4つの論理的思考【社会学#4】
AさんがBさんと話をしていますが、AさんにはBさんの言っていることがよく分かりません。
Aさんは「Bさんは非論理的だなぁ」と感じました。
このような状況は多くの人が一度くらいは経験したことがあるかと思います。
このとき、本当にAさんが論理的で、Bさんが非論理的なのでしょうか?
Aさんの論理的とBさんの論理的が違うだけという可能性はないでしょうか?
もしそうだとすれば、相手の言っていることが理解できないからと言って非論理的と断ずるのは、早計なのかもしれません。
今回はそのような疑問に答えてくれる本として、社会学者の渡邉雅子さんの著書『論理的思考とは何か』を見ていきましょう。
1.論理的思考は普遍的か
論理的という言葉を複数の意味で使い分けている人は多くありません。
なぜなら、論理的というのは普遍的なものであるという考えが常識(暗黙の前提)だからです。
しかし、渡邉さんはある経験からこの前提が自明ではないことに気が付きます。
筆者が論理的であること、そして論理的思考が「ひとつ」ではないことに気づいたのは、アメリカの大学に留学して、エッセイと呼ばれる小論文を提出した時だった。「評点不可能」と赤ペンで書かれ突き返された時の衝撃は今でも忘れられない。それ以上に衝撃的だったのは、どんなに丁寧に書き直しても同じコメントが繰り返された一方で、いったんアメリカ式エッセイの構造を知って書き直すと、評価が三段跳びで良くなったことである。
小論文の中身自体ではなく、その論理展開(書き方)によって評価が大きく変わるというのは興味深い事実です。
というのも、もし普遍的な論理的思考が実在するのであれば、大学の先生は書き方(表面的なもの)の背後にある論理的思考の中身(本質的なもの)を見抜いて、評価してくれてしかるべきではないかと思われるのです。
大学で指導する立場にあるほどの人が、論理的思考の中身を見抜けないというのは、その前提である普遍的な論理的思考の実在を疑わせます。
そして、渡邉さんはこの経験から考えを進めて、論理的思考がグローバルで普遍的なものではないこと、むしろそれは文化やその価値観・目的によって異なるローカルなものであり、教育の過程で身につけていくものであるという考えに至ります。
彼女はこのローカルな論理的思考は、次の4つの基本的な型に分けられると言います。
「経済(アメリカ)」、「政治(フランス)」、「法技術(イラン)」、「社会(日本)」です。
それぞれの型には固有の論理と思考法があります。つまり、何が論理的思考であるかが全く異なるのです。
次のセクションでは、具体的にそれぞれの論理の中身を見ていきましょう。
2.四つの論理的思考
まず、論理的思考の代表格と思われているであろう「経済の論理(アメリカ)」から見ていきます。
経済の論理の目的は言うまでもなく収益の最大化です。
この領域は目的がはっきりしているからこそ、その効率性が問題になります。
日本人が会社の研修で「結論ファースト」で話をするように言われるのは、会社が経済の領域に属していて、そこでは効率性が重視されるからです。
結論から始め、いかに短いステップで根拠を述べ相手を納得させられるか、これこそが経済的に正しい高効率なコミュニケーションなのです。
経済の領域において、有限な資源である相手の時間を冗長な会話で奪うことは不道徳であるとすら言えます。そのため、無駄な内容は可能な限りそぎ落とし必要なことだけを伝えなければならないのです。
つぎに、「政治の論理(フランス)」について見ていきましょう。
政治の論理において重要なことは、議論が尽くされたかということです。
政治の問題には常に複数の意見が存在し、それらの意見に対立(矛盾)があるからこそ政治が必要になります。
この領域では常に複数の考えを慎重に吟味しなければならないため、弁証法の考え方が重要になります。
弁証法とは、ある主題に対する2つの矛盾する考えを統合し、より高次の考えへと発展させる思考法です。
ここで重要なのは2つの考えの間で単に妥協するのではなく、それらの2つの考えを真剣に吟味し、矛盾を解決しつつ双方の良い部分を保存する積極的な解決を目指すことです。
このような政治の論理から経済の論理を見れば、単に自分の主張の根拠を集めてきただけであり議論が不足しているように感じられます。
逆に経済の理論から政治の論理を見れば、時間をかけすぎであり不必要に論理を複雑にしているように感じられるでしょう。
続いて、「法技術の論理(イラン)」について見ていきましょう。
法技術の論理においては、前提として真理が存在していますから、それを保持し、真偽を判定することが重要になります。
例えば、聖典や法は真理とされ、それ自体の是非を問うことは不道徳であるかつ必要でもありません。
そして、真理に対して、唯一行いうることはそれを解釈することです。
ですから、この領域において重要なのは、あらゆることがらがどの真理に当たり、逆にどの真理には当たらないのかを見極めることなのです。
この領域は日本人にとって少し理解することが難しいかもしれませんが、裁判官を想像していただくと分かりやすいと思います。
裁判官にとっては法が真理であり、真理を解釈し、現実の訴訟がその真理に該当するかどうかを判断します。そして、法を変えることは彼らの仕事の範囲ではありません。
この法技術の論理から経済や政治の論理を見れば、それらは単なる個人の意見であり、真理に基づいた秩序を脅かすものです。
真理は個人が変えるようなものではないのだから、真理の解釈を離れた個人の意見の表明は単純に無意味に感じられるのです。
最後に、「社会の論理(日本)」について見ていきます。
社会の論理において重視されるのは共感です。
そして、その共感にとって重要なものこそが感想文です。
感想文では、ある経験を通じて自分がどのように感じ、どのような変化があったかを書きます。そして、その感想文(考えや感覚)を他者と共有し、他者の感想文にも触れることを通じて意見の一致や違いを認識し、共感や調整を学びます。
このように社会の領域では個人が他者と共通の感覚を養うことが重視され、それは暗黙の規範(道徳)として社会秩序を維持する役割を果たします。
日本人が海外に行くと、その社会が日本の感覚からすればあまりにも機能していないことに驚くことがあると思います。
例えば、私がローマの路線バスに乗った時には、そのバスは路線をショートカットしていくつかのバス停を飛ばしていましたし、エジプトのUberのドライバーのほとんどがUberのオンライン決済ではなく現金(しかも米ドル)でUberの正規料金の数倍の料金を要求してきました。
これらの事態は社会の論理から見れは不道徳に感じられるでしょう。
おわりに
ここまで「経済(アメリカ)」、「政治(フランス)」、「法技術(イラン)」、「社会(日本)」という4つの論理の型を見てきました。
一通り見ただけであれば、「そうなんだ」で終わってしまいそうですが、この本では、論理的思考が普遍的ではないことを踏まえたうえで、多元的思考という考え方が推奨されています。
多元的思考とは、それぞれの論理的思考の特徴を理解した上で、相手や目的に応じて選択することだといいます。
このような多元的思考を身に付けることが出来れば、論理的思考の違いによる衝突を避け、今まで分かり合えないと感じていた相手とも建設的な議論ができるようになるかもしれません。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
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