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「コンピュータRPG」の誕生(承前:日本最初のコンピュータRPGは何か⓪)

前回および前々回の続きです。なお、資料がまだ届かないため、国内でのRPG受容についての考察は次回となります。


未だ解き明かされていないコンピュータRPGの起源

コンピュータRPG研究家の見解

Computer RPG History is poorly kept in the West.

The stories told rarely goes beyond "Richard Garriott made Akalabeth – and there was much rejoice". And that's with everyone speaking English, developers still being around, many books on the subject, and impressive efforts like emulators, the Internet Archive and Cyber1
.
In Japan is way, way worst. Few care about ancient Japanese PC games, emulation is difficult, the language barrier is overwhelming, trusty sources rare and companies have little interest in the crude titles of their youth.

As such, the origins of JRPGs are told as "Enix made Dragon Quest – and there was much rejoice desu.

Felipe Pepe "1982-1987 - The Birth of Japanese RPGs, re-told in 15 Games"
https://web.archive.org/web/20161013142318/http://www.gamasutra.com/blogs/FelipePepe/20161010/282896/19821987__The_Birth_of_Japanese_RPGs_retold_in_15_Games.php

上記は、コンピュータRPGの研究家であり"The CRPG Book Project"の主催者でもあるFelipe Pepe氏が自身のブログに書いた言葉である。以下翻訳。

西洋のコンピュータRPGの歴史が、それほど完全に保管されているわけではない。 「リチャード・ギャリオットが”Akalabeth”を作り歓迎された」 という話以上に遡ることは少ない。それは、英語で作られ、開発者がまだ存命で、文献も多く、エミュレータ、アーカイブ、Cyber1などの素晴らしい取り組みが行われているにも関わらず、である。

日本の場合は致命的に最悪である。
日本の古いPCゲームのRPGに関心を持つ人は少なく、エミュレーションも貧弱で、圧倒的な言語の壁があり、信頼できる文献は少なく、企業もその黎明期のタイトルにはほとんど興味を示さない。そのため、日本のRPGでは、 「エニックスがドラゴンクエストを作り歓迎された」 より遡って語られることは少ない。

拙訳・なおCyder1とはPLATOのプログラムを文化的見地から保存する試み

失われた歴史

さすがに日本でも「ザ・ブラックオニキス」や「夢幻の心臓」までであれば遡れる人も少なからずいるだろうが、確かにそれ以前は暗然たる状況である。

いずれにしろ、たかだが40年前の話であるにも関わらず、真のコンピュータRPGの起源を解き明かすのが既に困難になってきている。それでも、西洋(事実上それは米国を指し示す)では、”Akalabeth”以前に既に”Beneath Apple Manor” があり、さらにPC以前にすら、教育用メインフレームコンピュータで作成された複数のコンピュータRPGがあったことは分かっており、現状そのルーツをたどることは可能である。

日本でのRPG(デジタル・アナログ問わず)の受容を解き明かす前に、この歴史について一度整理しておきたい。

米国”パーソナル”コンピュータ略史

アップル、TRS、コモドール以前

核兵器を発明したのと同様に、コンピュータを最初に発明したのはアメリカだった…かどうかは議論が分かれるところだが、少なくともコンピュータを最初にゲーム(娯楽)に使おうとしたのはアメリカ人である。デジタルゲームの歴史は、ほぼコンピュータの歴史と等しい。しかしそれらは、アーケードゲームへの道を開いただけで、のちに言うコンピュータゲームに繋がるわけではなかった。

米国では、1974年には、世界で最初の個人用コンピュータパッケージであるAltair8800が発売されたが、まだこれは性能的に高度なゲームを扱えるものではなかった。個人が所有するコンピュータで、本格的にゲームが作られ、プレイされるようになるのは、1977年にApple、TRS、Commodoleらの初期のパソコンが発売されてからである。

CAI(教育用コンピュータ)の発展と利用

しかしながら、米国の場合はそれ以前に、高校や大学にコンピュータ端末が配布され情報教育に利用されていた時期があった。PLATOに代表される教育用ミニコン(巨大なメインフレームと比較してミニだというだけで現在の眼で見れば十分に大きい)は、1970年代には全米の多くの高校・大学に配備され始め、知識のある学生は、タイムシェアリングで企業のオフィスコンピュータ同様のシステムに触れることが出来たのである。これには十分なメモリリソースと、高解像度のディスプレイを持っていたため、学校側の表面的な禁止にも関わらず、学生はそれでゲームをプログラムしはじめ、徐々に高度なゲームも作られていくことになる。そしてその土壌が、個人用コンピュータでのゲーム・プログラム文化に結び付いたのだった。

