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【連続小説】『問屋街の次女』 第二章「上京列車」

五日間の東京が、私の人生を動かしはじめる。

写真が届いたのは、縁談の話が出てから八日後でした。
東京の消印が押された大きな封筒で、宛名は長谷川商店となっていました。
「千代、雑誌屋さんからやぞ」
父が封筒を渡してくれました。
自分で開けなかったのは、珍しいことでした。父は、店へ届いたものはだいたい自分宛てだと思っています。商売屋の主人としては、まことに便利な考え方です。
封筒の中には、問屋街の写真が十枚ほど入っていました。
反物を担ぐ若い衆。荷車を引く運送屋。野田縫製の足踏みミシン。店先で煙草を吸う番頭さん。受話器を握ったまま笑っている父。
最後の一枚が、私でした。
雨上がりの軒先に立ち、岐阜駅の方角を見ています。
水色のブラウスは、思っていたより白く写っていました。髪は少し乱れています。口元には笑いもなく、怒っているようにも、困っているようにも見えました。
もっときれいに撮ってくれればよかったのに、と思いました。
けれど、それでは私でなくなるような気もしました。
写真の裏には、鉛筆で短く書いてありました。
〈一枚だけです。三浦〉
ほかの写真の裏には、何も書かれていませんでした。
「よう撮れとるやないか」
父が横から覗き込みました。
「そうやね」
「これ、雑誌に載るんか」
「知りません」
「載るなら、店の名前も出してもらわんとな」
父は、写真に写った娘より、その後ろに写っている長谷川商店の看板を見ていました。
私は写真を封筒へ戻しました。
一枚だけ、と約束したのですから、一枚しかないのは当たり前です。それでも私は、もう一枚くらい撮っておけばよかったのに、と思いました。
三浦さんは、ときどき商売がわかっていません。
その日曜日、縁談の相手が家へ来ました。
名古屋の繊維会社の長男で、名前は水野達夫さんといいました。二十八歳。写真で見たとおり、真面目そうな人でした。
写真より少し耳が大きく、写真よりよく汗をかく人でした。
六月の暑い日に背広を着ているのですから、汗をかくのは当然でした。それでも水野さんは、額の汗を白いハンカチで拭きながら、背広を脱ごうとはしませんでした。
真面目な人というのは、暑さより順序を大切にするものらしいです。
父と水野さんのお父さんは、しばらく商売の話をしました。
毛織物の値段。名古屋の景気。大阪のメーカー。これから伸びるという既製服。
縁談の席でも、男の人たちは布の話をします。
女を一人もらう話だけでは、間が持たないのでしょう。
やがて母が、
「若い人同士で、少しお話ししたら」
と言いました。
若い人同士といっても、襖一枚隔てた向こうには、父と母と水野さんのご両親がいました。五人分の耳が並んでいると思うと、あまり若い人同士という気はしませんでした。
水野さんは、姿勢を正して座っていました。
「お仕事は、帳場を?」
「はい」
「伝票や電話も?」
「だいたいのことはします」
「それは大変ですね」
「慣れていますから」
「結婚したら、もう働かなくてもいいですよ」
水野さんは親切に言いました。
「そうですか」
「家のことをしてもらえれば、それで充分です」
「家のことだけを?」
水野さんは少し考えました。
「子供ができれば、忙しくなりますし」
まだ結婚もしていないのに、もう子供ができていました。
話の早い人でした。
「水野さんの会社では、女の人は働いていないんですか」
「電話と事務に何人かいます」
「仕入れは?」
「仕入れは男の仕事です」
「婦人服も?」
「ええ」
水野さんは不思議そうな顔をしました。
婦人服を男が選ぶことより、それを私が尋ねることのほうが不思議らしいのです。
「長谷川さんは、結婚しても働きたいんですか」
「まだ、わかりません」
私は答えました。
これは便利な言葉でした。
岐阜が好きかと尋ねられたときにも使いました。人は、わかりませんと言われると、たいていそれ以上は聞きません。
水野さんも聞きませんでした。
帰り際、水野さんは丁寧に頭を下げました。
私も頭を下げました。
父は、いい人やろう、と言いました。
母は、真面目そうな人やね、と言いました。
写真を見たときと同じでした。
人についてわかることは、案外増えないものです。
