日本最初のコンピュータRPGは何か② <1982年のRPG>
さらに前回の続き。1982年に発売されたゲームの中で、果たしてロールプレイングゲームと言えるものがあったのか検証します。
国産PCでRPGをプレイしたい!
前回述べた通り、日本では1982年後半に至るまで、ごく少数のイノベンターを除くとコンピュータRPGについて知る機会はなかった。米国でコンピュータRPGがヒットし1年以上にわたり売り上げランク上位にいても、である。
しかし、この時代(1982年)においても、コンピュータRPGに触れ、またはその情報を入手し、まだ黎明期だった日本のパソコンで動作させようとする動きが確かにあった。
1982年のロールプレイイングゲーム?
現在、1982年に作られ流通したゲームソフトの中で、ロールプレイングゲームだと言われているソフトは以下の4作品である。
「地底探検」光栄マイコンシステム:6-7月
「ドラゴン&プリンセス」光栄マイコンシステム:10-11月
「ドラゴンレア」普賢電子:11月
「スパイ大作戦」ポニーキャニオン:12月
これらはいずれも、近年の文献によりRPGだと(又はRPGではないかと)言われているものである(必ずしも当時そう呼ばれていた、又はメーカーがそのように自称していた訳ではないことに注意)。本当にこれらが、RPGの体裁を保っていたかを見ていきたい。
コンピュータRPGの定義
なお、コンピュータRPGの定義は、TRPGの定義と同様に曖昧であり、深く追求すると宗教論争に陥ってしまうものである。なので、できるだけその議論は避けたいところなのだが、ここでは暫定的に、米国製RPGである ”Ultuma”、”Wizardry”、”Rogue”のいずれかの影響下にあるものをコンピュータRPGだとしたい。少なくとも、それ以前のコンピュータRPGはこの3本のゲームに集約し、その後コンピュータRPGといわれるものは、その影響下において作られているからである。
無論、その後出た「アクションRPG」では”Ultima”や”Wizardry”の影響を表面的には受けてなさそうに見えるかも知れない。だが、例えば「ドルアーガーの塔」のデザイナー遠藤雅伸氏は、インタビューにおいて、インテレヴィジョンというゲーム専用機の”AD&D”と言うゲーム(アクションアドベンチャー)と”Wizardry”の影響を挙げている。
光栄「地底探検」

「地底探検」の概要
まず、ゲームの難易度を入力する(10段階)その後、ランダムな設定で表示される仲間10人のうち5人を選んでゲームが始まる。最初は村にいるため、そこで食料や薬を調達し、フィールドに出る。フィールドの移動はハンドヘルドコンピュータで座標を確認しながら行う。怪獣(東宝怪獣の名前をもじっている)と遭遇したら戦う(ターン制バトル)…
というゲームなのだが、ネットも雑誌もレビューが少なすぎてこれ以上は分からない。地底探検というタイトルだが、マニュアルによるとマレーシア奥地で発見された地下空洞の底に別世界が開けていた(ヴェルヌの「地底探検」モチーフか?)という設定のようで、ダンジョンや迷宮探索ではなく、トップビューのフィールド探索である。ゲームの目的は、探索によりポイントを稼いで帰還することのようだが、ゲームバランスが悪くほぼ生還できず、そして、恐らくはBASIC言語で組まれているため非常に遅いという。
「地底探検」の発売時期と宣伝
「地底探検」は、光栄の共同ペンネームであるシブサワコウ(この時代は実質的に襟川陽一)の最初の作品として知られる。発売時期について82年2月または3月との記載が一部サイトで見られるが、光栄自体がゲーム事業に乗り出したのが82年2月であり、その時の初期ラインナップには上がっていない事から恐らく誤報であろう。I/O誌8月号の広告で初めて掲載されその時PC-8001版は即納と記載されていることから、82年7月かその少し前に発売されたと断言していいだろう。
であるから、もしこのゲームがRPGなのであれば、確実に日本で最初のRPGだと言えるが、このゲームはパッケージにも広告にも「シミュレーションゲーム」とのみ謳われている。別頁でも散々書いてきた通り、この時代のゲームはRPGであっても、販売施策上別ジャンルとして売り出された可能性が非常に高いため、たとえ宣伝惹句でRPGとされていなくても、内容で吟味しなければならない。
なお、英語版WikipediaのJRPGの歴史の項目において、このゲームは日本で最初のRPGだと記載されている(ここでは3月と記載されているが上記の通り誤記である)。