米国博物館にあるPLATO端末(Wikipediaより)
これは入出力端末だけであり通信回線でつながれた本体は別にあるメインフレームである

日本でのコンピュータ教育の遅れ

日本でも、60年代末から、工業高校や大学では情報教育が取り組まれたが、学生が扱う端末はカシオ等のプログラム電卓の利用に留まり、メインフレームが利用されたのはほんの一握りの上位大学に留まっていた。そのため、個人によるプログラム文化の誕生はアメリカよりも大きく後れを取り、それがこのあとの受容に大きく影響してくる。国内で本格的に、個人のプログラムが流通し始めるのはNEC、日立、シャープ(遅れて富士通も)がパーソナルコンピュータを発売する1979年以後のこととなる。

カシオ AL-1000 カシオHPより。世界初のプログラム電卓と言われる。1967年当時32万円。

パソコン以前のコンピュータRPG

RPGの誕生以前以前

前節で述べた通り、米国の一部の高校生、大学生は、1970年年代中葉には既にコンピュータプログラミングが可能な環境にあった。彼らは、今でいうテキストアドベンチャーゲームを既に開発しており、1973年または74年には、既に”Wander”というゲームを生み出していた。それに続く1975年の、Colossal Cave Adventure”では、洞窟を探索し、ドワーフなどの敵に遭遇し、宝物を得るという、のちのRPGに似たストーリーが搭載されていた。ただし、キャラクターをロールするという概念はまだなく(年代的にD&D発売以前なので当然ではあるが)、あくまで謎解きに終始するものであったが、この発展形が、のちの "Zork"に代表されるテキストアドベンチャーゲームへと発展していく。

コンピュータRPGの誕生

1974年にD&Dが発売され、RPGが普及し始めると、それらに触れた黎明期のゲームプログラマーは、すぐに自分たちのゲームにその要素を取り入れ始めた。

1975年にプログラムされた"pedit5"が、現在まで伝わる最も古いコンピュータRPGである。この奇妙なタイトルは、ゲームであることを偽装し他の研究プログラムに紛れ込ませるために付けられたもので、”The Dungeon”という異名も持つ。なお、過去は"m199h"という名前だけが知られたプログラムが、最初のRPGと言われたことがあったが、2023年にこのプログラムが書かれたレポート用紙が発見され、その詳細な分析によってPedit5が先行することが明らかになった。

世界で最初のコンピュータRPG”Pedit5”

”Pedit5”は、固定式の1階層しかない、トップビューダンジョンを探索しランダムに配置されたモンスターと戦い、宝物を得て帰還することを目的とする。プレイヤーが操るキャラクターが明確に存在し、ランダム決定ではあるもののステータスが存在し個性を表す(当然名前も付けることが出来る)。16種類の魔法は戦闘だけでなく探索や回復にも使えるなど、D&Dなどの要素を踏襲している。そしてさらに、キャラクターは保存でき、次のセッションに持ち越せることが出来る。これは当時のゲームとしては極めて画期的で、恐らくRPGがなければ生まれなかったシステムである。

この当時のソフトは、メインフレームのストレージに保管され、タイムシェアリングで誰でも取り出して利用できたため広範囲に拡散したという。

コンピュータでRPGをプレイしたいという強い欲求

”Pedit5”は、運営・学校側により何度も消されたがそのたびに学生は、バックアップを復活させ、拡張していった。"dnd"や”The Game of Dungeons”と呼ばれるバージョンでは、複数階層を持ち、キャラメイクでの振り直しができ、アイテムや敵が激増し、テレポートや落とし穴などのトラップが追加されるなど、のちのコンピュータRPGが持つシステムの多くが既にこの時期には誕生していた。そしてさらに、このゲームでは現在では一般的な「ラスボス」が登場する。オーブを守護するドラゴンを倒すことが最終目的となり、これはあらゆるコンピュータゲームの中で最初のものである。

dndと別系のプログラムも誕生し始めた。 "Moria(1975)" ,”Oubliette(1977)” といったゲームではのちにWizardryで有名になる、一人称視点のワイヤーフレーム立体ダンジョンが採用され、さらには複数のプレイヤーが同じダンジョンを攻略できるマルチプレイヤーシステムが既に導入されている。また、Platoシステム以外でも、DEC社のPDPで動作する"The Dungeons"” DND(1977)(のちにアバロンヒルが発売するTelengard(1983:邦題テレンガード)の原型である)も登場する。そして、少し時代が遅れるものの、UNIX上で動くRogueも1980年までには完成していた。

