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【あなたの2000年代を聞かせて】第8回ゲスト:さめない社交(その③)

サムオブメンバー(今回はカンノ)が様々なゲストを招いて2000年代についてトークする連載。第8回のゲストはシャーク鮫さんと柿内正午さんによる社交ユニット・さめない社交。(その③)では、シャークさんが10代のときに影響を受けた京都のコミュニティとロックシーン、そしてそういったシーンから離れていくまでを伺いました。(その①)(その②)は下記リンクから。


カンノ:シャークさんの2000年代はいかがですか?
シャーク:カンノ君の言ってた「当時のなりたかったもの」みたいなことでいうとロックスターになりたかった。バンドやってたから。
カンノ:シャークさんがバンドをやり始めてからやめるまではどのくらいの期間ですか?
シャーク:中学生くらいからコピーをやり始めて、25歳くらいでフェードアウトする感じかな。
カンノ:シャークさんはベースでしたよね。最後のほうは働きながらですか?
シャーク:働いたり働いていなかったりだったけど、「真面目にやろう」となってからは働きながらやってた。周りにそういう人も多かったし。でも、忙しくなりすぎて…。思ったより仕事もできちゃったから、東京に転勤したのがきっかけになり、自分で音楽をやることからはフェードアウトしていった。このあたりは俺のテン年代史になるんだけど、小6から高3あたりは完全に「バンド!ロックンロール!」みたいなかなりズレた高校生だった。
カンノ:演奏していたのはオリジナル曲ですか?
シャーク:コピーとかセッションが主でしたね。で、これはあまりに小さすぎてどこにも話してない話なんだけど、京都の関西パブロックシーンに影響を受けて。
カンノ:関西パブロックシーン?
シャーク:THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが影響を受けたDr. Feelgoodっていうバンドが代表としているんだけど、いわゆるパブでロックンロールを鳴らしていた。
カンノ:あ~!話には聞いたことがあります。イギリス発祥ですよね。

シャーク:一般的な音楽リスナーとしては、チバさん経由で知っていくのが普通なんだけど、僕がライブハウスや溜まり場で出会ってた人って1969年生まれで。ロックの年に生まれた人たち。で、チバは1968年生まれなのでほぼ同世代。だから、同じようなものを聴いて育っていたのに、世間では「パブロックってミッシェル、チバのもの」みたいな感じになっていたから、どこか複雑な感情がどうやらあったっぽい。
カンノ:ミッシェルに対して微妙な距離感を持つ先輩が多くいたんですね。

シャーク:そうそう。俺が10代のときの20歳上なので、だいたい当時35歳くらいの方々。今の俺たちくらいの年齢。
柿内:おぉ~。
シャーク:みんながわかるところでいうと、The ピーズの大木温之さんがそのジャンルが好きだったりするね。あと、ワタナベマモルさん。グレイトリッチーズっていうバンドを元々やっていて、ナゴムからも出してたんだけど、この人がDr. Feelgoodのトリビュート盤を出したりして、そこにピーズも変名で参加してるんだけど、京都のバンドも参加してた。
カンノ:そうなんですね。

シャーク:京都の昔からのロックンロールが好きな世代に仲良くしてもらって。で、このあたりの世代を見て、くるりはバンドをやり始めると聞いております。
カンノ:くるりは全然年下だ。
シャーク:そうそう。で、その辺のおっちゃんたちは昔からのロックンロール史観だから、最先端のくるりには厳しい。

カンノ:そういうところに10代中頃から顔を出すって怖くなかったですか?
シャーク:当時はなにも知らなかったから、初めて見たニワトリがそれだったみたいな。
柿内:親鳥になるんだ。
シャーク:僕は京都府出身なんだけど、京都の市街地に出るのに2時間かかるほどの田舎だったの。なので、どうしても就職や進学で一度京都の市街地に出て行くことが多い。そして20代〜30代そこそこで自営の仕事を継ぎに地元に戻ってくる。でも、田舎に戻ってもやることがないから、広いところをライブハウスに改造したり、楽器屋をやったりする人もいたり。そういう人たちって自分たちで遊び場を作ってたの。
カンノ:シャークさんが育ったところはある種、そういう人たちによって文化が担保されていた。
シャーク:そうそう。そこで友達のお兄ちゃんとか、おかんと仲の良かったお兄ちゃんとかが出入りしていて、俺は小学生のときにそこへぽーんと入っていく。
カンノ:この企画で姫乃たまさんとお話したとき、下北沢育ちの姫乃さんの小学校の社会科見学で当時の下北沢GARAGEへ行ってるんですよ。
シャーク・柿内:アハハハハッ!

