PLAYLIST STORIES SONG 02. 「明日のことは決して誰もわからない」Mr.Children『Tomorrow never knows』より SCENE.03 再会 ー 最終章(前編)
「皆さん、本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。本日の幹事を務めます、三年二組のサカモトです」
マイクが一瞬、低く唸った。
新宿のホテル、その宴会場のあちこちから小さな笑い声が起こった。
「こうして皆さんと集まるのは、三十年ぶりです。これだけ大勢の方に参加していただき、本当に嬉しく思っています」
円卓を囲んだ男女が、互いの顔を見回していた。
髪が白くなった者。
眼鏡を掛けた者。
名札を読もうとして、老眼鏡を取り出す者。
高校時代の面影を、笑ったときだけ残している者。
「そして今日は、当時担任だった黒田先生にもお越しいただきました」
拍手が起こった。
クロダ・ユウイチは席を立ち、軽く頭を下げた。
五十二歳。
あのころ二十二歳だった新任教師は、いつの間にか、教え子たちより四歳年上なだけの男になっていた。
「先生、ひと言お願いします」
幹事にマイクを向けられ、ユウイチは困ったように笑った。
「皆さん、お久しぶりです」
拍手がもう一度起こる。
「黒田先生、変わってない!」
誰かが声を上げた。
「いや、三十年分、ちゃんと老けました」
会場に笑いが広がった。
ユウイチは、かつて自分が出席簿を読み上げていた生徒たちの顔を見渡した。
名前を聞けば、すぐに思い出せる顔。
名前を聞いても、しばらく時間が必要な顔。
まったくわからないのに、向こうからは親しげに手を振られる顔。
「今日は昔話に花を咲かせながら、楽しい時間をお過ごしください」
サカモトがグラスを掲げた。
「それでは、三十年ぶりの再会に――乾杯!」
グラスの触れ合う音が、宴会場に広がった。
⸻
受付では、同級生たちがスマートフォンでQRコードを読み取っていた。
撮った写真は、その場で同窓会のグループに共有されていく。
「先生、ここ押せば見られますよ」
「押してるんだけどな」
「それ、長押ししてます」
ユウイチのスマートフォンを覗き込んでいた男が笑った。
高校時代、授業中はいつも机に伏せていた生徒だった。
今は都内の会社で部長をしているという。
「お前が人にものを教えるようになるとはな」
「先生だって、最初は全然教えるの上手くなかったじゃないですか」
「よく覚えてるな」
「忘れませんよ。初めての授業で、黒板に書く字、震えてましたから」
周囲が笑った。
別の男がビール瓶を持って近づいてきた。
「先生、まだ現役なんですか」
「まだ教えてるよ」
「定年まで?」
「たぶん」
「俺なんか、もう辞めることばっかり考えてますよ」
少し離れた円卓では、女性たちが子どもの就職や受験の話をしていた。
親の介護。
健康診断の数値。
住宅ローンがあと何年残っているか。
三十年前、教室で進路や恋愛の話をしていた者たちは、いつの間にか、自分の子どもの進路や、老いていく親の話をするようになっていた。
それでも笑い声は、あのころとほとんど変わらなかった。
ユウイチは何人もの教え子とグラスを合わせた。
昔の失敗を蒸し返され、そのたびに笑った。
自分が忘れていた出来事を、彼らは驚くほどよく覚えていた。
教室の窓を割ったこと。
文化祭の準備で夜まで残ったこと。
修学旅行で一人だけ集合時間に遅れたこと。
一つの話が終わるたびに、別の誰かが肩を叩いた。
「先生、覚えてます?」
そう聞かれるたび、ユウイチは記憶の中の出席簿をめくった。
ふと、宴会場の向こう側が見えた。
一人の女性が、窓際の円卓に立っていた。
濃紺のワンピース。
肩に触れるくらいの黒い髪。
小さな銀色のイヤリングが、照明を受けて揺れている。
隣にいる同級生の話を聞きながら、静かに笑っていた。
華やかな装いではなかった。
けれど、周囲の声から少しだけ離れた場所にいるように見えた。