ボードゲームから続くRPGの流れ。著者作
少なくとも米国においては、黎明期TRPGからCRPGまで時代が追えることが分かる

そしてパーソナルコンピュータへ

「アップル荘の下で」登場

先にも述べた通り、米国では1977年に、初期のパーソナルコンピュータが競って発売されると、学校やタイムシェアリングに制約されない環境に、学生やコンピュータマニアは飛びついた。そして、翌1978年には、さっそくコンピュータRPGが発売されている。

Beneath Apple Manor”が、パーソナルコンピュータ用で最も古いRPGだということは、多くの研究者の意見が一致している。このゲームは、当時のPCの機能制約上グラフィックは(カラーは使えるが)退化しているし、モンスターも5種類しかなく、キャラクターステータスも少ない。しかし、毎回ランダムに生成されるダンジョンと、キャラクターセーブ機能(さらには、アイテムを使うことで現在で言うセーブスロットの概念すら実装していた)、無限のレベルアップが可能という、より現在のコンピュータRPGに近づいたものとなっている。

なお、トップビュー&ランダム生成ダンジョンという、ローグと酷似した機能を既に備えているが、両方の作者はいずれもお互いの影響を否定しているし、先の”DND”においても既に採用されていた。おそらくは「みんな考えることは一緒」だったのだろう。

急速に進化していくコンピュータRPG

1978年には、”Dungeon Campaign”というゲームも出ているが、ここでは既にパーティー制(複数キャラのパーティーで探索する)が導入されている。なお、このゲームは姉妹編の”Wilderness Campaign”(1979)が有名であり、このゲームは世界初のシミュレーションロールプレイイングゲーム(ファイアーエンブレムのような、というのが一番想像できるか)で、のちのアバロンヒルの”Fortress of the Witch King”(1983年:邦題ウィッチキング)はこのゲームのパクリ強い影響を受けている。

翌1979年になると、パーソナルコンピュータ用のPRGは急速に進化を始める。”Temple of Apshai”は、Beneath Apple Manorの直系であり、のちに10本もの拡張パックや続編が発売されるほどユーザーに支持された。特筆すべきは、D&Dと互換性のあるキャラクターステータスを持ち、D&Dのキャラをゲーム内に持ち込む(手動設定する=これは、テープメディアゲームのためキャラデータのセーブが難しいためその代替でもあった)ことが出来る点であった。

続いて出た”Odyssey:The Compleat Apventure”は、野外フィールドを移動できる最初期のゲームであり、船を手に入れれば航海も出来、最後は王城でラスボスを討伐するという、明確なストーリーを持つ最初のRPGであった。

なお、忘れてはいけないゲームに、1980年の”Eamon”がある。これは、過去のテキストアドベンチャーの体裁を持ち、すべての表記はテキストのみで表現されるものの、システムはユーザーキャラクターを持つ完全なRPGである。さらにこのゲームは、システムとシナリオが分離しているため、一定の知識があれば自らシナリオを作成し配布することが可能だった(ちなみにこのゲームはフリーウェアである)。このゲームは、我が国の「アルフガルド」(アスキー)や「ドラゴン&プリンセス」(光栄マイコン)に影響を与えた可能性がある。

そしてウルティマ、ウィザードリィへ

これら黎明期のゲームに影響を受けた”Akalabeth: World of Doom” は、3Dマップとフィールド探索の両方を持つ最初のゲームであり、表現としては画期的であるものの、当時のハードの制約からかRPG的な要素は極限までそぎ落とされていた。これが、もっと先進的なRPGとしてプレイ可能となるためには、ハードウェアの進化が必要だった(1980年以後のApple II+では48kbのRAMを標準搭載し、ほとんどのユーザーがDISK IIフロッピーディスクドライブを購入するようになったため、プログラマがアイデアを投入することがかなり容易になった)

"Akalabeth"の進化系である1981年の”Ultima”(81年6月)と、ダンジョンクロールを究極まで突き詰めた ”Wizardly”(81年9月)は、これらのハードウェアを前提に作られた超大作だった。これらについては多方面で語られ過ぎているので詳細には触れないが、この2作(と、UNIX上で動くローグ)が、初期のRPGを形成し定義づけたと思っていいだろう。

問題は、これがどのように日本国内で受容されたかである(続く)

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