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SPIのロールプレイイングゲームに未来はあったのか?


SPIのTRPG前史

ウォーゲーム出版社”SPI”

SPIは、そもそもジェームズ・ダニガンがシミュレーションウォーゲームを出版するために立ち上げた会社であり、その10年の社史において出版したゲームはすべてウォーゲームであると言っても過言ではない。これが、総合ゲームメーカーを目指した(がなれなかった)アバロンヒルと比較して顕著な違いである。

じゃあ、ヒトラー暗殺は?スクリムメージは?シカゴ暴動のゲームは?とマニアには突っ込まれるかもしれないが、これらの一見戦争・戦闘とは無縁なテーマであっても、その中には必ずウォーゲームの血が息づいている。ゲームとは戦いを模倣することであり、勝敗を決するべきものであると。その点で、勝ち負けよりもプレイの時間や感覚を楽しむTRPGと、SPIは水と油だった。

ファンタージーすらウォーゲームにしたSPI

その最も顕著な例が、「指輪物語」を完全なウォーゲームにしてしまった”War of the Ring (1977)”である。トールキン財団から正式なライセンスを受けたSPIが製作したこのゲームは、別の2作品と共に「中つ国3部作」を構成しその中核をなすゲームである。指輪探索をメインとしたキャラクターゲームと、自由の民とサウロン陣営が戦うキャンペーンゲームとに分かれたウォーゲームで、後者では双方を同時進行的に行っていく。当時からバランスの悪さは指摘されつつも、指輪物語の世界を実に深くシミュレートした点で大いに好評を得たが、同時にこの最もTRPG向きの作品をウォーゲームにしてしまったSPIに対する批判もあった。SPIもアバロンヒル同様、TRPGのブームを単なるファンタジーゲームの流行だと思っていたのかも知れない。

TRPGへの明確な対抗

SPIはその後、”War of the Ring”の二匹目のドジョウと、D&Dへのあからさまな対抗心により、1978年に"Swords & Sorcery"を完成させた(タイトルもS&Sと略されることを狙っていたのかも知れない)。このゲームの世界観は、同ゲームをデザインしたグレッグ・コスティキャンが当時ハマっていたという、”Slobbovia”というメール外交ゲームから多くを採っており、三つの太陽の動きで魔力ポイントが変動するといった、当時としてはかなりしっかりしたファンタージ背景設定を持つゲームであった(但し多くのパロディやギャグ=お遊びが含まれている。悪の巣窟であるアバロンの丘(Hill of Avalon)だとか、ダンジョンの奥に潜むドラゴンの王ガイギャックス(Gygax the Dragon Lord)だとか)

ゲームは”War of the Ring”と同様に「アーミーゲーム」と「クエストゲーム」に分かれ、アーミーゲームは純粋なウォーゲーム(ZOC、CRT、スタックといったルールと複数の状況設定シナリオを持つ)であり、クエストゲームがRPGであると喧伝されたが、実際にはRPGではない。最大24人が1人1キャラクターを操り、宝物を狙う側と守る側に分かれて戦うゲームであった(ゆえにゲームマスターも必要ない)。

このように現在の目で見れば中途半端な出来なのだが(さらにシナリオのバランスは例のごとく悪く、一部はユニットが足りずプレイできないシナリオすらあった)、同年のSPIゲームの売上トップとなるぐらい人気を博したが、それはあくまでファンタジーウォーゲームとしての評価であり、TRPGのユーザーを取り込むまたは取り戻すものではなかった。

遂に本格TRPGに乗り出す

Commando(1979)

このように、頑なにウォーゲームのスタイルを崩さなかったSPIであるが、さすがにそうも言ってられなくなったらしい。翌1979年より、SPIは遂にTRPGのスタイルをもったゲームを発売し始めた。まず最初に発売したのが、”Commando”であり、SPIが最も得意な戦術シミュレーションをTRPG化したもので、このテーマでは初のTRPGであった。

このゲームのルールもやはり2段階に分かれ、「ヒストリカル」という兵士1人が1ユニットのウォーゲームルール(ただしこのゲームにユニットは付属していない。マップは12種類も付属している)と、ゲームマスターを前提とした「ロールプレイイングルール」が付属していた。