カンノ:こんな話、聞いたことないじゃないですか(笑)。でも、地域が違うだけでまったく同じ話ですよね。
シャーク:そうだね、似てると思う。
カンノ:京都の街とかでもなく、その地域一帯の特殊な感じ。
シャーク:人が少ないから、そこでのシーンはなんか世代を跨いでるんだよね。自分たちのような10代がいて、20歳上の30代はロックが好きなチバさん世代、さらにその10歳上くらいの当時40~50代の、今はもうおじいちゃんくらいになってる世代。この上のおっちゃんたちは言ってしまえば加藤和彦とかジュリーとか永ちゃんとかが若い時に生で観てて、隠し撮りしている写真とか映像を持ってたりする。そういうのを見させられたりしてた。
カンノ:ブートのレコードがあったり。
シャーク:そうそう。で、京都に村八分っていう伝説のバンドがいたんだけど、村八分がバリバリのときにライブハウスをやっていた人が地元に帰ってきて楽器屋をやっていたり、その人が自分の師匠みたいな感じだったりするんだけど。
カンノ:いや、シャークさん、それはシャークさんが語り残したほうがいいやつですよ。
シャーク:そうなの。でもなかなか…。当時の関係者同士が喧嘩したり、あと普通に死んでいく。
カンノ:そうですよね。これ、地元で埋もれちゃって終わっちゃう話ですよね。
シャーク:それぞれで場所持ってる人が多かったから。店やるとか。そこが溜まり場で、「好きなやつ来いよ」っていう雰囲気。でも地元には差別意識もあったりして。俺はそこで生まれてるんだけど、地元じゃなくて。親父は大阪の人で、親父の仕事都合で京都の端っこに来たので。で、地元の人からすると、それは地元の子ではない。それ以外は他所の子だから。
カンノ:「お前はここの人間なのか?」っていう。
シャーク:本人たちはそうは思ってなかったと思うけど、他所から来た俺は幼少期から強烈にそれを感じてて。でも、溜まり場にいる音楽好きなおっちゃんたちはそれがなくて優しかった。
カンノ:一度、京都の市街地に出てきてるのは大きいんでしょうね。
シャーク:そうそう。「おもしろいやつならなんでもオッケー」みたいな。学校終わってランドセル置いてそこへ遊びに行くみたいな感じでしたね。
カンノ:僕が知ってる関西シーンは関西ゼロ世代と言われるやつですね。
シャーク:大阪のシーンだね。ミドリがいて。
カンノ:あふりらんぽ、オシリペンペンズ、ワッツーシゾンビ。ラップだとイルリメもそうかな。

シャーク:そうそう、関西でも大阪と京都、神戸ではそれぞれ毛色は違ったんだよね。そのなかでも、場所、日によっても光景が違った。たとえば京都の老舗ライブハウスは磔磔だけど、大きいバンドが来たら立ち見で人がパンパンになる。でも、普段は平たくて丸い机と椅子があって、そこに座って皿うどんとか食べながらライブを観るの。
カンノ:寄席の空間みたいですね。
シャーク:本当にそんな感じ。そこにいつも来てる常連のお兄さんお姉さん、おっちゃんたちがいて、大体50~60人くらいかな。
カンノ:磔磔の地域性とメジャー感のバランスはあるんでしょうね。
シャーク:たとえばBase Ball Bearが磔磔でライブをしたときに、俺も友達と行くんだけど、普段行ってる磔磔の雰囲気とは全然違うんだよね。
カンノ:普段の磔磔の話とか全然出てこないのでおもしろいですね。メジャーなミュージシャンの公演しかこっちには届かないから。
シャーク:で、そういう感じで地元のシーンだけじゃなく、京都のシーンにも顔出したりしてたんだけど、高校卒業して地元から出てどうするかってときに、俺はとりあえず立命館大学に行こうとして。それはくるりが所属していたロックコミューンに入りたかったからなんだけど。地元の田舎からオープンキャンパスとか代々木ゼミナールの対策授業みたいなことでかこつけて、磔磔に行ったりして。で、そこには地元の先輩もいたりして、周りは大人、俺は10代で結構楽しかったから、受験対策のときなんて午前で授業は終わって午後は京都の市街地で遊んでましたね。
カンノ:そこで年上の人と遊べる空間っていいですよね。俺はそれはなかったな~。
シャーク:京都で活動していた好きなバンドでLUCKY LIPSっていう人たちがいて、ギターのkoba-yangさんは再結成した村八分の最後のメンバーでもあるんだけど。当時くるりがやっていたNOISE McCARTNEY RECORDSからアルバムをリリースしていて。

カンノ:あっ、思い出した!スペースシャワーTVがDAXっていう自社の動画サイトを運営していて、そこで見た気がするな……あっ、あれだ!みやこ音楽祭に出て、コンピとかにも入ってましたよね?
シャーク:そうそう!
カンノ:くるりが企画していたフェスで、京都音楽博覧会の前身みたいなフェスでしたよね。
シャーク:みやこ音楽祭は観に行ってて、京都METROで観たイルリメに衝撃を受けたな……。

