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老いを受け入れられない、おじさんたち | 老後の暮らしを整える

高齢の親のサポートを始めてすぐの頃、もやもやと気が晴れず、しんどくなってきた。そして、ふと気づいたことがある。

自らの老いに向き合い、自分なりの答えをだすことって、誰も、手伝うことはできないんだ、と。

父は父なりに、母も母なりに、自分の老いに向き合うしかないのだ。
こればかりは、父自身の課題であり、母自身の課題なのだ、と気づいた。

こんなはずじゃなかったのに、と思うこともあるだろう。
思うように動けない自分を、情けなく感じることもあるだろう。
毎日少しずつ衰えていくことに、不安もあるだろう。

けれど、こればかりは、どんなに私ががんばっても、父や母を助けることはできない。老いる、という自然の摂理から、誰しも、逃れることはできないのだ。

俺は年齢の割には若いとか、俺はまだまだ大丈夫だ、と、強がるのは、たいてい、おじさんだ。

うちも、年齢を重ねるにつれて、父がキレやすくなり、突然大きな声をだすようになった。

私は、父とは、一定の距離を保ちながら、付き合うようになった(冷たい、と思うひともいるだろうけれど、私なりの生存戦略だ)。

周囲からすると、明らかにサポートが必要な状態であることは、一目瞭然なのに、俺はまだ大丈夫だ、こんなこともできなくなったらおわりだ、と強がる。

その結果、失態を繰り返す様子は、見ていられないほどに痛々しい。

これは、私の父だけの話ではない。なんなら、私の父よりも、友人のお父さん、知人のご主人と、もっともっとひどい話を聞くことも少なくない。

男たるもの、弱音をはいたら、おしまいだ。

そんな価値観に、彼らは縛られて、必死に抵抗している。本人たちも、どうがんばっても抵抗しきれない、とわかっている。それでも、抵抗し続ける。

いやいや、弱音をはこうがはくまいが、まだまだ、ぜんぜんおしまいじゃないから。

あえて、キツイいいかたをすれば、自らの老いを受け入れない、自分の弱さを受け入れられない、というのは、甘え、だと思う。

私も、若いころは、キレるおじさんを前にすると、(わ、このおじさんを怒らせちゃった)と自分が失敗したかのように思っていた。

が、大きな声をだしているおじさん、不機嫌さをあらわにしているおじさんをみると、今では、(お、このひと、なににビビってるんだ?)と思うようになった。恫喝って、ビビってるやつが、思わずだしちゃうものだと気づいたのは、いつだっただろう。

私の父親世代は、そんな甘え、がぎりぎり許されてきただけ。
もう、そんな甘え、は通用しないと思ったほうがいい。

私の母親世代は、そんな夫たちの甘え、をがまんしてきたのだと思う。社会的に、がまんさせられてきた、というほうが正しいかもしれない。
母親世代たちがしてきたがまんは、もうやめたほうがいい、と私は思っている。

老いることを、弱さを受け入れることは、負けなんかじゃない。困っていることを認めて、助けを求めるほうが、よほどスマートなんだよー!と、無駄な抵抗を続けている全おじさんに向けて、声を大にして伝えたい。

もちろん、老いることを、弱さを受け入れることができないまま、つっぱっていく生き方を選ぶなら、好きにすればいい。

ただし、そのふるまいを続けている間は、周囲にいるひとを、決して幸せにしない。自分自身も、この先の人生を、平穏に過ごすことは、諦めるしかない。

その覚悟があるのなら、好きにすればいいと思う。


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