だが、後者におけるゲームマスターの役目は、敵の隠蔽行動の操作が主で、戦闘ルールはウォーゲームルールに従うため自由度は著しく低い。プレイヤー側も本人以外にバトルチームのメンバーも操る(すなわちNPCをプレイヤー側がコンロールする)という不可解さで、一応キャラクタ作成ルールと成長ルールがありTRPGっぽく見せているが、TRPGゲーマーからは当時「これはRPGではない」「RPGだと言って売ろうとした宣伝的作品」などという散々な評価だったようだ(逆にウォーゲーマーからの評価は低くない。BGGとRPGeekの両方に項目があったりする)。実際その後のフォローもほとんど行われなかった。

DragonQuest (1980)

そして、ようやく出た本格的TRPGがこの”DragonQuest”である。エリック・ゴールドバーグなどSPIの主力デザイナーを結集して作り上げたこのRPGは、実際の神話や伝説から世界観を取り、スキルベースに基づくキャラクターメイク、複数の魔法大学による体系的な魔法などによって、従来のクラス制では実現できなかった魔法騎士のようなキャラクターも作り出すことも出来た。

だが、このゲームは当時「ルールとアドバイスのついたミニチュアウォーゲーム」と言われ、批判的な声が多かった(高梨俊一氏もタクテクス3号で指摘している)。精緻なルールを追求し続けた結果、他のRPGではゲームマスターの裁量に任されるような内容までも制限され、出来る出来ないがはっきりと示される。そのようなプレイスタイルはその時代のTRPGになじんだユーザーには受け入れ難かった。最も大きな問題は、特に初版にあった接近戦闘システムで、ヘクスベースの膨大なルール故、1回の遭遇だけで数時間を費やすことになったという。なお、この戦闘ルールは第二版では緩和され、代わりに初版の戦闘ルールだけ切り出した純粋なウォーゲーム(Arena of Death(1980))が出版されている。

SPIは、”DragonQuest”に対しては、新たに出版し始めた雑誌”Ares”を始めとして複数のサプリメントやシナリオを提供し旺盛なサポートを続けたが、同社の財政悪化とともに第二版はバンタムブックスからソフトカバー本として出版され、TSRに版権を買われてからは同社からも一応再販されて、散発的なサポートがなされたもののフェードアウトしてしまった。

にちなみに、日本のエニックスがドラクエを米国で発売しようとしたさいに、タイトルを”Dragon Warrier”と変更せざるを得なかった原因がこのゲームである。

Universe (1981)

そして、次に発売されたのがこのSF TRPG、”Universe”である。共同デザイナーであるジェリー・クルーグは「このゲームは(”Traveller (1977)”の)不適切で非論理的なルールを全て修正した」と豪語し、地球を中心とした半径20光年の詳細な星図が提供され、非科学的な異星人は設定されず、植民惑星は地球の文化をそのまま引きずっている。また、GMが意図しないプレイヤーの行動によって星系やNPCを作成しなければならない際に、ほんの数分で設定できるシステムを設けるなどプレイアビリティを高める努力もなされている(トラベラーでは複雑で時間のかかる手順を踏む必要があるため、大量のキャラクターだけを網羅したサプリメントすら発売されていた)。

しかし、相変わらずと言うべきか宇宙船戦闘はウォーゲームライクに精緻なものであり、プレイの流れを阻害するものであった。ゆえにこの宇宙戦闘ルールも独立して別売された(DeltaVee (1981)

とはいえ、総じて”DragonQuest”ほどに先鋭化しておらずプレイアブルであったため、後の展開も期待されていたのだが、この時既にSPIは破綻寸前でありサポートを継続する余力はなかった。第2版はやはり他社から出版され、版権買収後のTSRは、同社が元々発売していた”Star Frontiers (1980)”と競合するため”Universe”からは完全に手を引いてしまった。

Dallas: The Television Role-Playing Game(1980)

そして最後に紹介するのが、SPIを破綻に追い込んだという因縁の”Dallas”である。これについては、次回詳説するが、個人的には、これをTRPGと呼んでいいのかいささか疑問を持っている。メロドラマを再現するのに、勝利条件がありプレイヤー同士が争うロールプレイイングゲームってどうよ?というのは原理主義的すぎるだろうか?

とにかく、このテレビドラマのゲーム化ですら、戦いにしてしまうSPIの首尾一貫性には恐れ入る。なお、このゲームは売れ行きも悪く評価も散々で、その後のフォローもほぼ行われていない。

もしもSPIが破綻しなかったら?

SPIはTRPGの本質を分かっていたのか?