「地底探検」はRPGか?
限られた情報から推察するに、残念ながらこのゲームはRPGではない。いにしえのスタートレックゲームに、ファンタジーSFのスキンをかぶせたものである。もちろん、フィールドの広さや探索パーティーを組めるなど(これも既に米SSI社が発売していた”The Cosmic Balance”などに先行例がある)工夫は見られるが、ステータスやゲームの目的、操作感などはスタートレックゲームに酷似している。主役キャラクターは名前すらなく、ステータスも固定であるし、最初のアイテム購入もスタートレックゲームの補給と同じである。村を補給基地、怪獣をクリンゴン艦だとすると、共通点が非常に多いことが分かるだろう。なお、パッケージや広告に記載されたジャンルは「シミュレーションゲーム」である。スタートレックが元ネタであれはそれは極めて合点がいく。
もちろん、シブサワコウ=襟川氏が米国のRPGを知っていた可能性は高い。何らかの要素(例えば食糧など)をUltimaから取り入れた可能性はあるが、このゲームではまだ限定的であり、光栄のRPGへの本格的な取り組みはもう少し先である。
普賢電子「ドラゴンレア」

「ドラゴンレア」の概要
「ドラゴン&プリンセス」は最後にご紹介する。先に普賢電子の「ドラゴンレア」を解説したい。
プレイを開始するとアイテムの購入になるのは「地底探検」と同じであり、これが唯一のキャラクター設定となる(名前の決定もない)。それが終わるとすぐにドラゴンレア(竜の巣)に入る。抽象化された画面には壁や水路、アイテム、敵が描かれ、アイテムをゲットしキャラを強化しながら敵を倒し、4つの竜を倒して黄金の竜を手に入れるのが目的である。
プレイは半アクションゲームというべきもので、テンキーで操作するが5ボタンを押すまで直進する。動く敵と静止したままの敵がいる。また画面はスクロールではなく画面端まで行くと全体が切り替わる方式である(なおマップは固定だが宝物や敵はランダムで変化する)。PC-8001のスペックを考えるとこれが限界だったのかも知れない。なお食料=「エネルギー」、HP=「ケンコウ」がありどちらか(もしくは両方)がゼロになればゲームオーバーである。途中セーブは出来ず、ゲームをクリアするかゲームオーバーになるまで続ける。
「ドラゴンレア」の発売経緯
このソフトは、82年12月発刊のテクノポリス5号に「流行のアドベンチャーゲーム最新作2本」のうちの1本として内容をレビューされており、同じく82年12月のI/O誌に「11月発売」として広告掲載されているため、82年11月の発売で間違いないだろう。
なお、普賢電子は、パソコンブーム当時に林立した独立系パソコンショップの一つでビジネスユースを中心に都内に数店舗を構えていたようだが、82年末にゲームソフトも販売するようになった(客の持ち込みか?)。だが、83年5月前後に倒産し別会社にソフトの版権が委譲され、そのあたりの経緯が、同じくテクノポリス83年12月号の読者質問コーナー(P154)に詳述されている。

「ドラゴンレア」はRPGなのか?
残念ながらこのゲームもRPGではない。おそらく元ネタは、1980年にアタリがVCS用に開発し発売した”Adventure”である(Youtubeなどにプレイ動画があがっているので見ていただきたいがそっくりである)。この”Adventure”はRPGの系譜の中で語られることはあるものの、一般的には、アクション・アドベンチャーゲームの元祖だとされている。また、最初にイースターエッグを組み込んだゲームソフトとしても有名である。ゲームの目的も4匹のドラゴンを倒すことでこれも一致している。なお、普賢電子はこのゲームの明確なジャンル区分をしていなかった。
普賢電子は倒産したが買収した株式会社ユニオンプランニング名義でしばらくは販売されていたようだ。同社はのちに、リバーヒルソフトを設立し、「マンハッタンレクイエム」などの硬派なアドベンチャーゲームを製作し一時代を築く。
ポニーキャニオン「スパイ大作戦」