六月下旬、『暮しと産業』が五冊届きました。
岐阜の繊維問屋街の記事は、六ページありました。
〈変わりゆく衣服、変わらない商い〉
それが三浦さんの記事につけられた見出しでした。
父の写真も載っていました。
受話器を手にして笑っている写真です。その横には、父の言葉が大きく印刷されていました。
〈十年先はわからない。ただ、服を着ない人間はいない〉
「うまいこと書くなあ」
父は感心していました。
自分の言った言葉なのに、印刷されると他人から褒められたような気がするらしいです。
私の写真は、最後のページに載っていました。
雨上がりの通りで、駅の方を見ている写真です。
写真の下には、こう書かれていました。
〈既製服の時代を迎える問屋街の若い女性〉
名前はありませんでした。
私は、若い女性になっていました。
間違いではありませんが、長谷川千代でなくなったようで、少し妙な気がしました。
記事には、東京では若い女の人が自分で服を選ぶようになったこと、百貨店に吊るしの洋服が増えていること、同じ形の服が全国で売られるようになることが書かれていました。
父は読み終えると、雑誌を閉じました。
「東京は、何でも早いな」
「見てみたいね」
私は言いました。
「何を」
「百貨店とか、既製服の問屋とか」
「お前が見て、どうする」
「女の着るものやもの。女が見てもええでしょう」
父は笑いました。
「東京見物がしたいだけやないか」
「それもあります」
私は正直に答えました。
全部を正直に言わなくても、少し正直に言えば、人はかえって信用します。
「三浦さんも、十年先のことを聞いとったでしょう」
「それがどうした」
「十年先も商売するなら、一度くらい見ておいたほうがええんやないの」
父は雑誌をもう一度開きました。
自分の写真と、自分の言葉を見ました。
東京の雑誌に載った自分と、娘の言うこととを、頭の中で秤にかけているようでした。
「お前一人で東京なんか、行かせられるか」
「東京には叔母さんがおるでしょう」
母の妹が、荻窪というところに住んでいました。私は会ったことがありませんでしたが、母とは年に二度ほど手紙をやり取りしていました。
「泊めてもらえばええやないの」
「店はどうする」
「一週間くらい、伊藤さんがおるでしょう」
帳場の向こうで、伊藤さんが顔を上げました。
「わしに振るなよ」
と言いながら、少し笑っていました。
父はしばらく返事をしませんでした。
私は急がせませんでした。商売の話は、相手からうなずかせなければ意味がありません。
その晩、父は母と二階で長いこと話していました。
翌朝、帳場へ降りると、父が言いました。
「三日やぞ」
「何が?」
「東京や。行くなら三日で帰ってこい」
私はすぐに喜んではいけないと思いました。
「三日では、行って帰るだけやね」
「ほんなら四日」
「叔母さんにも挨拶せないかんし」
「五日。それ以上は駄目や」
「わかりました」
私は頭を下げました。
五日あれば、三日より二日も多いのです。
東京へ行くことが決まると、縁談の話は一時止まりました。
父は、
「帰ってきてから、きちんと返事をする」
と言いました。
「もう返事はしたやないの」
母が言いました。
「あれは、お父さんたちがええと思われるなら、と言っただけです」
「同じことやろ」
父が言いました。
「違います」
私は言いました。
父は怒るかと思いましたが、怒りませんでした。
東京行きを許したばかりなので、続けて怒ると自分の決めたことまで間違いに見えると思ったのでしょう。
商売人は、損をしたように見えることを嫌います。
東京へ発つ前の日、私は三浦さんへ手紙を書きました。
〈記事を読みました。父はたいへん喜んでおります。来週、既製服の店を見に東京へ行くことになりました。お仕事中でしょうから、お返事には及びません〉
三度書き直しました。
最初の手紙には、写真をありがとう、と書きました。
二度目には、東京でお会いできますか、と書きました。
三度目には、その二つをどちらも書きませんでした。
書かなかったことが、いちばん伝わる場合もあるように思えたのです。
六月末頃、私は岐阜駅から上り列車に乗りました。
母は、汚れが目立つからと言って、紺色のブラウスを鞄へ入れてくれました。
私は、水色のブラウスを着ていきました。
父はホームまで来ませんでした。
