任せてよかったのか、いまだに分かっていません
渡したものは、いま動いています。
朝に置いてあります。こちらが何も言わなくても走っています。そこまでは、たしかに思っていたとおりになりました。
ただ、これでよかったのかどうかを、僕はまだ誰にも確認していません。
この記事は、答えの出ている話ではありません。渡したあとに残った問いを、そのまま並べます。
どこまでなら任せていいのでしょうか
渡す前、僕が考えていたのは「何を渡すか」でした。渡す中身を選べば、それで決まると思っていました。
実際に渡してみると、選んでいたのは中身ではなく範囲のほうでした。
同じ仕事でも、どこまでを向こうに任せて、どこからをこちらが見るかで、まったく別のものになります。最後まで任せれば手は空きます。手前で止めれば、こちらの確認が毎回入ります。
どちらが正しいのかを、僕はいまも決められていません。決められないまま、仕事ごとにばらばらの位置で線を引いています。
線の位置を決めた理由を、あとから説明できないものもあります。そのときの不安の大きさで引いていた、というのが正直なところです。
同じ種類の仕事なのに、片方は最後まで任せていて、もう片方は毎回こちらが目を通している、ということが実際に起きています。中身の難しさが違うからではありません。先に渡したほうが、たまたま最初にうまくいったからです。
うまくいった順に信用の量が決まっている、と書いてしまえばそれまでですが、では何回うまくいけば任せていいのか。その数を、僕は自分で決めた覚えがありません。

動いていることは、誰が確かめているのでしょうか
出来上がったものは朝に置いてあります。置いてあるということは、動いたということです。
では、動いたかどうかを確かめているのは誰か。
僕です。僕しかいません。ひとりでやっているので、他に見る人がいません。
ここで一つ、おかしなことが起きます。確かめるのが僕だけなら、僕が確かめなくなった瞬間から、誰も確かめていないことになります。
人に頼んだときは、こうはなりませんでした。頼んだ相手が「終わりました」と言ってきます。うまくいかなければ「ここが分かりません」と言ってきます。確かめる仕事の半分は、向こうが持っていました。
渡し先が変わったとき、その半分がどこへ行ったのかを、僕は考えていませんでした。
止まったとき、最初に気づくのは誰でしょうか
これがいちばん答えにくい問いです。
僕がいま動かしているものは66本あります。定期で走るものを数えた実数です。このうち、止まったときに向こうから知らせが来るようにしてあるのは、ごくわずかです。
残りは、こちらが見に行かないと分かりません。
そして、動いているものほど、こちらは見に行かなくなっていました。
毎日ちゃんと出来上がっているものを、毎日開いて確かめる人はいません。数日続けて問題がなければ、開く回数が減ります。二週間続けば、ほとんど開かなくなります。うまくいっているという実感が、そのまま見張りをやめる理由になります。
実際に一件、止まっていた日があります。その日のうちには気づきませんでした。 気づいたのは、出来上がっているはずのものを別の用事で開いたときでした。
止まったこと自体より、止まってから気づくまでのあいだ、自分が「動いている」と思い込んでいたことのほうが、あとから効きました。
この件のあとに決めたことは、有料noteに書きました。

確かめる作業が増えたなら、それは減ったと言えるのでしょうか
渡した目的は、自分の手を空けることでした。
手は空きました。空いた手で何をしているかというと、出来上がったものを見ています。
作る仕事が減って、見る仕事が増えました。合計で減っているのかどうかを、僕は測っていません。測っていないので、減ったとも増えたとも書けません。
感覚だけで言えば、楽にはなりました。ただ、楽になった中身が、思っていたものとは違いました。
減ったのは手を動かす時間で、増えたのは、頭の中で「あれは動いているだろうか」と思い出す回数のほうでした。この回数は、たぶん作業時間には出てきません。
見る仕事には、終わりの合図がないという厄介さもあります。作る仕事は、作り終われば終わりです。見る仕事は、見終わったつもりでいても、翌朝また同じものが置いてあります。
だから「今日はもう確かめなくていい」と自分で決める必要があるのですが、その決め方を持っていないと、確かめ続けるか、確かめるのをやめるかの二つしか残りません。 僕はいま、仕事によってその両方をやっています。
どうして、この問いに答えを出せないままなのでしょうか
ここまで四つ並べて、僕はどれにも答えを持っていません。
そして、答えを持っていないのはあなたのせいではありません。
渡し方の話は、どこにでもあります。何を渡すか、どう頼むか、どう書けば伝わるか。読めば読むほど出てきます。
渡したあとに、渡した側が何をどう確かめればいいのかを書いたものを、僕はほとんど見ていません。
人に頼む場合は、この部分が最初から用意されていました。報告があり、相談があり、うまくいかなければ向こうから言ってきます。だから確かめ方を自分で考える必要がありませんでした。
渡す相手が変わったとき、その用意されていた部分だけが、そのまま無くなりました。 無くなったことに気づかないまま、渡し方だけを直し続けていた、というのが僕のこの一か月です。
だから、いまこの問いに答えが出ていないのは、考え方が足りないからではないと思っています。まだ誰も形を決めていないところに、それぞれが自分で線を引いている最中だからです。
僕は僕の線を引きました。合っているかどうかは分かりません。分からないまま動かしています。
今日、いくつ数えられるでしょうか
答えを出さないまま終わります。その代わり、数えられるものを一つだけ置いておきます。
いま自分が任せているもののうち、止まったときに自分が最初に気づけるものが、いくつあるか。
減らさなくていいです。直さなくていいです。数えるだけです。
僕は数えました。66本のうち、向こうから知らせが来るのは1本でした。残りの65本は、止まっていても、僕が見に行くまで止まったままです。
この数を、多いと見るか少ないと見るかも、まだ決めていません。
僕はAIに会社の実務を渡す話を、毎日1本書いています。
同じことを自分の仕事でも試したい方は、フォローしておくと次の記事が届きます。
▼あわせて読む
▼この続きは有料noteにまとめました
絶対に渡さない4つと、実際に起きた事故と、渡すときに使っている指示文の実物を書いています。
