H20|日本はまだ江戸時代を終えていない――仏教問題は現在進行形である
ここまで、現代日本の仏教がなぜ「死」しか扱えなくなったのかを、僧侶の堕落や信者離れといった表層ではなく、歴史構造として追ってきた。聖徳太子期の導入が国家統合の技術として始まり、奈良・平安で鎮護国家の装置となり、中世で思想として再起しながら政治化の危険性を帯び、江戸で宗教統制と朱子学的秩序の中に封じ込められ、寺請制度によって管理機関化し、機能限定が固定され、葬式仏教として完成し、明治で破壊され格下げされ)、戦後は自由化されながら私事化によって無力化され、統制OSだけが空気として温存され、改革不能構造が成立し、その結果として倫理はあるが覚醒がない社会病理が強まった。この流れが示しているのは、仏教の衰退は宗教内部の問題ではなく、社会設計の問題だという一点である。
終章では、この連載の結論を明確にする。
日本はまだ江戸時代を終えていない。
もちろん、幕府が存在するという意味ではない。終えていないのは、制度ではなく統治の深層構造である。役割固定、上下関係、同調圧力、逸脱忌避、責任の拡散、空気支配。これらは朱子学的秩序の運用体系として江戸期に整備され、戦後に思想としての名を失いながら、習慣として強化されて残った。占領政策が解体したのは国家神道という「見える装置」だったが、江戸以来の統制OSは目に見えないがゆえに解体されず、むしろ“常識”として温存された。この未清算性こそが、現代仏教の無力化と直結している。
ここで改めて確認したい。仏教が「死」しか扱えないのは、仏教が死を好んだからではない。社会が仏教を死の領域に配置したからだ。江戸期、仏教の悟りは秩序破壊の可能性として警戒され、思想としての発言力を奪われ、寺請制度を通じて管理機関へと転換された。仏教は排除されず、利用された。利用のされ方が、思想ではなく管理と儀礼だった。そしてこの配置は、明治で一度壊されながらも、再構築される際に仏教が公的思想の座へ戻ることは許されず、戦後には宗教が私事化されることで、仏教はさらに公共言語を失った。ここまで来ると、仏教が生を語る回路が育つ条件はほとんど残らない。
この結論は、仏教擁護でも仏教否定でもない。むしろ、仏教をめぐる議論がいつも空回りする理由を示している。僧侶を叩いても構造は変わらない。寺を改革しろと言っても、改革不能構造がある。信仰心を取り戻せと言っても、社会が宗教の言葉を公共言語として扱わない。問題は「意志」ではなく「配置」なのだ。
では、どうすればよいのか。ここで安易な処方箋を出すつもりはない。だが少なくとも、出発点として必要なことがある。それは、仏教を「葬式サービス業」としてのみ理解する思考停止をやめることだ。葬式仏教は堕落ではなく、国家管理としての完成であった。完成した制度は、人の善意では崩れない。崩すには、制度の背後にある統制OSを見抜き、問い直し、更新する必要がある。宗教の問題に見えるものが、実は統治構造の問題であると認識すること。ここが第一歩になる。
そしてもう一つ。仏教が生を語れない社会は、倫理はあっても覚醒が育ちにくい。正しさはあるが責任がない。秩序はあるが主体が弱い。空気はあるが決断がない。この病理を、宗教の側の問題として切り捨てるのではなく、社会の側の問題として引き受ける必要がある。仏教が語れないのなら、語れない社会が何を恐れているのかを問うべきだ。問いを嫌う空気そのものが、現代の根である可能性が高い。
結局、本連載が言いたかったことはこういうことだ。
仏教は「死」しか扱えなくなったのではない。
扱えるはずの「生」を、社会が扱わせなくなった。
その原因は、江戸期に完成した統制OS(=朱子学)の温存にある。
だからこの問題は過去ではなく、現在進行形である。
日本はまだ江戸時代を終えていない。
終えていない以上、仏教もまた、江戸時代の配置の中で生き続ける。
この配置を変えない限り、仏教が生を語る日常は戻らない。
そして、覚醒のない倫理社会もまた続いていく。
この連載が、仏教のためではなく、現代社会を理解するための一つの地図になれば十分である。
