遺言書を残す、ほんとうの意味 | 老後の暮らしを整える
父と母が遺言書を書いたのは、70代後半、母より4歳年上の父は80代に入っていたかもしれない。
結果的に、父と母が準備したのは、自筆遺言書で、一応、弟と私がコピーを預かり、元本は父と母が暮らす家に保管してある。
父は、正式に求められる書面を、自筆で書いたが、母は、私がパソコンで用意した書面に、署名をするのがやっとだった。母の書いたものは、自筆遺言書としては、正式に認められない。
サラリーマンだった父と専業主婦だった母、弟と私を育てながら、住宅ローンを払い続け、慎ましい生活の中で貯金をし、それだけで生活していくのがせいいっぱいだったと思う。
厚生年金と、こつこつと貯めてきた貯蓄で、贅沢することに全く関心のない老夫婦の生活費として、心配はないが、資産とよべるほどのものもない。
父と母が自分たちで購入し、住宅ローンを払い続けた家は、びっくりするほど安い値段で手放した。
今、父と母が暮らす家は、母の祖父から相続したもので、いわゆる田舎の家であり、田舎の土地である。資産価値としては、大きなものではない。
それでも、遺言書は残しておくべきだし、私としては、できれば公正証書遺言のかたちを整えたかった。
結果的には、時間切れだった。父と母が、自分たちの持ち物を整理し、自分の気持ちを整理するのに時間がかかり、公証人役場に行き、正式な書面を整えるところまでは到達できなかった。
公正証書遺言を作るというのは、想像以上に体力も、気力も必要となる。年齢を重ねるほどに、簡単なことではなくなる。
それなりの資産があるなら、公証人の方に自宅に来ていただく方法をとってでも、手続きを整えたと思うが、私の親に関しては、そこまでする必要はないと判断した。
それなら、なぜ、私が、親の遺言書を整えることに、こだわったのか?
まずは、相続についても、親の意思を明確にして、その意思を尊重したいと思ったからだ。
実際、遺言書を書こうとすると、自分の中でもうやむやになっている気持ちが浮き彫りになったりする。遺言書を書く前に、片付けるべきことがあるのに気づくことができる。
親のケースでいえば、実家じまいをした家は、相続するよりも、手放すべき、というのが、父が時間をかけて出した結論だった。
そして、家族の間でも、なんとなく、家は長男が継ぐものだよね、というような、ふわっとした雰囲気が、どこの家にもあると思う。が、家に限らず、親のものを引き継ぐ、ということは、それを維持するための手間やコストも引き受ける、ということだ。
家でも、土地でも、なにかを相続するなら、その後、自分がしなければならないことを、明らかにしておくべきだと思う。
固定資産税がかかる、家の場合は火災保険や光熱費が発生するケースも多い。放っておけば草ぼうぼうになってしまうので、自分で維持管理をするか、それを誰かに頼むなら、費用もかかる。
それでも、相続するの?責任もって管理していけるんだよね?という話を、家族で確認するプロセスこそが、最も大事なことだと思う。
その過程で、誰もが相続したくない、というものもでてくるかもしれない。であれば、その処分は誰が?どうやってするのか?費用がかかる場合、どこから費用を捻出するのか?頭の痛い話が噴出してくるケースも多い。
相続が、お金持ちだけの問題ではない、という理由がここにある。
どんなひとでも、生きていれば、その人生で積み上げてきたものがある。当然のことながら、死ぬとき、ひとは、なにも持っていくことはできない。身ひとつで旅立つしかないのだ。お金持ちでも、借金があるひとでも、まったく同じ条件になる。残されるものをどうするのか?決めておく必要がある。
親の遺言書については、遺言書を書いておこう、という話がでてから、結局、自筆遺言書が完成するまでに、数年かかった。それはまさに、老後の暮らしを整えるプロセスそのものだった。
我が家の場合、私ががっつりサポートしたことで、このプロセスは、親にとっては、ドラスティックで、しんどいものだったろう。一方で、私にとっては、ていねいな、ぜいたくな(実際の作業は地獄なことばかりだったけど)やりかただった、と思っている。
結果的に、父も母も、自分の人生を、じっくり見つめ直すことができたと思う。
我が家は、60代の夫と50代の私、夫婦ふたりの家族だけれど、夫も私も自筆遺言書は完成している。必要に応じて、状況に応じて、内容も更新(修正)している。(私は毎年お正月にやっている、残高確認を含めた銀行口座やクレジットカードなどの棚卸と、自筆遺言書の更新が、連携した作業となっている。)
いよいよこれが最終版だな、と思ったら、公正証書遺言にするつもりだ。
もうしばらくは、自筆遺言書を、状況に応じて、その内容を更新しながら、人生を走り抜けていこうと思っている。