”Role Playinhg Adventure Game” と記載されている
これは日本で最初にロールプレイイングゲームを自称した表記である
「スパイ大作戦」の概要
起動するとキャラクター(名前固定)のステータスがランダムに設定され、それを見て、重量制限までの装備を持ち、敵のアジトのビルに潜入する。ゲームは繰り返し遊べるよう、目的の機密文書や敵の場所が、プレイごとにランダムに設定されている。移動はテンキーで行え、イベントは原則Yes/Noで判断できるため、他のアドベンチャーゲームと比べて操作は非常に簡単である。
画面は非常にシンプルで、アブストラクトと言ってもいい廊下と扉、そして複数の敵がいる場合のトップビューなどに終始し、敵キャラのイラストすら表示されない。そんなビルを探索し、機密文書を得て脱出する。得られた文書により点数が表示されるだけで、プレイ中のセーブなどは出来ない(また死んだ場合は最初からやり直しである。
なお、このゲームは最初に「自動的に消滅する」テープが表示されたり、キャラの名前が番組の二代目リーダーと同じ名前だったりで、設定は完全にドラマを模倣しているが、特にライセンスは取っていなかったようである。
「スパイ大作戦」の発売時期
このゲームは、ポニーキャニオンの82年12月発刊の雑誌広告に12月初旬発売と明記され、翌号よりは発売中の扱いになっていることから、1982年12月の発売で間違いないだろう。
なお、このゲームは雑誌編集者の高橋義信(ぴょん太)氏の手によるものである。開発の経緯については、こちらのインタビュー記事や、テクノポリス83年12月号の記事に詳しい。

「スパイ大作戦」はRPGだったのか?
概要を読んでいただいて分かる通りRPGではない。ミステリーハウス形式のセミグラフィック・テキストアドベンチャーである。当時の雑誌の紹介記事を見ても、ロールプレイングゲームとして取り上げているものは一つも発見できなかった(広告にすら「アドベンチャーゲーム」と明記されている。
ではなぜこのゲームがRPGでないかとと言われているか、それは、日本で最初にパッケージに「ロールプレイング」と記載したからである(続編の「幻魔大戦」、「ハッピーブッシュマン」にも同様の記載があるがいずれも純粋なアドベンチャーゲームである)。
光栄「ドラゴン&プリンセス」

”ファンタジーアドベンチャーゲーム”と記載されている
ドラゴン&プリンセスのレビューにおいて説明が不足している(RPGである理由付けが不明)とのご意見をいただきましたので加筆しております。なお、ステータス「SP」はスペルポイントではなく敏捷性でした。このゲームでは魔法は存在しないようです。
「ドラゴン&プリンセス」の概要
最初に5人のキャラクターのステータスがランダム(?)に決定され、それぞれに名前を付けるとすぐにスタート。テキストで王と姫の前にいることが示され山賊討伐を命じられる。その後は初期のUltima同様に、16種類のコマンド(北なら(N)orth、見るなら(L)ookなどのキーボードショートカット)を入力し探索を行う。32KBのPC-8001という制約のためか。画面上にマップやグラフィックは一切表示されないためマッピングは必須である。
だが、敵に遭遇した時は、ファイティングモードというトップビューフィールド画面に切り替わり、これはグラフィカルである。ここでは敵と障害物、および仲間のキャラが配置されそれを移動して攻撃することで敵をやっつけると、金や経験値を得られる。経験値や、新たな武装を購入するか戦闘によるステータス向上でキャラクターを強化でき、そうして最後の敵を倒すのが使命である。なお、魔法を使うキャラクターは出てこない。
また、このゲームではキャラクター情報をセーブすることが出来、過去に遊んだデータで続きをプレイすることが可能である(が、5人のパーティーは仲間が死亡しても蘇らせたり他のキャラを雇ったりは出来ない)。
実際にこのゲームをプレイされたアルパカ氏より重要な情報を頂いたので上記記事を一部修正する。まず、初期キャラクターのステータスは固定で、個性を持たせるような設定がなされていたとのこと。また、ステータスのアップは経験値/レベルアップ方式ではなく、戦闘によりランダムにステータス向上がなされるということ、また、マルチエンディングで、最後に生き残ったキャラによってバットエンディング(のようなメッセージが出る)となることなどが明らかとなった。
「ドラゴン&プリンセス」の発売
「ドラゴン&プリンセス」は、1982年11月の広告で「国内初開発」として表記され、翌12月の広告では発売を開始したように扱われている。雑誌が前月に発売されていることを考えると、早くて82年10月、遅くても11月には発売を開始していたものと思われる。

