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コラボは打ち出の小槌ではない(前編)——ちいかわコラボ騒動と、お札を刷るコスト

くら寿司の「ちいかわ」コラボが、開始から半月あまりで中止になった。ビッくらポンの限定フィギュア、湯呑みや皿のプレゼント、コラボメニュー、この先に控えていた第3弾の皿まで、施策がまとめて取り下げられた。理由は、従業員による景品の不正な持ち出しと転売が確認されたこと。開始直後から「フィギュアが一つも当たらない」という客の声が続く一方で、フリマアプリには景品のコンプリートセットが大量に並び、配布前の湯呑みや非売品の販促のぼりまで出品されていた、という経緯である。

不正そのものは論外だ。ただ、この一件は、人気キャラとのコラボというビジネスが最初から抱えていたコストを、見える形にしたものだとも言える。

■キャラを印刷した皿が、お札に化ける

人気作のキャラクターを印刷した皿や湯呑みは、原価とはかけ離れた吸引力を持つ。それ自体を売って儲けるだけでなく、「これが欲しいなら店に来て食べてください」という来店の動機にもなる。企業から見れば、紙にインクを刷ったものがお札として通用するような、強い旨味がそこにある。

だが、貨幣がまさにそうであるように、「刷れば価値になる」ものには、刷ったものを守るコストが必ずついてくる。紙幣には透かしが入り、特殊なインクが使われ、ホログラムが貼られている。偽造や横流しを割に合わなくするための仕掛けだ。刷る旨味と、刷ったものを管理するコストは、はじめからセットになっている。

コラボグッズも同じ構造を持つ。原価と価値の差が大きいほど、その差を狙って抜き取る動機も大きくなる。旨味だけを取り出して、管理のコストから目をそらすことはできない。

■なぜ通販ではなく、店で配るのか

ここで一度、素朴に考えてみる。くら寿司が公式サイトでコラボ皿を通販すればいいのではないか。そうすれば全国の店舗を巻き込まずに済む。

しかしそれでは、コラボの旨味の大半が消える。通販は店舗への集客と切り離されていて、それなら版元が自前でグッズを出すのと大きくは変わらない。この「なぜ版元ではなく、その企業から買うのか」という問いは、それ自体で一本の記事になるので、稿を改める。

コラボの旨味は、キャラの人気を「その店に足を運ぶ動機」へと変換するところにある。寿司を食べるという体験と、グッズの獲得をセットにして初めて成立する仕組みだ。そしてそのセット化は、全国の店舗、数万人規模の従業員、通常とは異なるオペレーションを巻き込む。景品を配る窓口が、全国に分散することになる。

■分散した窓口は、不正も分散させる

配布の窓口が全国の末端に散らばると、そのすべてで通常と違う業務が発生する。景品の在庫管理、抽選の運用、増えた客への対応。今回のコラボでも、現場が負荷を感じ、客層が変わったという声が出ていた。

そこに、「一人で少し抜き取れば割に合う」構造が生まれる。以前、コンビニ店員が発売前のカードをフリマアプリに流した件を題材に、メーカーから末端の店員まで関係者が膨大な小売網では、一人ひとりの忠誠心に不正防止を期待するのは無理がある、と書いた。同じ理屈がここでも働く。

関連記事(「注意喚起を徹底」で不正は止まるのか)

決定的だったのは、フリマアプリという換金経路の存在だ。昔なら、店員が知り合いのファンに景品を少し融通しても、局所的な出来事で終わっていた。ところがメルカリのような場が整うと、横流しがそのまま金額に直結する。規模が跳ね上がり、出品という形で外からも見えるようになる。原価と市場価格のあいだにわずかでも差があれば、そこへ供給が殺到する。金融の世界で、わずかな価格差があれば資金がそこに集中するのと同じ動きだ。

■旨味とコストは、はじめからセットだった

コラボの企画書には、来店がどれだけ伸びるか、話題がどれだけ広がるかの試算が並ぶ。だが「刷ったお札を守るコスト」——配る窓口がいくつあるか、一人で抜き取ったときにいくら儲かってしまうか、それがどれだけ発覚しにくいか——が、同じ精度で見積もられていたかは怪しい。

集客の旨味を取るなら、それを全国の窓口で配るための管理コストが、必ずついてくる。次回は、そのコストを十分に払わなかったとき何が起きるのかを、今回の中止から読んでみたい。


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