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60代のリアル|第2幕、第61話【実録・介護の崖っぷち】「明日も来るの?」去り際に握りしめてきた母の温かい手


前回までのあらすじ

怒涛の職場トラブルを乗り越えて迎えた9月6日(日)、外はあいにくの土砂降りでした。

重い心と体を引きずるようにして雨の坂道を越え、私は母が入院する病院へと向かいました。

前回の面会時、母は何も言わず、ただ無言で私を見つめていました。

「家に帰れなくて怒っているのかもしれない」「なんて声をかければいいのだろう」――そんな不安を抱えながら面会受付を済ませ、病室へと足を進めます。

開けっ放しになったドアの向こうでは、同室の方々が眠りにつく中、母だけが目をしっかりと開けて、じっとこちらを見つめていました。

笑うでもなく、泣くでもなく、どこか怒っているようなその表情を前に、私は戸惑いを隠せないでいました。


▼ 前回はこちらです。



噛み合わない会話と、お決まりの歌

病室に入ると、ベッドに横たわっていた母は、じっと私を見つめたまま口を開きました。

「何で来たの? 雨、降ってるの?」

その「何で来たの?」は、決して乗り物を尋ねたのではないと思いました。

『家に帰れるはずだったのに、こんな病院に転院させて私を置き去りにしたくせに……よくもまあ、どの面下げてやってきたの?』

まるでそう責められているように感じられ、胸にぐサッと痛みが走りました。

本当の理由を問われたら、言葉に詰まってしまう。その重さに耐えきれず、私はあえて見当違いな返答をして、その場をごまかすしかありませんでした。

「地下鉄で来たの! 外は土砂降りだよ! ザァーザァー!」

少し大きめの声と身振り手振りを交え、両手を上から下へ大きく下ろすジェスチャーを見せました。

すると母は、少し眉をひそめて「よく聞こえないよっ」と言い放ちます。

さらには突然、自分のフルネームを口にすると、まるでどこかへ電話で連絡でも入れるかのような口調でこう呟きました。

「〜〜です。病気で、デイサービスを一週間お休みします。」

自分の状況を懸命に整理しようとしているのか、誰かに訴えようとしているのでしょうか?どこか現実と幻のあわいにいるような母の言葉に、私はどう返していいかわからず、ただ見守るしかありませんでした。

しばらくすると看護師さんがやってきて、点滴のチューブを外してくれました。 処置が終わり、看護師さんが部屋を出ていくと、母は突然、朗々とした声で歌を歌い始めました。

曲は、母の十八番である『啼くな小鳩よ』です。

(ちょっと、お母さん……ここは大部屋で、他にも患者さんがいるのに……!)

私は慌ててハラハラし、周囲の様子をうかがいました。

けれど、同室の方々は慣れているのか、あるいは眠っているのか、誰も気にする様子はありません。母の歌声だけが、静かな病室に小さく響いていました。



「明日も来るの?」――握りしめられた手

ひとしきり歌うと、母はすっと手を伸ばし、私の手をキュッと強く握りしめてきました。

骨ばった母の手の力強さに驚いていると、母は私をまっすぐ見つめて聞いてきました。

「明日も来るの?」

その一言に、胸がぎゅっと締め付けられました。

あんな風に冷たく「何で来たの」と言っていた母が、本当は寂しくて、明日も来てほしいと願っている。その本心が伝わってきたからです。

けれど正直なところ、病院へ足を運ぶこと自体、私の心には大きな負担になっていました。

母の寂しさを思えば胸が痛むものの、自分の心と生活を守るためには「週に1回」の面会が、この時の私にとっての限界であり、最善のペースでした。

後になって振り返れば、「あの時もっと母との時間を大切にしておけばよかった」と後悔することになるのかもしれません。

それでもこの時の私は、そうやって折り合いをつけることでしか、日々の生活を支えることができなかったのです。

「明日は仕事だから無理! また来週ねっ!」

私は意識して明るい声を作り、そう答えました。

「それじゃ、帰るねっ」と言って、握っていた手を解き、小さく手を振りました。

「また来週~♪」と歌って、努めて明るく……病室を後にします。

背中に感じる母の視線に、後ろ髪を引かれる思いでいっぱいでした。



さらに強くなった雨のなかへ

病院のエントランスを出ると、外の雨は来る時よりもさらに勢いを増していました。

激しい雨音と強まる風の中、傘を固く握り直します。 手のひらに残っていたのは、さきほど母がキュッと握ってくれた感触でした。

最近はいつ触れても母の手は冷たかったのに、雨で冷え切ったこの日の私の手よりも、なぜか母の手の方が温かく感じられました。

そして、以前よりも痩せてふにゃふにゃと柔らかくなっていたあの手の触感が、強く心に残っています。

「また来週ね」と約束したものの、来週の母はどんな様子なのでしょうか?

勢いを増す雨は、どこか母が「置いて行かないで……」と泣いているかのようでした。

そんな母を病院に残して、雨足が強まる坂道を、私は再び一人で歩き始めました。



🌿次回予告

母を病院に残し、重い心を抱えたまま迎えた週明け。

9月8日(火)、職場では10月発送分の手作り請求書の準備に加え、未入金の督促業務という怒涛の作業が待ち構えていました。

しかも翌日の9月9日(水)は、どうしても外せない予定で休暇を取ることになっています。

タイムリミットが迫る中、膨大な手作業と督促業務を無事に終わらせ、休みを迎えることができるのでしょうか――?

次回、「怒涛の火曜日と、迫るタイムリミット」。

次回もどうぞお楽しみに!


▼ 次回はこちらです。



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