シャーク:LUCKY LIPSが好きで観に行ってたんだけど、あるタイミングで解散しちゃったりして。あとは、磔磔だとマボロシハンターズっていうバンドがいて、地元にも来てくれて観た。忌野清志郎がLOVE JETSで磔磔に来たときに「どうも、マボロシハンターズです」って言ったぐらい京都のロックンロール好きにはすごく人気でもっと売れていくかと思ったんだけど、ボーカルの方が急逝してしまって。

シャーク:こうやっていなくなってしまうバンドも観てきて。あとは地元でTHE PRIVATESっていうバンドを観たんだけど、地元の先輩たちのバンドが対バンで。

シャーク:そこのリハから終わりまでいて、そのときにTHE PRIVATESのボーカルの延原さんとお話させてもらう機会があって。「お前と同じくらいの俺の息子もバンドやってんだよ」って言ってて。後日、先輩からCDもらって、それを聴いたらOKAMOTO’Sだったの。オカモトレイジのお父さん。

カンノ:また別の話で和光文脈があるわけですよね(笑)。
シャーク:和光ラインがあることを後々知る(笑)。で、10代はそのままロックンロールにどっぷりだったから、パブロックとかガレージロック的なことをやりたかったんだけど、近くにはそういう趣味の合うやつもいなくて、大学生になったらやりたいなと思ってたの。でも、だんだんそういうのが普通に格好いいものとして流行ってきてしまう。それこそOKAMOTO’Sがドーンと売れるし。
カンノ:OKAMOTO’Sは90年生まれの人たちなので、僕が同級生になりますね。
シャーク:で、その年のバンドがもう一つあって、黒猫チェルシー。
カンノ:黒猫チェルシーも1990年でしたか!

シャーク:で、渡辺大知は映画『色即ぜねれいしょん』で主演を務めるやん。
カンノ:峯田和伸と岸田繁も出てますね!
シャーク:あれ、僕の地元で撮影してるの。
カンノ:うわっ、マジですか?
シャーク:だから、僕が本当は渡辺大知の椅子に座るはずだった!
カンノ・柿内:アハハハハッ!

シャーク:勝手にストーリーが始まっちゃって。
カンノ:2000年代後半から2010年代前半にかけてのガレージロックブームだ。
シャーク:毛皮のマリーズ、KING BROTHERSもいて、そのあとにTHE BAWDIESもいて。
カンノ:SISTER JETもいて。あのときですよね。
シャーク:その辺がぐわぁ~っと来て。俺しか好きじゃなかったはずのものがオーバーグラウンドになってきちゃって。で、知るのは後々だけど、もし立命館に入ったらロックコミューンでおとぼけビ~バ~と一緒になるはずだったの。
カンノ:うわぁ~。

シャーク:そうなればまたね、いろいろ新しい道が拓けるはずだったんだろうけど、立命館を落ちて、大阪の関西大学に行くことになって。ここで運命が変わる。京都でどっぷりと誰も聴いてなかったロックを聴いていたのにそれが流行ってきてしまう。あと、立命館に行くはずが大阪の大学に行くことになる。ということで、ロックスターになりたかったというゼロ年代、10代に思っていたことがだんだんと終わっていく……って感じだった。
カンノ:それでも音楽のサークルに入るんですか?
シャーク:軽音部には入ってベースは弾くんだが、もう全然違う感じになっていく。
カンノ:どういうものになっていくんですか?
シャーク:普通にコピーとかはするんだけど、好きになるのはギターポップとかネオアコになって。
カンノ:で、OK?NO!!も出てくるんですね(笑)。
シャーク:そうそう!
柿内:つながってきちゃってる(笑)。
シャーク:tofubeats「SO WHAT!?」のリミックスとか聴いてたよ。

シャーク:こっちの趣味に行こうとしたら「もうCymbals方向をやろうとしているやつらもいるのか」と思いましたよ。だから「Cymbalsも聴かない!」とかよくわかんない態度に出たりもしてたし。結果、演者としては全然なにもやれてない(笑)。
カンノ:その当時、宅録バンドがインターネットを介して音源を発表することに関しては我々は相当早かったと思いますね。
シャーク:早かったよね。だから、「えっ?なんでもうこんなに枠が埋まってるの?」っていう。これはテン年代話になってしまうけど、そこからレコードを掘りまくるようになって、アーカイブを掘って勉強して、観察者として現場はちょくちょく見て、「今お前らがやっていることを10年後、20年後、俺が全部しゃべってやるからな」という思いで日々を過ごすんです。
カンノ:そこで「語ってやる」という気持ちに行って、ポッドキャストの方向につながるんですね。


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