1974年のD&D発売後しばらくは、SPIはアバロンヒルと同様に、TRPGの本質と、その潜在的なポテンシャルを理解しておらず、無視するか、単なるファンタジーゲームの流行だと思っていたようだ。

TRPGは、ゲームと名がついているものの本質的に競争の概念はなく、ゲームマスターや他のプレイヤーと協力して世界観を形成していく「ゴッコ遊び」である(もちろんこれは遊び方のバリエーションの一つであり、そうでない遊び方も出来ることは認めるが、その柔軟性こそがTRPGの本質である)。

であるから、"Commando”や”Dallas”といった「勝利条件のあるRPG」を80年になっても出してきた時点で、SPIのTRPGへの理解は及んでいなかったように思う(ちなみに後者のデザインはダニガン大先生である)。

「SPIシステム」とTRPG

とはいえ、その後に発売した”DragonQuest””Universe”は、立派にTRPGへと変貌していた。また、当時複雑すぎると批判された戦闘ルールも、現代の目で見ればそれほどでもなく(もう少しルールの整理は必要だったと思われるが)、むしろ他作品との差別化要素として”SPIらしさ”を醸し出したと言えるものであったし、キャラ設定ルールや魔法ルール、世界背景もオリジナリティに溢れていた。確かに、まだまだ改良すべき点はあったが、これは初期のD&DやT&Tでも同様である。

SPIは、雑誌”Strategy & Tactics”など、自社媒体を用いた独特のフィードバックシステムにより、ユーザーの意見やアイデアを積極的にゲーム改変や新作ゲームに取り入れていた。TRPGにおいても、”Ares”という雑誌を1980年に発刊し同様の体制を構築しようとしていた。であるから、もしSPIが財務的に破綻しなければ、もっと素晴らしいゲームに変化を遂げたかもしれない。

TSR社がSPIのロールプレイイングゲームを潰した?

こちらで述べた通り、TSR社はSPIのゲームライセンスを手に入れたいために奇妙なファイナンススキームでSPIを解散に追い込んだ。これは、将来ライバルとなる可能性のある”DragonQuest”と”Universe”の芽を摘んでおきたいという思惑によるものだったという話が、海外の掲示板で見られる。

だが、それは事実ではない、TSRが欲しかったのは主にウォーゲームであるが、TRPGも残したかったはずである。実際”DragonQuest”については散発的にサポートを行っているし、AD&Dとのコンバーターモジュールも発表している。

それよりも、デザイナーの散逸のほうが影響は大きかった。TRPGは他のゲームよりもずっと作家性が強いため、開発陣の維持は急務であったが、TSRはSPIの開発チームをほぼ再雇用しなかった。彼らは(コスティキャンのように)独立するか、アバロンヒル傘下のビクトリーゲームズに移り、ゆえにサポートを継続したくても、できなくなったのである。

もしSPIが破綻しなかったら?

SPIが行っていたユーザーコミュニケーション手法は、インターネットのない時代としては画期的だった。それは、ゲームの不具合(ルールの矛盾やミス、曖昧さ)の修正だけなく、新しいルールのアイデアの募集にまで及び、これらは翌号以後確実ににフィードバックされたためユーザーはあたかも自分たちもSPIの開発チームに参加しているような気にさせるものだった。さらに、ダニガンが署名記事で出す新ゲームのテーマには投票が促され、高い得票があったものが優先的に開発に廻されるなどした。

そういったインタラクティブなコミュニケーションが、SPIのファンをつなぎ止め、品質を向上させる原動力となっていた。これはユーザーを消費者としか認識していなかったアバロンヒルとは決定的に異なるものだった(最初期の”General”は違ったようだが…)。

そしてこれは、TRPGでも十分に機能したと思う。いやむしろ、TRPGでこそ真価を発揮するシステムだったのではないかと思われる。実際、TSRの発刊していた"Dragon (magazine)"は、明らかにS&Tの模倣でありユーザーの開拓と囲い込みに成功していた。そう考えると、SPIなら"Ares"を使ってもっとうまくやってのけた、と考えるのは甘い目論みだろうか?

もしSPIが破綻していなければ、いやもうあと数年持ちこたえていれば、SPIはTRPGの分野で全く新しいゲーム文化、ウォーゲームとTRPGを完全に融合させたゲームを、何十年も早く開花させていたかもしれない。

次回はくだんの「ダラス」。多分日本で最初のダラスレビューだと思います。その恐ろしい全貌が明らかに!


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