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捨てるとき、人はいったい何を捨てているのか

誰の家にも「まだ使える」と言い続けているものが、ひとつはあると思う。

私にも、ある。

こんにちは。たかっちです。

今日は、その「まだ使える」の話をしたい。

、、、先に言っておく。

これは、パンツの話である。

タイトルは、あんなに真面目だったのに。

そう思った人。

その気持ち、私にもよくわかる。

でも、最後まで読むとたぶんちょっとだけ、人生の話にもなっている。

、、、、なっていてほしい。


捨てるまでの、長い長い道のり


パンツというのは、なかなか捨てられない。

新品のときは、当然捨てない。

少し履き古しても捨てない。

ゴムが少し伸びても、こう言う。

「まあ、まだいける」

さらに伸びても、こう言う。

「家で履く分には、問題ない」

生地が薄くなっても、こう言う。

「どうせ、誰に見せるわけでもないし」

そして、ついに、最終形態にたどり着く。

「、、、これは、もう、パンツなのか?」

哲学である。

くたびれたパンツを前に、人は哲学者になる。

そこまで来て、ようやく捨てる。


「使える」と「使いたい」は、違う


冷静に考えてほしい。

パンツなんて、数百円で買える。

誰かに形見分けするものでもない。

「このパンツには、亡き祖父との思い出が、、、」

なんて話は、少なくとも私は聞いたことがない。

なのに、捨てにくい。

なぜか。

たぶん、「まだ使える」と思っているからだ。

でも、ここでおかしなことに気づく。

「使える」と「使いたい」は違う。

私は、その伸びきったパンツを別に使いたいわけではない。

ただ「使える」から、捨てられないだけなのだ。

、、、、これ、パンツだけの話だろうか。


それは、パンツに限らない


着なくなった服。
古いスマホ。
読まない本。
昔の資料。

そして、人間関係。

「まだ使える」
「まだ付き合える」
「まだ、やれる」
「まだ、大丈夫」

こういう言葉は、一見前向きだ。

でも、ときどき「もう役目を終えたものを、手放せない理由」に、こっそり化ける。

パンツの場合は、ゴムが伸びるだけで済む。

人生の場合は、もう少しややこしい。


いちばん捨てにくいのは「昔の自分」だった


ここで、もう一段だけ、深く潜ってみる。

古いパンツを捨てられないのは、「もったいない」からだと思っていた。

でも、たぶん違う。

本当は、こう思っていたいのだ。

「まだ使える」と。

、、、パンツではなく、自分の話である。

まだ、やれる。
まだ、若い。
まだ、必要とされている。
まだ、大丈夫。

この「まだ」は、人間にとってかなり強い言葉だ。

だから、くたびれたパンツを捨てるとき、私はほんの少しだけ、「これは、もう十分、使ったな」と思う。

そしてその瞬間、こうも思っている。

「自分も、そろそろ変わっていいのかもな」

、、、パンツを片手に、いったい何を考えているのだ、この男は。


手放せないのは、あなたのせいではない


「拡張自己」という考え方がある。

人は、長く使ったものを、だんだん「自分の一部」だと感じるようになる、というものだ。

財布も、スマホも履き慣れたパンツも。

気づけば「ただのモノ」ではなく「自分の延長」になっている。

だから、それを捨てるとき、私たちはただ布を一枚手放しているのではなく、

「自分の一部」を、少しだけ手放している気がする。

、、、たかがパンツで、大げさな。

そう思うだろうか。

でも、脳は案外、本気でそう感じているらしい。

だから、あなたが捨てられないのも意志が弱いからとは限らない。

そういう心理が、少しくらい関係しているのかもしれない。

、、、、と、心理学のせいにしておく。

そのほうが、気がラクだからだ。


パンツにも、引退のときが来る


ある日、そのときは来る。

ゴムが、完全に伸びる。

生地が、薄くなる。

穴が、あく。

私は、パンツを手に取る。

一瞬だけ、見る。

さようなら。
ありがとう。
もう、二度と会うことはない。

そして、ゴミ袋へ。

その瞬間、少しだけ寂しい。

でも、次の瞬間には、私はもう新しいパンツを履いている。

ゴムが、しっかりしている。
生地も、厚い。
フィット感も、いい。

気持ちがいい。

さっきまで、あんなに寂しがっていたのに。

人間なんて、案外そんなものである。


で、本当にそこまで考えているのか


ここまで、真面目に書いてきて最後にひとつだけ白状したい。

私は、パンツを捨てるとき、本当にそこまで考えているのだろうか。

考えていない。

たぶん、一秒も考えていない。

「あー、これ、もうダメだな」

ゴミ袋に、ぽい。

それだけである。

でも。

そんな、なんでもない瞬間にも私たちはきっと、ほんの少しだけ、昔の自分を片づけている。

古い考え方。
古い習慣。
「まだいける」という思い込み。

「まだ使えるから」という理由だけで、ずっと持ち続けなくてもいい。

「もう、十分使ったよ。ありがとう」

そういう終わり方も、あっていい。

、、、、という話を、パンツを捨てながらあとで考えました。

#なんのはなしですか


P.S.古いパンツをゴミ袋に入れていたら、娘がのぞきに来た。

「パパ、なにしてるの?」

「いらないパンツ、捨ててるねん」

娘は、しばらくパンツをじっと見て、こう言った。

「、、、かわいそう」

パンツに、同情する娘。

私が書いてきた数百本の記事の中で、いちばん優しい感想が、まさかのパンツへの弔いだった。


そのあと、妻が通りかかって、ゴミ袋を見て、ひとこと。

「え、それ、まだ捨ててなかったん?」

、、、はい。

まだ、捨てていませんでした。

これが、「まだ使える」の正体である。


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