本と書類は一刻も早く手放したほうがいい | 自力でがんばる実家じまい
リビングの床の間が本と書類に埋もれていた。片付けを始めたときから、気にはなっていたものの、どう考えても地獄の予感しかない。
実家の片付けは、地域のゴミ回収、粗大ゴミの回収予約日にあわせて、1泊2日の予定を組み、月に2〜3回のペースで進めている。体力的にも、メンタル的にも、このペースが限界だった。
実家は父の名義になっている。売却するのであれば、父がしっかりしているうちに契約を済ませなければならない。父が入院したり、認知機能が著しく低下してしまうと、実家は売却ができず、塩漬けになってしまう。(もしくは、成年後見人制度に頼らざるを得なくなる。)父の健康状況次第で、いったん弟(もしくは私)に名義変更をする、ということも考えてもいた。
父は元気だけれど、半年後、1年後のことはわからない。そして、家の片付けが終わっても、すぐに家が売却できるかどうかもわからない。時間をかけるほどに、いろいろなことがややこしくなる可能性が増えていく。
キッチンを中心に、あきらかに不用品というものを処分し、次は食器棚か床の間の本、書類かだ。
台所の不用品にうんざりしてきていることもあり、意を決して、今回は床の間の本、書類をやっつけよう。
床の間の本、書類は、ほぼ父の仕事関連のものだ。技術者だった父の図面や設備のカタログなどが背の高い本棚にぎっしり、本棚の前にも新聞やカタログなどが積んである。
地域のゴミ回収で、月になんどか資源ゴミの回収がある。その日に、まとめて本や書類を処分しようと決めた。ゴミの回収所まで運びやすいようにまとめていこう。
片付けの途中で、新聞やさんからいただいたと思われる、割としっかりした紙の袋が大量に発掘されていた。バラバラになりそうなものは、この紙の袋に入れて、紙テープで封をしていく。
分厚いカタログも大量にでてくる。何十年も前のカタログが大量に残っているのをみたとき、父に対する怒りで頭に血が上った。なぜ自分で処分しない?
床の間の端から片付け始め、袋に詰めたり、紐でまとめたものを、空いた場所に積んでいく。片付けても、片付けても減らないし、場所がどんどん足りなくなってくる。
本棚の隅からは、捨て方がわからなかったと思われる、金属製の小物とか、細々とした謎のものも出てくる。私も分別に迷う。ネットで調べていたら、ゴミの分別用アプリが見つかった(それも実家の地域専用のアプリだった)。
今、ゴミ屋敷化している家が増えているのは、ゴミの分別が細かくなったことも一因だと思う。もちろん、ゴミの分別が大事なのは理解しているが、ゴミの分別のしかたがわからない、間違って迷惑をかけたくない、そんな気持ちからゴミを処分できず、家がゴミ屋敷になってしまうひとも多いのだろうと思う。
高齢になるにしたがって、家で過ごす時間が増えてくる。その家が不用品に埋もれてしまっていては、危険で、不衛生で、健康的に暮らせるわけがない。
私の父も母も、几帳面で、毎日の掃除も欠かさないタイプだった。が、実家は不用品に溢れていた。
実家近くに住む、弟家族が実家と親しくしており、私は年に1度、お正月に挨拶に行く程度だった。弟家族が近くにいるから安心、と思っていた。実家の片付けをして、弟も、父と母同様、物を捨てられないタイプだと知った。
床の間は1畳分のスペースしかないのに、1泊2日でがっつり作業して、ようやくゴミを運びだせるようになっただけだった。袋に詰め、紐でしばって積んだものは、床の間から溢れだしていた。
これらをゴミの回収所に運ぶ作業が地獄だったことは、言うまでもない。
私自身、本が大好きで、自宅はかなり広いスペースを本棚にしていた。我が家は引っ越しが多いため、その都度、持ち物の整理をしていたが、捨てられない本が大量にあった。
実家の片付けをして、地獄をみて、自分の本を手放さないといけない、と痛烈に思った。本棚から本を全出しし、苦渋の選択を繰り返し、ダンボール10箱分の本を買取サービスに出した。
絶対に手放せないと思っていた本が、ダンボール10箱分もあった。手放したあと、心に穴が空くこともなかったし、困ることもなかった。
大切な本の内容は、すでに自分自身になっているんだ、と思った。
年齢や健康状態によって、自分の持ち物の量を正しくコントロールすることが大事だと思う。
自分が若くて、健康なら、たくさんの物を持っていても、それらのメンテナンスもできるし、不用と思えば自分で処分すればいい。
けれど、人は老い、自分で管理できることも減っていく。不用と思いながら、自分で処分できない物もでてくるのだ。
年齢に応じて、自分の持ち物の量を正しくコントロールできれば、誰かに迷惑をかけることはない。