店を空けられないと言いましたが、娘が東京へ行くところを見送るのが嫌だったのだと思います。
母は何度も、荻窪の叔母さんの住所を書いた紙を持ったかと確認しました。
「持ったよ」
「財布は?」
「持った」
「切符は?」
「持った」
「知らん人についていったらあかんよ」
「二十二です」
「東京では、二十二でも田舎者やよ」
汽車が動き始めると、母はホームを一緒に歩きました。
私は窓を開け、手を振りました。
母は、もう一度何か言いました。
汽車の音で聞こえませんでした。
名古屋。豊橋。浜松。静岡。
時刻表の上を指でたどった町が、今度は窓の外を通り過ぎました。
駅へ着くたび、人が降り、人が乗りました。
私は何度も、鞄の中の写真を確かめました。
持ってきた理由はありません。
東京へ着くまでに、私は少し眠りました。
夢は見ませんでした。
東京駅には、驚くほど大勢の人がいました。
誰も立ち止まりません。誰も二階の窓など見ていません。問屋街の男たちより、もっと速く歩いていました。
東京の人は、目的もなく歩いているように見えて、実はみな行く場所を知っているのかもしれません。
私は鞄を持ち直し、人の流れから外れました。
どちらへ行けば出口なのか、わかりませんでした。
目的がなくても東京へ来ていいと言った人に、まず道を聞きたいと思いました。
そのとき、
「長谷川さん」
と、声がしました。
振り返ると、三浦さんが立っていました。
白いシャツの袖を肘まで折り、首からカメラを下げていました。
岐阜にいたときと同じ格好でした。
東京の人も、東京へ戻ったからといって、急に東京らしくなるわけではないようです。
「どうして」
私は尋ねました。
「手紙に、来週って書いてあったから」
「日にちは書かなかったでしょう」
「雑誌社に電話しましたよね。長谷川商店の方が」
伊藤さんでした。
余計なことをしてくれたものです。
「お迎えを頼んだ覚えはありません」
「迷うと思って」
「迷ってません」
「そうですか」
三浦さんは私の後ろを見ました。
「出口、あっちですよ」
迷っていました。
三浦さんが鞄へ手を伸ばしました。
「持ちます」
「大丈夫です」
「重いでしょう」
「私の荷物ですから」
「だからです」
岐阜で、雨の中の商品を運んだときと同じことを言いました。
私は鞄を渡しました。
一度くらい、同じ順序に従ってあげてもよいと思いました。
二人で出口へ向かって歩き始めました。
「そのブラウス」
三浦さんが言いました。
私は自分の胸元を見ました。
「何ですか」
「岐阜で写真を撮ったときのですよね」
「覚えてたんですか」
「写真に写ってますから」
そう言われると、覚えていたことにはならないような気がしました。
「水色、似合ってますね」
私は三浦さんを見ました。
言った本人は、もう前を向いていました。
東京の男の人は、女の服を褒めたあと、相手がどんな顔をするか確かめないのでしょうか。
「岐阜では言いませんでしたね」
「言ったほうがよかったですか」
「別に」
私は答えました。
別に、と言ったわりには、そのあとしばらく、自分の袖口が気になりました。
「東京へ、何をしに来たんですか」
三浦さんが尋ねました。
「既製服の店を見に」
「それだけ?」
「仕事を探しに」
三浦さんは足を止めました。
「仕事?」
「女の着るものを、女が選べる仕事です」
「岐阜へ帰らないんですか」
「五日後には帰ります」
「そのあとは?」
「わかりません」
私は答えました。
三浦さんはカメラの傷を親指でこすりました。
「困ってるんですか」
「少し」
「そうですか」
私たちはまた歩き出しました。
三浦さんが半歩先を歩き、私はすぐに追いついて、その横に並びました。
東京は、私を待っていたわけではありませんでした。
人が多すぎて、長谷川千代という女が一人増えたことなど、誰も気づきません。私はその中に紛れながら、気づかれないことの軽さと、どこにも属していないことの心細さを、同時に抱えていました。
それでも、不思議と息はしやすく、胸の奥だけが少し広がっていくようでした。
私は、それが少し気に入りました。
——そして、見知らぬ街の真ん中で、私はようやく「誰でもない自分」に戻っていったのです。

第二章 了
第三章「吊るしの服」へ


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