生命保険、医療保険について、健康な私だから考えること | 家計管理のきほん
家計管理のきほん、というシリーズを始めた当初から、保険の話はきちんとまとめたいと思い、下書きの書き直しをなんどもなんども繰り返している。
保険の話がどんなふうに着地するか(はたして、着地できるのか?)、まだ試行錯誤の途中ではあるものの、
保険に対する私自身の基本的な考え方は、
「保険に頼らないで済むような人生設計、家計管理をする」
である。
若い頃は、流されるままに貯蓄型の生命保険に入り、フリーランスになった時点で掛け捨て型に切り替え、数年前、生命保険自体を解約した。医療保険には入ったことがない。
数年前から乳がんの経過観察で、毎年専門医による検診を受けている。自分ががんになったとしても、青天の霹靂、とはならない。なんなら、自分が長生きした場合、がんにならないわけがない、とすら思っている。
それでも医療保険が必要と思わないのは、保険診療の範囲内での治療で十分、と思っているからだ。お金が足りないから受けられない、という治療があってもいい、とさえ思っている。
私の親を含めて、延命治療はしたくない、というひとは多い。けれど、常に病院通いを最優先し、あたかもサラリーマンが通勤するかのように、律儀に通院を続ける高齢者が、どんなに多いことか。
健康に問題が出てきたとき、どこまで治療するか?という歯止めを、私は、治療費を払えるかどうか、にしてもいいんじゃないか、と思っている。
私自身、今まで健康で、大きな病気をしたことがないからの考えだ、ということは、自覚している。今後、年齢を重ね、不調が増えてきたとき、今と同じ考えでいられるかどうかは、正直わからない。
特に深刻な病気があるわけでもないのに、常に、なによりも通院を最優先する、父に対する反感も影響していると思う。
手厚い保険に入り、病気になったときの安心を得る、というのも、尊重されるべき価値観だと思う。一方で、私自身は、自分が深刻な病気になったとき、場合によっては治療を諦める、という権利?を行使したい、という思いもある。
「私が病気になって、治療をしない、諦めるっていいだしても、がんばらなきゃだめ、諦めちゃだめっていわないでね」
家族や親しい友人に対して、折に触れて、自分の考えが正しく伝わるよう、ていねいに説明している。最初はみなぎょっとするけれど、よくよく話すうちに、私の意向として、理解を示してくれる。
私にはこどもがいない、孫もいない。未来に希望がないわけでもないけれど、どうしても見届けたい、ということもない。しんどい治療を耐えて、がんばって生き続けるモチベーションが、私には見当たらないのだ。(自分として納得できる治療によって、元気になれるなら、もちろん治療を受けて、その後も元気に生きていきたい。)
祖母、祖父、義母、義父を、身近で見送り、今、高齢の父と母のサポートをしているなか、共通して感じているのは、80代、90代と年齢を重ねるごとに、ただ生きていくことだけでたいへんになる、ということだ。
がんばって病気に打ち勝ったとしても、長寿として生きていくのがまたたいへんって、ハードモードすぎる。それなら、私は、病気を理由にがんばるのを諦める、という選択肢もあっていいんじゃないか、と思う。
自分にとって、保険が必要か?どんな保険が必要か?を考えるとき、どう生きたいか?を、最初の問いにしてもいいのでは、と思う。
ちなみに、生命保険を解約したのは、自分なりによくよく考えた上で、私が亡くなったとき、保険金がなくても困らない、と思ったからだ。なんなら、保険金の手続きが誰かの手間を増やしてしまう、と思った。
去年、夫が手術を受けることになり(病気も深刻なものではなく、手術も比較的安全なものであったのだが)、万が一のことを考え、あれこれかなり具体的な話をした。彼の希望を確認しながら、私自身の考えもまとめた。
今まで経験してきた、数々の葬儀にまつわる各種イベントで感じてきたこと、本を読んだり、ネットで調べたことなど、何年もかけて考え続けてきた結果、現時点での私は、お葬式はなしで、ゼロ葬といわれる、火葬した後に骨を持ち帰らないスタイルがいい、と思っている。
生きている今、基本的にイベントごとは苦手なので、亡くなった後も、省略できるものは省略したい、と思っている。
お墓参りは割と好きで、親族の中でも頻繁にお墓に行っているほうだが、自分のお墓については興味がない。それなら散骨か、と思っていたが、親しい方のご主人が亡くなり、海での散骨をされ、そのお話を聞いたところ、天気にも左右されたりと、なかなかたいへんなイベントのようだった。散骨もしない方法は?と調べてみたら、ゼロ葬という方法を見つけ、これだ、と思った。
このくらい具体的なイメージができてくると、その費用も見積もることができる。亡くなった後の諸々の処分にかかる費用とあわせた分を、責任をもって対応してくれるひと(親族でなくても、仕事として請けおってくれるサービスもあるらしい)に託しておけばいい。このパターンなら、保険金のでる幕がない。
ということで、掛け捨て型で月2000円ほどの生命保険も解約した。毎月2000円を、今、生きているうちに、好きに使いたい。
同級生と集まったときに、ゼロ葬の話をしたら、
「お墓があるひとと、お墓がないひとで、あの世で同じなわけがない気がする」
という。確かに、そんな気もしなくはない。
彼女は自宅の近くにお墓を買い(私の実家からも近く、よく知っている場所だ)、今は健在のご両親もいずれはそこに入り、彼女もそこに入るつもりという。
彼女とは小学生時代からの友達なので、彼女のご両親もよく知っていて、今なお、会えば、私のことも娘のように接してくれる。
なので、私がゼロ葬で、あの世にいき、もしホームレス状態で困ったら、彼女のところにいこうと思ってる。嫌がるかな、と思いながら、彼女に伝えてみたところ、
「しょうがないな。そのときは遠慮せずにおいでよ。」
と、太っ腹な回答をもらえた。
持つべきものは、友だね。やっぱり。