「ドラゴン&プリンセス」はRPGだったのか?
御多分に漏れず、このゲームもロールプレイングゲームとは自称せず、「ファンタジーアドベンチャー」と広告では謳っている。ただし日本では、当時のWizardryの広告で同様のジャンル分けをされている事でも分かる通り、これだけでRPGではなかっとは言えない。
また、こちらのレビューサイトでは本作をRPGと定義することに否定的であり、その理由として「RPG要素を取り入れたテキストアドベンチャー」だからとされている。ただしそれについては、米国では既に”Eamon”といった完全なテキストベースのRPGが存在していたことから、やや根拠は薄いと思う。また、先にも書いた通りハードウェアの制約上フィールドのグラフィックをオミットしたのは仕方ないかと思う。
ただし、探索の操作についてはUltimaと同様にショートカットキーで行え(アドベンチャーのようにワードを試す必要がなくマニュアルに全て記載されている)、食料の概念、キャラクターの強化などにUltimaの影響が見て取れるし、パーティー制やフォーメーションなどはWizardryなどの先行する米国RPGの要素を取り入れたと思われる部分が多い。魔法がないのは残念だが、これも「ザ・ブラックオニキス」にもなかったことを考えると、日本人には馴染まないと考えられたのかも知れない(そのせいで、せっかくのタクティカルコンバットは非常に単調なものにならざるを得なかったが)。
個人的には、さまざまな欠点や欠落を持ちながらも、このゲームが日本で最初のコンピュータRPGとしていいと思う。現に、前々回紹介した、RPG研究家であるFelipe Pepe氏は、このゲームが日本初のコンピュータRPGだとしているし、米国のサイト”J-RPG Fandom”においてもこのゲームを最古の作品として挙げている。
ただし、国内のレビューやYoutube動画へのコメントを見ても分かる通り、致命的なほどバランスが悪く(これは、のちの光栄の「ダンジョン」も同じ)、またストーリーや背景設定にも深みがないため(それを言うなら ”Wizardry”にもないが、あれはプレイヤーが想像で補うような工夫が随所に施されている)、RPGとして不十分なことは認めざるを得ない。ただしそれは、PC-8001の性能や容量(32KB版でも実質24KB程度しか使えない)、フロッピーディスクを持たない環境を考慮すれば仕方ないだろう。この時代の日本のPCの性能は、AppleIIなどと比べるとまだ明らかに劣後していたのだから。
「ドラゴン&プリンセス」は少なくとも、RPGがRPGたる要件を備えた最初の国産ゲームである。そして、ファイティングモードと呼ばれるタクティカルコンバットシステムは、それを米国で初めて導入した”Ultuma III”を1年近く先行することは、特筆しておくべきだろう。
まとめ

ここでの結論は、「ドラゴン&プリンセス」を日本最初のコンピュータRPGだとしたい。その場合、日本で最初のTRPGである「スペースコブラ・最終兵器」とほぼ同時に、それは誕生したことになる。そしてそのどちらも、積極的に自身をRPGだと宣伝しなかったことは覚えていて欲しい。日本ではまだこの段階では、RPGはほとんど知られておらず、そう宣伝してもユーザーにはまったく訴求しなかったのである。テーブルトークでもコンピュータでも。
次回は、これらのゲームがいつからRPGと認識されるようになったかを考察する。
