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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第7回 バルカン後篇〜ドゥヴロブニク、コトルから再びザクレブへ(7)

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(7)海に岩や石を落として築いた島を支えに生きる漁師

翌朝、ネボが届けてくれていた新鮮卵を目玉焼きにしてポーチで食べながら、ボートなら足を気にせず楽しめるのでは、という彼の助言に従い、コトル湾に浮かぶ “岩礁の聖母教会” に船で渡るミニツアーへの参加を決める。

旧市街の船着場から約30分。湾に浮かぶ小さな人工島で、15世紀に漁師がこの岩礁で聖母マリアのイコン(モザイク画)を見つけたことを機に、航海の無事を祈る地元漁師たちが何世代にも渡って海中に岩を積み上げて作ってきたそう。
今なお毎年7月22日のファシナダという伝統行事の日には、漁師が船で岩を運んで海に沈め、島を補強する習慣が続いている。海で働く自分を何があろうと同じ海から守ってくれる島を支えに生きる漁師や船乗りがつくづく羨ましかった。

サッカーコート半分ほどの島の全周をゆっくり歩き、バロック様式の教会内部を見学する間に四方の海からヒタヒタと海霧が迫り、島はたちまちアンゲロプロスの映画「霧の中の風景」さながらの光景に。なんてドラマチックだろう。自分には詩も絵も描けないことがもどかしかった。

帰路、船着場から乗ったバスを降り、貸し部屋に続く道の途中にある小さな墓地に初めて気づいた。これまでの会話から、一家は彼の祖父母の代からこの土地に住み、湾の対岸に移り住んだ(疎開した?)旧ユーゴ紛争中のあと、戦後再びこの地区に戻ったというネボのファミリーヒストリーを思い出した。
彼もまたこの地で先祖と同じように人生をまっとうし、最後は素晴らしい湾を見下ろすこの墓地で、朝に夕に往来する外国船の汽笛を聴きながら眠るのかな。素朴で堅実で地に足のついた人生。それとは真逆なわが人生の根なし草っぷりに意識の光が当たったけれど、それはそれ。望まず与えられたこの人生を自分なりに精一杯味わって生きるしかないんだ。

部屋に近づくと、向こうから歩いてくるネボとバッタリ。足の調子を訊いてくれ、あとで**を届けるよ、という。**が聞き取れないまま、部屋に戻ってしばらくするとネボがやってきて、よかったら、と今夜一家が食べるムサカというバルカン半島の伝統料理を差し入れてくれた。感謝と申し訳なさでまたもオロオロしてしまう。繰り返すけど、旅の長い歳月の中でこれほどの親切と心配りを恵んでもらったのは初めてだったから。

この直後に海霧がひたひたと押し寄せ
『霧の中の風景』さながらの荘厳さをまとわせた岩礁の聖母教会島
岩礁の聖母教会内部。
バロック様式の祭壇中央に置かれたイコンが島の伝説の起源になった聖母子像
貸し部屋のある集落入り口の墓地。木々の間からコトル湾が見える


一家がお裾分けしてくれた手作りのひき肉料理ムサカ。
未知の香辛料が利いたエスニックなハンバーグふう。
美味しさとありがたさに泣く


バルカン後篇(8)へつづく

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