、実態を見ればまだその段階ではない。対監査法人なら、これは自分の出番だと勇んで協議に臨みました。回避できる自信もあったのです。
けれど、監査法人は徹底して形式論で押してくる。さらに、社内の他の資産との整合がつかなくなる、という別の壁も出てきて、結局は押し切られました。専門性では負けていないつもりだったのに、完封された。正直、悔しさだけが残りました。
専門性で返せば必ず勝てるわけではない。会計の正しさが、力関係や形式論の前で通らないことは、現実にあります。
だからこそ、なのだと思います。専門性は、万能の武器ではない。いつでも抜けば勝てる刀ではない。それが分かっているから、最初に振りかざすものではないのだ、と。冒頭から書いてきた「出す順番」の話は、裏を返せばそういうことでもあります。
おわりに
専門性は、捨てなくていい。出す順番を変えるだけです。
最初は下手に出て、相手の懐に入る。本当に分からないことを、心から教えてくださいと持っていく。そしてもらったものを昇華させて、期待を少し超える形で返す。なめられても、怒らず、一旦受けて、きっちり返す。
「やる前に調べる」という言葉を、私はいろいろな場面で使ってきましたが、人間関係においてもこれは効きます。入る前に、相手と組織を調べる。そして、自分の専門性をいつ、どの順番で出すかを設計しておく。武器を持っていること自体は、間違いではないのです。抜くタイミングを間違えなければ。
もしあなたが、専門性を武器に事業会社へ移ろうとしているなら、入る前にひとつだけ決めておいてください。その武器を、最初の一週間は抜かない、と。
あわせて読みたい
この記事は、以下の記事をもとに、note向けに再構成したものです。元記事はこちらです。