ユウイチは、その横顔を見た。
なぜ目が止まったのか、自分でもわからなかった。
女性が、誰かに呼ばれて顔を傾ける。
その一瞬、首都高速の黄色い照明の中で、現れては消えた少女の横顔が重なった。
ユウイチは手にしていたグラスをテーブルへ置いた。
人のあいだを抜け、ゆっくりと近づいていく。
女性がこちらを向いた。
目が合った。
十八歳だった少女の面影は、もうほとんど残っていなかった。
それでも、その目だけは覚えていた。
「ヨシノ?」
女性は一瞬、驚いた顔をした。
やがて、ゆっくりと笑った。
「先生」
あの夜から、三十年が過ぎていた。
⸻
「久しぶり」
ユウイチが言った。
「三十年ぶり」
ミカは答えた。
その声は落ち着いていた。
歌舞伎町のガードレールで、イヤホンを片方だけ外した少女の声とは違っていた。
「元気だった?」
「見ての通り」
ミカはグラスを少し持ち上げた。
「先生も元気そう」
「それなりに」
ミカはユウイチの顔を見た。
目尻に増えた皺。
白いものが混じった髪。
高校時代より少し厚くなった肩。
「先生、五十二?」
「そう」
「私、四十八」
「知ってる」
「四つしか違わなかったんだ」
ユウイチは笑った。
「当時から四つしか違わないよ」
「でも、あのころはすごく大人に見えた」
「俺も子どもだった」
ミカの口元が、わずかに動いた。
「それは知ってた」
「生意気だな」
「もう生徒じゃないから」
二人は笑った。
そのとき、背後から声がした。
「ヨシノ、写真撮るよ」
女性の同級生がスマートフォンを手に立っていた。
「先生も入ってください」
「俺も?」
「当然です」
ユウイチとミカは、ほかの同級生たちのあいだへ並んだ。
「もっと寄って」
誰かが言った。
人が詰め、肩が触れそうになる。
ユウイチは少しだけ身を引いた。
ミカは気づいたようだったが、何も言わなかった。
スマートフォンの画面に、四十八歳になった教え子たちと、五十二歳になった教師が収まった。
「撮ります。三、二、一」
小さな電子音が鳴った。
すぐに別の同級生がユウイチの腕を取った。
「先生、こっちにも来てくださいよ」
ミカも女性たちの輪へ戻っていく。
二人の会話は、そこで途切れた。
⸻
宴会が続くあいだ、ユウイチは何度かミカの姿を探した。
ミカは誰かと話し、笑い、スマートフォンの写真を見せ合っていた。
高校時代の彼女を知る者にとっては、ごく普通の再会だった。
三十年前の歌舞伎町も。
首都高速で開いたドアも。
夜明け前の海も。
ここにいる誰も知らない。
ユウイチは、誰かの話に相槌を打ちながら、宴会場の向こうにいるミカの横顔を何度も確かめた。
ミカも、ときどきこちらを見ていた。
目が合うと、どちらからともなく少しだけ笑った。
それ以上のことは何もなかった。
やがて、幹事が再びマイクを手にした。
「皆さん、そろそろお時間となりました」
名残惜しそうな声が上がる。
「二次会に参加される方は、このあと一階ロビーにお集まりください。お店までご案内します」
椅子を引く音が重なった。
同級生たちはコートを手に取り、連絡先を交換し、撮った写真を確認しながら宴会場を出ていく。
ユウイチもクロークからコートを受け取った。
二次会へ誘われたが、明日も学校があると言って断った。
宴会場を出ようとしたとき、後ろから声がした。
「先生」
振り返ると、ミカが立っていた。
片手に小さなバッグを持っている。
宴会場の照明が落とされ始めていた。
「少し、時間ある?」
ユウイチはうなずいた。
「あるよ」
二人は並んで廊下を歩いた。
一階へ降りるエレベーターの中には、ほかに誰もいなかった。
扉が開くと、ロビーの向こうにホテルのラウンジが見えた。
照明を落とした静かな空間。
大きな窓の外には、二〇二六年の新宿の夜が広がっていた。
ラウンジの奥には、一台のグランドピアノが置かれている。
譜面台のそばに、小さな札が立っていた。
午後八時三十分より、ピアノ演奏。
椅子には、まだ誰も座っていなかった。
SCENE.03 再会(後編)へ
